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松崎勇太郎

「自分を信じる力」

· 男子プレイヤー

二人三脚で育ててくれたテニスクラブのコーチの教えは、「テニスが上手いだけのお兄ちゃんにはなるな」。

テニスよりも人間としての成長を第一に、コーチと一緒に作り上げてきたテニス人生。
14歳、17歳、そして23歳でテニスとはどういうものなのか徹底的に考えさせられ、23歳でプロテニスプレイヤーとしては少し遅いスタートを切りました。

そんな、松崎勇太郎選手に話を聞きました。

松崎勇太郎選手

(フリー)

Tennis Tribe.JP(TT):「今日はよろしくお願いします。松崎選手が御用邸もある葉山の出身ということも含めて、とても興味がとてもあります。早速ですが葉山ってどんな街ですか?」
 

松崎勇太郎選手(松崎):「よろしくお願いします。葉山はどの駅からも離れているので、サラリーマンがスーツを着て毎日通勤するような姿をほとんどみないところです。のんびりしていて、自分で仕事をしている人が多かったり、ちょっとユニークかもしれませんね。僕の家は葉山御用邸に近いせいか、なおさら静かなところです。大学で東京に住みましたけど、落ち着かなかったですね(笑)」

(葉山の海、撮影は趣味という)

恩師との出会い

TT:「勝手な想像ですが、葉山辺りだとテニスがメインのスポーツで、サッカーや野球のイメージが湧きません。」
 

松崎:「僕は2歳から両親とテニスコートで遊ぶようになりましたけど、野球やサッカーに興味を持つこともなかったですし、それほど盛んじゃなかった気もします。」
 

TT:「それでも水泳でプールには行っていたでしょう?」
 

松崎:「泳ごうと思った時には海です!目の前が海でしたから!」

(葉山の海の友人たち)

TT:「ご両親と始めたテニスから、どういう成長を遂げて行ったのでしょう?」

松崎:「逗子マリーナ(現リビエラ逗子マリーナ)でよくテニスをしていて、マリーナの東コーチがキッズクラスに(幼稚園の)年中で特別に入れてもらいました。最初は週一のレッスンで、小2か3の時にジュニアチームができて、それからは毎日通う生活になりました。」

(東コーチとジュニアを囲んで)

上手いけど強くはない、まあまあの選手」という悩み

TT:「大会に出始めたのはいつ頃からでしょう?」
 

松崎:「本格的には5年生からです。12歳の時にTTC(千葉県)の大会で優勝したのが最初に成績が出た大会だと思います。小6で全小に初めて出て2回戦、全日本ジュニアはダニエル太郎選手に負けてベスト8でした。」

TT:「小5から急成長ですね。」
 

松崎:「そうかもしれませんが、その後も優勝には縁がありませんでした。最高で全中と全日本ジュニアU14でベスト4です。特に中3の全中はタイトルを取りに行こうと打ち込んでやった結果だったので、悔しかったです。関東で勝った相手に全国では負けてしまう。上手いけど強くはない、ベスト4や8には顔をだすけど、まあまあの選手だと思われていたんだと思います。マリーナでも僕は一期生なので、前例も経験もなくて暗中模索だったと思います。14歳で初めてテニスというものはどういうものなのか、考えさせられたキーポイントの年でした。」

揺れる、若い心

TT:「高校は湘南工科大学附属高校(湘工)に進学、やはり地元ということでしょうか」
 

松崎:「柳川高校(福岡県)か湘工かを考えましたが、湘工は週に2回部活練に出れば自分の所属するクラブの練習と掛け持ちをしていいクラブ練というのがありましたし、元々憧れを持ってましたので選びました。」

TT:「成績を拝見すると、高1では全日本出場の記録がありますが、高2では消えてしまいます。」
 

松崎:「自分の成績が出ないことに悩んでいました。マリーナではレベルの合う練習相手がいないし、成績が出ないのはそのせいだ、もっと強いクラブに行けば強くなれるはずだというのが、その時の僕が出した結論でした。」
 

TT:「その強いクラブというのは?」
 

松崎:「荏原SSCです。高1の時に移りました。でも10ヶ月後にまたマリーナに戻りました。」
 

TT:「何があったんでしょう?」
 

松崎:「高1の関東ジュニアは第一シードだったのに2回戦で負けちゃったんですが、試合後にSSCのコーチに負けを報告に行った時の一言が、『あ、見てなかった』だったんです。今から考えれば、第一シードが2回戦で負けるなんて思ってもいないので、他の選手を見ていたのだろうと分かるのですが、その時に見てくれていないんだと感じたんです。マリーナでは常にコーチが見てくれていたので、この一言はものすごくショックでした。その瞬間にマリーナに戻ろうと決めました。」

TT:「それで、マリーナは受け入れてくれましたか?」
 

松崎:「自分勝手に自惚れて、裏切って出て行った事を謝って、戻りたいとお願いしました。そのとき東コーチに、『テニスが上手いだけのお兄ちゃんにはなるな』と言われました。人として僕がとった行動がどういう事だったのかに気付かされました。17歳のこの年が、テニス人生の2度目のキーポイントだったと思います。」
(シード順で全日本の関東枠に掛かり切符は手にする)

TT:「その後のマリーナでの取り組みを聞かせてください」
 

松崎:「まず目標を『日本一になる』と明確にしてプロジェクトを作りましたが、僕には色々と課せられました。まず毎日テニスノートをつけること。マリーナに行ったら真っ先にコーチに挨拶してノートを提出、その後クラブの掃除を30分から1時間した上で、練習2時間、トレーニング2時間。ノートは家で書ききれなければ授業中にも書いて、放課後マリーナに行く繰り返しです。」

TT:「練習時間は少ないようですね。」
 

松崎:「正直、最初は何だこれって思いもしました。でもノートを書くことも、掃除することも、やっていくうちに感謝の気持ちを感じるようになっていきました。『テニスが上手いだけのお兄ちゃんにはなるな』と言われた意味が分かってきたんです。」

(懸命に取り組む2年間、目指すは「日本一」)

TT:「リスタートして臨んだ高2ですが・・」
 

松崎:「関東止まりでした。コーチには『人間の成長がテニスの成績にも映る。もっともっと真摯に取り組まないといけない』と指摘されて、高校の残り一年をもっとしっかりと取り組むことになりました。」

TT:「具体的な取り組みはどういうものでしたか」
 

松崎:「その年の全日本ジュニアU18は、同期(で高2)の今井と栗林の決勝でした。ということは、来年この二人はレベルアップしてまた出てくる。それ以外の同期ももっと強くなる。コーチから課せられたのは、ライバルを徹底的に調べて研究することした。」
 

TT:「具体的には?」
 

松崎:「プレーのパターンをしっかり研究することです。その上で対戦する時のプランまで作るよう指導されました。」
 

TT:「ものすごいエネルギーですね。」
 

松崎:「その原動力はライバルの決勝進出と、マリーナからいただいているサポートに対する感謝の表し方は、行動で示す以外にない、与えられた課題をやり切る事、自分ができる全てをやること、自分が頑張る事が恩返しになると思ってました。」

(2年間の努力が実った瞬間)

TT:「そして高校最後の全日本ジュニアは見事優勝。日本一の目標を達成しましたね。記憶に残っている試合を教えてください。」
 

松崎:「それが・・あまり覚えていないんです・・(一緒にドロー表を眺めながら)そうだ、準決勝はすごい暑い試合でした。第一セットはタイブレークで取って、第二セットは5-1僕のサーブまで行ったところで足が攣ったんです。どうしようかと思ったんですけど、手打ちのサーブを打ったら全部エースになって勝った試合でした!決勝はめちゃくちゃ緊張していて、アップした後から本当に記憶に残ってないです。でも全く負ける気がせずに試合してた覚えだけはあるので、よく言うゾーンに入っていたんだと思います。」

(全日本ジュニアを制し葉山町で表彰)

大学テニス、そしてプロへの迷い

TT:「高校日本一になって、すぐプロ転向の道は考えませんでしたか?」
 

松崎:「考えませんでした。もっと色々な事を学びたいと思っていましたから、大学には行きたいと考えていました。そこで早稲田を志望しましたが、部長推薦枠は他の選手で埋まっていましたので、自己推薦で受けることにしました。ところが足りてたはずの高校での評定が足りずに落ちちゃったんです。それでも早稲田以外は考えていなかったのと、土橋さん(早稲田庭球部監督)が来年待っていると言ってくださったので、浪人する事に決めました。」

TT:「大学でのテニスはどうでしたか?」
 

松崎:「初めて家を出て独り立ちしたこと、個人スポーツなのに団体行動すること、特に1-2年生はロボットのような感覚になりました。馴染みきれないところがあって、テニスを嫌いになりかけたり、正直、苦しい4年間でした。」

(3年生、王座の優勝決定となったシングルスの勝利)

TT:「そして2017年大学卒業しますが、プロ転向を決めるのにかなり迷いがあったようですね」
 

松崎:「大学のタイトルを取ったらプロになろうと考えていましたが、4年のインカレ室内ダブルス準優勝、シングルスは3年のインカレでベスト8、4年でベスト16。タイトルには届きませんでした。フューチャーズでもダブルスで何回かベスト4には入りましたが決勝までは行けませんでした。周りは就職して行くし、でも僕はここまでテニスをやってきてプロにならないのは勿体無いんじゃないか、でもインカレも取れずにプロなど大丈夫かと、進路を決めかねていました。

(大学の試合や様々な試合でペアを組んだ後輩であり良き友人である河野さん)

大学院に行くことも一時期は真剣に考えて勉強を始めてみたりもしました。そんな中の(2017年)2月に、大学がITFインドネシア大会の遠征に帯同してみないかと言ってくれたんです。かなりラフな感じで試合にもでたらポイントが取れたんです。それまでラケットは置いていましたけど、やっぱりこっちが楽しいなと感じました。お金とか現実的な事を考えるとテニス選手は簡単じゃないと分かってましたが、テニスができるのも若いうちだし、期間を3年間、27歳にまたその後の進路を考えると決めて(2017年)6月にプロ転向しました。この23歳が3つ目のキーポイントの年になりました。」

(迷う進路に方向性をつけられた、卒業直前のインドネシア遠征)

コーチの言葉と感謝を胸に!

TT:「最後になりますが、今後のサーキット転戦への展望をお聞かせください。」
 

松崎:「国内には止まらず、できるだけ海外の試合を転戦したいと思っています。これはテニスの試合だけではなくて、海外に行くことで別の価値観や見聞を通じて人生の糧にして行きたいとも思っているからです。『テニスが上手いだけのお兄ちゃんにはなるな』とコーチに言われた言葉に従って、人として成長していきたいと持っています。」

(片山翔選手とのペアリングでグアムフューチャーズ複準優勝)

TT:「改めて、高校の時に逗子マリーナに戻ってよかったですね。」
 

松崎:「はい。僕は東コーチをもう1人の親父だと思っています。一生懸命プレーすることで東コーチや両親、サポートしてくださった方々への恩返しがしたいです。」

最後に一言とサインをいただきました。

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写真提供:

松崎勇太郎選手

早稲田大学

ご協力ありがとうございました。

聞き手:Tennis Tribe.JP 新免泰幸

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