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秋山みなみ

「何事にも意味がある」

· Players

「身近なテニスプレイヤーでありたいので、どこでも気軽に話しかけて欲しい」という彼女。

以前1−2度練習後に挨拶がわりに声をかけると、やはり明るく人懐っこい笑顔を向けてくれたのを思い出しました。

秋山みなみ選手にテニスの生い立ちからプロになって2年目を迎えた今年までを振り返っていただきました。

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テニス開始0歳!

Tennis Tribe.JP(TT):「プロフィールを拝見していますが、『テニス開始年齢』の最小記録ですよ(笑)0歳!破りようがない!」

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(写真の日付は1996年1月22日。確かに0歳)

秋山:「テニスを始めたという事になるのかわかりませんけど、ベビーカーに乗っている頃からラケットをおもちゃ代わりにして、両親と近所の江戸川プールガーデン(現西葛西テニスコート)で遊んでいたらしいです。両親が茂木十三男・弥生コーチに教わっていて、私も小学3年生まで教わっていました。」

TT:「ご両親と同じコーチに一緒に教わるとは、微笑ましい光景です。」

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(左が茂木弥生コーチ、右が茂木十三男コーチ。一緒にいるのは梶谷桜舞選手)

秋山:「でも毎日練習することはできませんでしたので、小3の夏からTOPインドアステージ亀戸(VIPテニスアカデミー)に通い始めました。毎日朝練で、午前5時にお父さんが自転車で30−40分かけて送ってくれたのを覚えてます。」

TT:「他には何か習い事などしていました?」

秋山:「水泳、体操、それと英語は少しやりましたけど、遊ぶのが何より大好きでした。跳び箱を飛び損ねて鼻を打ったり、走って転んで顔面を地面に強打したら、前歯が2本ともなくて、みてもらったら埋まってしまってたとか・・そんな記憶はたくさんあります(笑)一度遊び始めるとテニスコートに連れていかれるまで遊びたいって泣いて、テニスコートに行ったら行ったで楽しくやってたらしいです。」

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(ご両親と一緒にテニスを楽しんだ幼少期)

TT:「それ、乳歯でよかったね(汗)それで、テニスはどうでした?」

秋山:「体が小さかったので、一生懸命打って、いっぱい走っていました。それでもクラスは男子ばかりいる上のクラスに入れてもらって、合宿にも一緒に行ったりしました。小4から試合に出始めるようになって、その頃は練習よりも試合の方が好きでした。小5からはフミヤエース(市川テニスアカデミー)の軸丸コーチにもプライベートレッスンを受けるようになりました。アドバイスの一つ一つが考えさせるヒントで、すぐに自分のプレーが変わったことを実感できるものでした。」

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(小4で初めて海外遠征。西郷幸奈選手とはこの頃ダブルスペア。)

TT:「TTC(吉田記念テニス研修センター)でも練習をしていたことがあるそうですね。」

秋山:「コートの練習だけでなくてトレーニングもしっかりやっていくために、小6の11月からTTCに通いました。フィジカル測定とテニスをチェックして参加を認められるんですけど、そのときテニスだけでOKを出してくれたんです。でも本当はフィジカルが全然足りなかったんです。5点満点で他の子は4点台、悪くて3点台なんですけど私は2点台で、ランニングでもトレーナーさんに後ろから追いかけられる状態でした(笑)TTCに通うために両親と一緒に柏(千葉県)に引っ越しました。TTCには同い年のナツ(千村夏実さん、2017年引退)がいて、とても仲良くなっていつも一緒でした。でも学校で全校集会があると、ナツはいつも壇上で表彰されて、私は周りから『お前はどうした』って冷やかされてましたね(笑)」

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(いつも一緒の友人で、目標でもあった、千村夏実さん)

念願の全国大会、そして決意

TT:「高校時代のテニスを教えてください」

秋山:「藤代高校(茨城県)にテニス推薦をいただいて進学しました。それまで全国に行ったことがなかったので、全国を目指せることと、団体戦も経験したいと思って決めました。1年生の時に全国選抜の団体戦で初めて全国大会を経験しました。」

TT:「初めての全国、しかも団体。1年生から希望通りでしたね。」

秋山:「プレッシャーがすごくて、10円ハゲができちゃいました。

(この真相は、女の子なので深掘りはやめておきます!)

2勝2敗、私で決まるシングルス3で出ましたが、タイブレークで負けてしまいました。この試合は監督から先にミスしないようにロブも使って戦えとアドバイスをもらって入りました。自分のプレーはもっと打つので個人戦であればそうしていたと思うんですけど、チームのために自分のプレーを変えてでも戦うという団体ならではの試合ができたのは、今となってはいい思い出です。その後、授業とテニスの両立を理解していたつもりでしたけれど、もっとテニスに集中したいと思うようになりました。そして2年生になる頃にはプロになりたいという気持ちがとても強くなって、テニス一本に絞る生活に変えることにしました。」

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(初めての全国大会、そして団体戦を経験した藤代高校)

TT:「というと?」

秋山:「通信制高校に転校することにしたんです。この判断はとても急でした。このタイミングを逃すと、高校卒業が一年先送りになるという瀬戸際で、その日に決めて帰りのホームルームで『今日で最後になります』って話になりました。近い友だちには転校を考えていることを打ち明けていましたけど、ほとんどの人には急な話だったと思います。」

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(充実した生活だった藤代高校のクラスメイト)

TT:「さて、プロを目指すことを決めて、生活をテニス中心に切り替えた後はどうでした?」

秋山:「結果には簡単に結びつかなかったです。高3の(千葉)県ジュニアで、勝てば関東という試合をファイナルセットで負けてしまいました。でも自分のプレーをした上での負けなので、悔しいけど仕方ないと割ってコンソレ(敗者復活戦)に賭けました。ところが、その試合はアップをしているところから頭が真っ白になってしまって、ミスばかりで修正も利かず最後のチャンスを逃してしまいました。今から思えば何やってんだかって感じで、笑える話ですけど。 」

TT:「ちょっと重苦しい話が多くなって来たので、何かこの一戦!みたいなのを紹介してもらえませんか?」

秋山:「ん〜そうですね、これは全国がかかった試合じゃないんですけど、大逆転した試合があります。1セットマッチの0-5 15-40から、7-5に逆転勝ちしたことあります。」

TT:「その相手のことを考えると、それはそれで重〜くなっちゃいますけど・・(笑)」

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TT:「高校3年間を通じて全国まであと一歩ということで、プロについて方針変更するとか、大学進学などを考えることはありませんでしたか?」

秋山:「大学に行くことは少し考えました。でも、テニスをやれるのは今しかないし、テニスで生きていきたいって思っていたことと、自分はプロでやっていけるんじゃないかっていう何の根拠もない自信があったんです。そこで両親と相談して、大学卒業の年までは支えてくれることになりました。それと、プロへの転向はWTAシングルスのランクがついたら申請を出そうと決めました。」

ゆっくりでも一歩ずつ着実に

TT:「自分に明確な課題を与えたわけですね。では、高校卒業後からの今までの4年間の歩みついても教えてください。」

秋山:「まず、ジュニア卒業後は練習拠点をエフ(Fテニス)でお世話になるようになりました。私はシニアになってから入ったにも関わらず親身に勝つためにどうしたらいいのか一緒に考えてくれたり、練習してくれます。遠征から帰れば自分のホームコートがあることは、本当にありがたいし、強みだと思います。」

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(ジュニア卒業後、Fテニスをホームコートに)

TT:「ホームコートを持つことは、安心感に繋がりますね。」

秋山:「1年目(2014年)はJOP(日本テニス協会公認国内)大会を中心にまわって、国内ランキングを上げることに集中しました。2年目には全日本選手権の本戦に上がることができました。」

TT:「まずは国内でしっかりシニアの戦い方を勉強したわけですね。」

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(ジュニア卒業1年目、JOP大会優勝)

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(2年目に全日本選手権の本戦に出場)

秋山:「3年目はITF(国際テニス連盟)大会にチャレンジし続けました。8月に長期遠征していたエジプトの4週目で、初ポイントを取りました!実はものすごく体調が悪い中の試合で、相手にリードされていたんですけど、私のサーブへの微妙な判定に相手選手が集中力を乱したのをきっかけに逆転して取ったポイントでした。」

TT:「微妙な判定とはいえ、チャンスを逃さなかったわけですね。」

秋山:「その後10月にインドネシアでファイナルセットの試合を死に物狂いで取ってやっと3ポイント獲得で初めて世界ランクがつきました。今年(2017年)の4月にプロ転向を手続きをしました。」

<女子のWTAは3ポイント獲得で初めてランキングが付与。ちなみに男子ATPは1ポイントから>

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(3ポイント目を獲得して、WTAランキングがついた2016年インドネシアの1万ドル)

プロとなって見える初めて見える景色、そして厳しさ

TT:「これまでの4年間、一歩ずつ、少しゆっくりですが着実に階段を登っているようですね。今年は積極的に海外に出ているということで、親元からも離れていよいよプロとしての自覚と一緒に苦労も出て来たんじゃないでしょうか。」

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秋山:「はい、本当にそうです。親の支援も終わりますが、まだスポンサーさんも探せていません。そんな状況なので遠征中に一人でいる長い時間に色々なことを考えてしまって、少し塞ぎ込んでしまうこともあります。光を探してもがくような感じになることも多いです。メンタルがしんどくなって行く人の話がよく分かるようになりました。でも、これがプロの世界で、テニスをやっていないとできない経験にもなっているって考えるようにしています。大人として人として成長してきているなって思いますし。」

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TT:「今後の目標やゴールなどを聞かせてくださいますか?」

秋山:「まずは遠征費を作って選手活動を続けられるようにないといけないので、今年は国内でのアピールをしっかりやっていきたいと思ってます。全日本は2年目に本戦出場してからは予選で負けてしまっているので、今年はフォーカスして結果を残したいと思っています。」

TT:「3ポイントを切って消えてしまったランキングも復活させないとなりませんね。」

秋山:「そうですね。そうして24−25歳までには自分でも誇りに思える結果を一つ得たいと思ってます。」

TT:「例えば?」

秋山:「それは『無言実行』ということで(笑)」

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TT:「最後になりますが、どういう選手になっていきたいかをお聞かせください。」

秋山:「身近なプロテニスプレイヤーとして親しみを持って接してもらえる選手になりたいです。試合の会場でも気軽にどんどん声をかけてほしいですし、私もそれに笑顔で応じていきたいです。負けた時なんかは辛いかもしれないですけど、ファンの方があっての私たちなので。」

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秋山みなみ選手への応援メッセージはホームページへ!

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写真提供:

山下潤さん(Jun YAMASHITA)

秋山みなみ選手

ありがとうございます!

聞き手:Tennis Tribe.JP 新免泰幸

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