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藤原里華

「テニスを通じて多くの方の人生を豊かにできるよう日々勉強!!」

· 女子プレイヤー

1998年全日本選手権。当時世界ランク56位をつけた佐伯美穂選手に17歳の少女は大金星を上げ、小さい頃短冊に書いた、「てにすせんしゅになる」夢を叶えます。その後、グランドスラム出場9回、全仏ダブルスベスト4、フェドカップ日本代表11回選出、WTA自己最高84位を記録する、藤原里華プロの誕生です。

18年を経た今、彼女は第3幕と言えるテニス人生を歩んでいました。

朝4時半の福岡天神のNBI (Next Body Innovation)トレーニングスタジオに飛び、お話を聞くことに。「一緒にALL OUTトレーニングしましょう」と、抗えないお誘いを受けて・・(汗)

(この躍動感あふれる写真に、筆者はおりません・・)

Tennis Tribe.JP(以下、TT):「今日は朝早くからありがとうございました。インタビューはこれからですが、もう一仕事終わった感じです。」(大汗)

藤原里華選手(以下、藤原):「ナイスファイトでした!またお立ち寄りくださいね。」(ケロッと)

TT:「藤原選手のこれまでのキャリアを改めて俯瞰しますと、3幕に分けられると思いました。

プロ転向から一気に自己最高ランキングとグランドスラム出場まで駆け上がった20歳代前半の第一幕。

多くの同年代選手が引退していく中で現役を継続しつつ、もがいた30歳までの第二幕。

そして、怪我でどん底を見て、復活への光を見出して今に至る第三幕です。

今日はそんな時間軸で話をお聞きしたい思います。」

藤原:「はい、よろしくお願いします。」

TT:「まず初めは第一幕につながるジュニア時代のことを聞かせてください。いつ頃からプロを志したのでしょうか?」

(テニスを始めた頃、妹さん(右)と)

藤原:「そうですね、プロを意識したのは2度あって、最初は6歳でテニスを始めた時です。両親がテニスのコーチで、最初から母に『テニスは楽しみたいか?真剣にやりたいか?』と聞かれたんです。私は真剣にやる方を選択しました。短冊に「てにすせんしゅになる」と書いていたらしいです。もう一度は、17歳の全日本で佐伯さんに勝った時です。」

(中央、全小3位)

TT:「その頃のテニスはどうでしたか?」

藤原:「生まれは府中だったんですが、父が藤沢に荏原SSC(荏原湘南スポーツセンター)のコーチとして赴任に合わせて、家族も荏原まで歩いて数分のところに引っ越しました。『藤原コーチの娘』ということで、随分かわいがってもらいましたね。コートで練習できないときはオートテニスで打つという生活は、本当に楽しくて、テニスが大好きで夢中になってやっていました。」

(全日本ジュニア優勝)

TT:「その後17歳の大金星でプロを決意するまで一直線ですね。」

藤原:「17歳でプロを決意したのはいいんですけど、高校在学中のプロ転向は簡単じゃありませんでした。同じ高校の先輩だった杉山(愛)さんは、学校がプロ活動を許可しなかったので転校までしてプロになったんですね。私も色々ありましたけど、杉山さんの経緯もあってか、最終的に在学中のプロ転向に許可を出してくれたんです。」

TT:「それでは第一幕、1999年のプロ転向後のお話を聞かせてください。」

藤原:「ツアーの一年目は、井上悦子さん(#1)に師事して、海外遠征にも帯同してもらいました。井上さんは憧れの存在でしたから、あらゆる面を吸収しようと思ってました。でも、お金がかかるので遠征中も宿は同室です。憧れの方でも、一緒にいるのがどんどん窮屈に感じるようになってしまったんですね。井上さんにも『苦しそうだね』って見抜かれて、関係は長く続きませんでした。」

(#1:井上悦子さんは1980年代に日本の女子テニス選手が海外ツアーを回る先鞭をつけた選手で、最高位26位は伊達公子選手(最高4位)の更新まで、歴代1位)

(井上悦子さんと)

TT:「簡単にはいかないものですね。」

藤原:「おまけに、当時まだスポンサーが付いていなかったので、母に『お金がかかり過ぎるからもう止めてくれ』って言われてしまったんです。」

TT:「でも、スポンサー探しばかりに走り回るわけにも行きませんしね。」

藤原:「そう。戦績をあげることしかできることはなかったので、勝つことに必死でした。」

TT:「その結果、2001年に全日本選手権優勝を果たして、フェドカップ日本代表に選ばれます。スポンサー探しどころか、名実ともに日本のトップ選手の仲間入りです。」

(フェドカップ代表)

藤原:「でも、いい話ばかりじゃないんですよ。」

TT:「後まで引きずる、手首のケガですね。」

藤原:「今でも覚えているんですけど、2003年のジャパンオープン。当時100位台選手との対戦で、振り回された時にコートに手をついたときにやっちゃったんです。」

TT:「しっかり治そうとはならなかった?」

藤原:「あの頃の選手の現役は20代後半までで、ケガがあっても気合いと根性で乗り切るような時代でした。私には、ケガを治すよりもランキングを守ることが最優先でした。」

(全豪オープンシングルス本戦初出場。駆けつけた祖父母と。)

TT:「その後、2005年に最高ランク84位をつけて、全米オープンでは前年チャンピオンのビーナス・ウィリアムスとセンターコートで戦いましたね。」

藤原:「はい、自分でも誇りに思う経験でした。でも、痛みとの戦いという記憶でもありましたね。」

TT:「では、怪我の治療で2006年末ランク545位まで下げたところからを第二幕として伺います。そこからはグランドスラムの予選出場ラインに入るかどうかのランクで横ばいをしています。モチベーションを失ってしまうのではないかと思うのですが。」

藤原:「モチベーション・・そうですね、グランドスラムでの歓声、センターコートの風景、芝のにおい、その記憶がモチベーションになっていたと思います。」

(森上亜希子さんと中村藍子さん)

TT:「また、同年代の選手が次々と引退していった頃でした(#2)。引退が頭をかすめることはありませんでしたか?」

(#2:浅越しのぶさん2006年/30歳、森上亜希子さん2009年/29歳、中村藍子さん2012年/29歳で引退する中、藤原選手は2011年で30歳)

藤原:「まだやりきれてない感じでいたんです。実際グランドスラム本戦にも戻れましたし(2008年ウィンブルドン)、伊達(公子)さんと組んだWTAのダブルスでも優勝もできました。少しいい方に転じると勝てていたので、光もありました。」

(伊達選手とWTAツアー初優勝)

TT:「ケガとも付き合い続けた時期だったわけですが。」

藤原:「足が痛ければその名医と聞きつけては飛んで行って、腰が痛いとなれば評判の先生に診てもらいにどこにでも行く、『ケガ難民』でしたね(笑)」

TT:「20代の当時を振り返って、今の20代の選手に何か伝えるとしたら?」

藤原:「今は選手生命が伸びてるので同じ感覚では話はできないと思います。でも一つ言えるのは、目の前の事に飛びつきすぎず、選手としての時間をどう使うかをしっかり考えてほしいと思います。そのためには、身体のことをもっと勉強して知っておいた方がいいですね。私たち選手にケガは付きものです。スポンサーを気にして、ケガを隠してもうまく行くはずはありません。むしろしっかりコミュニケーションとって、対策を一緒に考えてもらう方がいい。私も同じ頃に戻れるなら、もっと勉強して身体と向き合いたいです。私はNBIにお世話になって身体を知るようになってから、とても前向きになりました。若い選手たちにはそうした取り組みをしてほしいと思います。」

TT:「さて、現在に至る第三幕を伺います。ケガとの戦いで一時はポイントを全て失ってしまいました。」

(左足首の手術後)

藤原:「そうでしたね、手首、足首、痛くないところがないくらいになって、ほとんど引きこもりのような状態にもなりました。」

TT:「今からは想像できない状態ですね。そんな中、一般社団法人Pro Tennis Team Japanを立ち上げました。」

藤原:「いろいろと考える時間ができる中で、私たちプロに欠けているものが多いなって感じたんです。自分のマネジメント能力や、プロとしての価値を伝える力、コーチに教わって終わるんじゃなくてそれを人に教えられる理解力とか。でもこれって教わったこともないし、しっかり教えてくれる人もいないと考えた時に、選手のサポートと育成の取り組みが必要と思って立ち上げました。」

(『藤原テニス塾』)

TT:「試合会場でも後進の育成にも時間を割いてますね。」

藤原:「特にダブルスは『藤原ダブルス塾』じゃないですけど、若くて吸収力のある選手と一緒に試合に出て、時間がある時には他の選手も集めてちょっとしたレッスンもしてます。」

TT:「先日の軽井沢でもちょっとした合宿でしたよね。」

藤原:「はい、やりました。藤原の『弟子』、募集中ですよ!!(笑)」

その後、場所を移して藤原選手の練習も見学。時間は全体で2時間。実際にコートでボールを打つのは1時間足らず。しかもそのほとんどはテニスコーチではない、NBIのトレーナーからの手出しで行われます。身体の各部分の動きを、構造に熟知したトレーナーが一つ一つチェックして、細かく修正していきます。

(NBIのトレーナーからトスを受け、一つ一つの動きをチェック)

TT:「今朝のワークアウトもお昼の練習もそうですが、およそ普通の選手とは違うアプローチですね。」

藤原:「科学的に一つ一つの関節、筋肉、手のひら、指、そしてラケットがどういう連動の中でボールを捕えるのがいいのか、身体の各部分単位で知ることが、最も効率的で結果に繋がる練習と考えているんです。」

TT:「ボールを打つ数や時間の長さではないと。」

藤原:「もう30年もテニスやって、さんざん打ってきましたしね(笑)」

TT:「メンタル的にも、知っておくことでプラスになりますよね。」

藤原:「そうなんです。試合中に調子悪い、何をやっても入らないという状況でも、チェックポイントをひとつひとつ確認していくことで、客観的に自分を見ることができるようになるので、メンタルが崩れていくことが少なくなります。」

(島津全日本室内)

TT:「さて、最後になりますが、藤原選手の今後の目標は?」

藤原:「さっき話した2005年のビーナス戦は誇らしい思い出ですが、同時に痛い記憶も蘇ってくるんです。SAKURAドロップスを聞くと2003年のウィンブルドンで戦った当時の辛さを思い出してしまいます。音楽やにおいは、当時の記憶を呼び起こしますよね。この辛かった時の記憶を、いい思い出で上書きしたいんです!」

TT:「今日はありがとうございました。あ、一つ聞き忘れてました。」

藤原:「なんでしょう?」

TT:「5月の久留米で、試合中に腕立て伏せをする藤原選手についてイギリスの通信社が取り上げて、日本でも話題になりました(笑)これって??」 ==> YouTube

藤原:「あ、その件ですね(笑)!これは、京都(島津全日本室内)からやってるんです。最初は寒い中で血行を促すためにトレーナーの指導でやったんですね。最初は私も恥ずかしかったんですよ(笑)!でも腕立て伏せをやる前と後では、試合のパフォーマンスが改善する結果を得ていたので続けるようにしたんです。血行がよくなるだけではなくて、脱力状態よりも予め負荷をかけておいた方が、パワーが出やすいというのもあります。」

(噂のプッシュアップ)

TT:「対戦したイギリスのローラ・ロブソンは『私が去年1年間に行った腕立て伏せの回数を上回った』って言ってるようです(笑)」

 

藤原:「腕立て伏せは毎朝やってますからね!!それに別の目的もあるんです。他の選手が私をみて、この年齢でも戦えるフィジカルトレーニングの有効性を知ってほしいと思っています。」

最後の最後に一言とサインをいただきました。こんなところで、すみません!

それにしても、達筆!

藤原選手への応援メッセージは、Facebookまでおねがしいます。

今回の記事では網羅しきれなかった、藤原選手の第三幕を支えるきっかけを作ったNext Body Innovationとの出会いのストーリについては、こちらをご覧ください。

--> 藤原里華が現役最高齢のプロテニスプレーヤーを目指す理由

また、NBIに興味をお持ちの方は、以下もご覧ください。

Next Body Innovation

Express Work Out

NBI Tennis Academy

NBI Food Academy

聞き手:Tennis Tribe.JP 新免泰幸

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