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守谷 総一郎

「強気で冷静」

· Players

今回ピックアップするのは、ジュニア時代に溢れるセンスで頭角を現すも躓き、プロ転向直後も戦績は低迷。環境を変えたこの2年でかつての輝きを取り戻しつつある、思い切りのいいシングルバックハンドで魅力的なプレーを展開する、守谷総一郎選手です。

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インドア派?

Tennis Tribe.JP(以下、TT):「宜しくお願いします。早速ですが、テニスとの出会いについて教えてくださいますか。」
 

守谷総一郎選手(以下、守谷):「こちらこそ宜しくお願いします。幼稚園の時に友人に誘われて、近所のテニススクールに無料体験に行ったのがきっかけです。インドアだし、気に入って入会しました。」

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(テニスはいつも飛び級でお兄ちゃん、お姉ちゃんと)

TT:「『インドアだし』ってその頃は美肌を目指してたんですか?(笑)」
 

守谷:「いや、今でもそうなんですけど僕はアレルギー持ちで、日光とか食べ物とかには気をつけないといけないんです。インドアで水泳もやったんですけど、水がイヤでテニスをすることにしたんです。」
 

TT:「これは失礼しました。野球とかサッカーもやりたい時期だったでしょう。」
 

守谷:「日光が全くダメというわけじゃないので、サッカーは好きでやってました。問題は食事で、年に1−2回はアナフィラキシー(全身に現れるアレルギー反応)起こして運ばれてました。今は何を摂取して良いか悪いかわかるので、稀に救急車で運ばれるくらいです(笑)」

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(膝に巻かれた包帯が痛々しい。アレルギーが怖かった。)

TT:「笑い事じゃないです(汗)それで、テニスの方はどうでした?」
 

守谷:「飛び級で中学生のクラスでやってましたので、いつもテニスはお兄ちゃんお姉ちゃんとの練習でした。」
 

TT:「なるほど、その頃にはすでにセンスを発揮していたわけだ。大会などは覚えていますか?」
 

守谷:「印象深いので覚えてますよ。町の大会でしたが、初めて出た大会で優勝しました。しかも優勝の瞬間が、僕の誕生日の誕生時間の午後4時で、両親が大騒ぎしていたので覚えてます。その後は東京都の小学生大会の4年生以下でベスト4くらいまで行けたと思います。」
 

TT:「そこから頭角を表すわけですね。」
 

守谷:「その後、もっと上手くなりたいならということで、小4の時からジュニアチームのあるクラブに通うようになって、小6で全小、全国選抜、全日本でベスト4でした。」

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(小6の全小ベスト4。ここから全国レベルの選手へ)

今日からシングルバックハンド!

TT:「一気にトップジュニアですね。」
 

守谷:「中1から桜田倶楽部に移って、RSK全国選抜で優勝できました。ところがその頃、あまりやってこなかったトレーニングをやり過ぎて、足を疲労骨折しちゃったんです。優勝者はワールドジュニアの選考会で必ず選ばれるのに、漏れてしまいました。『後にも先にも守谷だけだ』って今だに言われます。」
 

TT:「せっかくの大舞台のチャンスをそんなことで逃すとは、不運ですね。」
 

守谷:「ぽっかりと穴が空いてしまった感じで、そこでバックハンドをシングルにしました。」
 

TT:「ハイッ??」
 

守谷:「中2になって、修造チャレンジの最中でもあったんですけど、シングルバックハンドに憧れていたんですよね。勝てなくても良いからやりたいようにやってみようって。」
 

TT:「昨日までダブルハンドだったのに、今日からシングルハンドみたいな?」
 

守谷:「そんな感じですね(笑)。ダブルハンドでもスライスはシングルハンドになりますから、実際にはスライス9、トップスピン1な割合でした。あとはフォアハンドに回り込んでブン回す感じで!」
 

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(中1まではダブルのバックハンドだった。写真は小6の中国遠征時)

TT:「その後の活躍をみれば、この変更が戦績に影響してなさそうですね。」
 

守谷:「そうですね。中3では全中で優勝できましたし、中1で選ばれたナショナルチームにその後も在籍して活動していましたので、プレーのレベルを下げることにはならなかったと思います。」

天国と地獄の高校時代

TT:「このレベルまで行くと、多くの選手の進路としては通信制高校がありますが、お調べすると普通の全日制の大成高校。」
 

守谷:「僕は学校で友だちを作りたかったので、通信制に行こうとは思っていませんでした。でも、周りからは守谷は全日制に行かないって思われていたみたいで、どの高校からも推薦をいただくことはありませんでした。そんな時に、一つ先輩の綿貫敬介さんが大成高校に行っていて、来ないかって声をかけてくれました。桜田倶楽部とも両立できそうでしたので、行くことに決めました。」

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(ジュニアデビスカップ、日本チームは史上初優勝)

TT:「高校でも素晴らしい成績を残しましたが、思い出はどうですか?」
 

守谷:「何と言っても高1でジュニアデビスカップに出て、優勝できたことです。内田海智とダブルス組んで戦いました。準決勝のフランス戦では相手に『Allez(アレッ)』って言いまくってました。今思えばクソなこと言ってますよね(汗)」
 

TT:「そうですね、それはXX(控えます)ですね。ところで、高校生活はどうでしたか?」
 

守谷:「ナショナル(日本代表)は基本公欠扱いになるとは言え、高1の時はあまりに多すぎて問題になりました。デビスカップも日本初の優勝だったので、学校も仕方がないと認めてくれました。」
 

TT:「もし優勝できていなかったら・・?」
 

守谷:「高校で留年だったかも・・です(汗)」
 

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(JAPANを背負って戦ったジュニア時代)

TT:「さて留年の危機もあった高1の頃は、全豪ジュニア予選など輝かしい戦績が、高2から聞こえなくなります。何が?やっぱり留年??」
 

守谷:「いや、それはですね、高2でナショナルを外されてしまったんです。高1のナショナルの遠征で***(大人の配慮)***しまいました。桜田倶楽部にも報告されましたが水に流すチャンスをいただけたのに、応えられなかったんです。準優勝の表彰では、ぐしゃぐしゃに泣いている僕を周りは負けた悔し涙と思っていたそうですが、そうじゃなかったんです。」
 

TT:「そりゃ、波乱万丈なことで・・。」

JOPで貯めた元手でプロ転向

TT:「さて、高3になって次の進路を考える頃。結局プロの道を選びましたが、そこまでの道のりを教えてください。」
 

守谷:「高1のデ杯からプロを意識するようになっていました。高3では桜田から移った先のコーチから、『プロになるならスポンサーをプッシュするのでインターハイと全日本ジュニアで成績を出しなさい』と言われていたんです。結果は全日本シングルスベスト8・ダブルスベスト4、インターハイはダブルス準優勝でしたが、シングルスはベスト4。推していただける成績にはなりませんでした。実際、僕の当時のプレーはパワーもなくて、器用さで勝ち上がっていたので、ベスト4が限界だったんでしょうね。コーチはそれを見抜いておられたと思います。」
 

TT:「では大学も視野に入ると思いますが。」
 

守谷:「はい。大学を真剣に考えて、親や高校の監督にも相談していました。でも監督からは、『高3の夏に成績が出ないことを理由に大学進学に逃げるくらいの覚悟だったのか?』と言われまして、父親からも『大学はいつでも行けるがプレイヤーは今しかできないものだから、やってみろ』と背中を押されました。」
 

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TT:「そうは言ってもスポンサーがなければ競技活動を続けるのは難しいでしょう。」
 

守谷:「その通りです。でも、高2でナショナルを外れた時から国内のJOP大会で貯めた賞金と、両親と祖父が大学4年の歳までは面倒を見てやると言ってくれて、プロ選手でやって行くことに決めました。」
 

TT:「ということは、この4月からは親の支援がない中で活動しているんですね。」
 

守谷:「はい、そうです。メインスポンサーは探していますが、見つけるのは簡単じゃないです。」

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(あまりオフの写真は撮らないので、貴重なショット)

スクラップ&ビルド=確信

TT:「プロになってからのお話を伺います。プロ転向後3年間は1000位台で下降線。それが、2016年から突然800位、そして今年は最高位725位まで上がります。何が?」

守谷:「プロ転向の時からMTSテニスアリーナ三鷹でお世話になっていましたが、(MTS主宰の)増田コーチから僕にはもっと根本的なところからの作り直しが必要だということで、東京の家を離れて、住み込みで甲府の石井コーチ(石井テニスアカデミー)の元でマンツーマンでやり直すことにしました。その結果が出てきたのが去年だと思います。」

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(石井コーチと意見をぶつけ合い、一つ一つ作り上げていく日々)

TT:「コーチにもお話を伺いました。それまでフラット系のストロークで、鋭いけれどミスも多く、何でもできる器用さで逆に自滅してしまう傾向があったのを、スピンをしっかり掛けた軌道の高いボールを打てるようになってから、一気に安定感が増してきたとおっしゃってました。」
 

守谷:「その通りですね。」

TT:「2016年から成績上昇に繋がるターニングポイントを教えてください。」
 

守谷:「そうですね、8月のインドネシア遠征の1週目で1回戦負けでしたが良い感覚がつかめたんです。『こうすれば勝てるんじゃないか』っていう。その後、インドネシアの3週目で1週目に負けた相手に再戦してリベンジできたんです。9月のベトナムでは今まで勝てなかった選手に勝って準決勝に進めました。その頃には、『こうすれば勝てる』という確信に変わってきました。負けていても、『こうやっていれば何とかなる』と思えるようになって、冷静に周りを見渡せるようになっていました。」
 

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TT:「駆け上がって行く選手が共通して、冷静に見渡せるようになったと言います。」
 

守谷:「はい。それでも、まだ準々決勝(ベスト8)の壁があります。」
 

TT:「今年6試合でベスト8。安定してそこまで行けるとも言えるのではないでしょうか。次のレベルとしてチャレンジャー大会はどうでしょうか?」
 

守谷:「今は足らないものが多いので、フューチャーズでもう少し勝てるようになって、試したいと思った時に出ようと思ってます。」
 

TT:「それにしても、ダブルスは今年すでに3勝、準優勝3回。」
 

守谷:「ネットプレーは好きなので、得意意識がありますね。ダブルスでやって行こうって考えることもなくはないくらいです。」

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(ダブルスでの勝利は先行する)

魅せるプレー

TT:「話を変えましょう。目指すプレーはどういうものですか?」
 

守谷:「魅せるプレーを目指したいですね。そうは言ってもいざ試合になると結局泥臭いプレーになっちゃうんですけど。余裕があったら出せると思うので、そういうレベルでプレーできるように力をつけたいですね。それと、ネットプレーは好きなので、ラリーからアプローチしてボレーという流れの真ん中を飛ばして、知らぬ間にネットを取ってるというプレーもしたいです。」
 

TT:「もちろん、華麗なバックハンドもね!」
 

守谷:「そうですね!特にダウンザラインは決まれば相手も警戒するようになるので、ゲームではとてもインパクトのあるショットと思います。それも見ていただきたいですね!」

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(必殺のシングルハンド・ダウンザライン)

TT:「選手像として目指す姿はありますか?」
 

守谷:「『あいつは何でもできる選手だ』って言われるようになりたいです。器用なプレーができるので、相手が『それを打ってくると思わなかった』って驚く顔をするようなプレーをしたいですね。」

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TT:「最後になります。今後の選手としての目標を教えてください。」
 

守谷:「シングルスではまだ先を見通せる状況にないので、1−2年しっかり経験を積んでいきたいと思います。ダブルスではグランドスラムでの優勝を目指したいです。シングルスではまだまだ言えませんが、ダブルスだと可能性があるんじゃないかって思うんです。」

最後にサインを一言をいただきました。

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写真提供:守谷総一郎選手

ご協力ありがとうございました。

 

聞き手:Tennis Tribe.JP 新免泰幸

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