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尾﨑里紗

「半歩ずつでも前進」

· Players

圧倒的なジュニア戦績を引っさげてプロ転向、そして「94年組」の先頭を切ってグランドスラムシングルス本戦で1勝を上げ、世界ランク最高位70位をつけた尾﨑里紗選手。

しかし、キャリアハイをつけたあとGS本戦圏外に陥落。返り咲こうともがき、葛藤する彼女は、メディアがそれまで取り上げた華々しい姿とは違い、トップ100を目指す貪欲なチャレンジャーそのもの。Tennis Tribe.JPが応援すべき選手のひとりでした。

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一枚のチラシからテニス人生は始まった

TennisTribe.JP(TT):「今日はよろしくお願いします。早速ですが、お話を伺いたいと思います。テニスを始めた年齢は8歳と意外と遅いのですね。多くの選手はそれこそラケットを握って産まれて来たくらいの方が多いのですが。」

尾﨑里紗選手(尾﨑):「よろしくお願いします。そうですね、両親がテニスだけを熱心にするような家ではありませんでしたので、物心ついた時からテニスに触れている環境ではありませんでした。テニスより先にピアノと習字と、剣道もやっていて、むしろ親としては色々な習い事をやらせたいと思っていたようです。

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(テニスより先に色々な習い事をしていた幼少期)

ピアノは発表会に出たり、習字は賞を獲るともらえるメダルを集めていたくらいでした。テニスを始めたきっかけは、2年生の時に学校の前で小学校から5分のところにあるテニスクラブが春の入学キャンペーンのチラシを配っているのを友だちがもらってきて、3人の友だちで体験レッスンに行ったの始まりなんです。」

TT:「それが、出身クラブのロイヤルヒル'81テニスクラブということですか?」

尾﨑:「はい、そうです。結局他の友だちはすぐにやめてしまいましたけど、私は習い事を一つ増やすつもりで週1回のキッズクラスから始めました。」

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(神戸のロイヤルヒルでテニスを始める)

TT:「始めた頃はどうでしたか?」

尾﨑:「いつも楽しくて、はしゃぎながら、ひたすら走らされていたのを覚えています。」

TT:「でもそこから頭角を表してくるわけですよね。」

尾﨑:「どうなんでしょうね。でも、プロになった今も見てくださっている川原コーチから、週1回でやっていた当時に練習をもっと増やそうと誘われていて、4年生からは週3回に増やして、川原コーチとのマンツーマンの練習も始めました。」

TT:「それは、川原コーチの先見の明ですね。」

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(川原コーチとの出会いがその後のテニス人生を運命付けた)

泣いた初戦、3年後に全国制覇

TT:「さて、小学校では全小(全国小学生大会)の優勝で全国のタイトルを獲るわけですが、いつ頃から大会に出始めましたか?最初から優勝しちゃったとか?!」

尾﨑:「まさか、そんなことないです!初めての大会は3年生で出た神戸のローカルな大会でしたけど、1回戦に出る前に怖くて泣き出して、結局試合を棄権しちゃったんですよ!(笑)」

TT:「グランドスラムプレイヤーの初戦が、泣いて棄権とはねぇ・・(笑)次からはちゃんと試合できました?」

尾﨑:「はい、2大会目からは、なぜかケロッとして出てましたね(笑)」

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(すぐに頭角をあらわすも、最初の試合は泣き出したという)

TT:「小学生時代のテニスで思い出に残っている事は、他に何がありますか?」

尾﨑:「やっぱり、全小での望帆(小和瀬望帆さん)との決勝ですね。6-4 0-6 1-5の15-40まで行かれたんです。私は初めての全国大会でしたし、特に自分に期待をしていませんでした。負けていたとはいえ、意外と気は楽だったんですね。逆に望帆は勝ちを意識しちゃったんだと思います。そこから思い切ったプレーができるようになって、ファイナルセットは7-6で逆転勝ちできたんです。」

TT:「テニスの残酷なところだ。」

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(初めての全国大会、全国小学生大会で優勝)

尾﨑:「でもその後の全日本ジュニア(U12)では、準決勝でまた望帆にあたって、ストレートでリベンジされてしまいました(汗)」

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(全日本U12ではライバルにリベンジされる・・)

国内トップジュニア、でも、ちょっとおっちょこちょい

TT:「中学時代に入って、やはり全国トップレベルをキープし続けます。全日本ジュニアは(2007年)U14でベスト4、(2009年)U16では準優勝。」

尾﨑:「U14の大会はラブ(0)ゲームの試合もあるくらい調子がよくて、のびのびやっていたと思います。」

(そのとおりで、一回戦から6-2 6-0、6-0 6-0、6-3 6-0、6-2 7-5と圧倒的な勝ち上がり)

尾﨑:「準決勝の相手の夕季(伊藤夕希さん)はしつこいプレーをしてくるので、リターンダッシュを使ってどんどんネットを取っていくプランを持っていました。でも夕季も対応してきて、逆にこちらのネットでのミスが増えていってフルセットで負けました。(3-6 6-2 6-4)」

TT:「戦術まで、もう10年以上も前の試合を、よく覚えていますね!ちょっとびっくりしてます。じゃ、U16の準優勝の時は?」

尾﨑:「アッコちゃん(大前綾希子選手)ですよね、その大会も本当に調子がよくて、いい勝ち上がりをしてました。決勝はファーストセットも良かったんです。それが2セットから勝ちを意識しちゃって、ひっくり返されちゃいました。(6-3 1-6 3-6)」

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(全日本ジュニアU12以降、押しも押されもせぬトップジュニアへ)

TT:「ジュニア時代、笑えるような話とかありますか?」

尾﨑:「えーっとそうですね・・そうだ、13歳で出た福岡での全国選抜ジュニアだったと思います。一回戦に向けてホテルでしっかり準備して、バスに乗って会場に入りました。コーチと会場で集合したら、コーチがポカンとした顔をしてるんです。」

TT:「時間を間違えたとか?」

尾﨑:「いえ、それで足元を指さされて気がついたんです。サンダルでした(大汗)。ラケバに靴入ってないし、慌ててショップに行っても合うサイズないし、急いで他の方に車で送ってもらって靴を取りに行って、デフォ5分前に戻ってこられました。」

TT:「そんなことにもめげずに、大会を優勝したとか?」

尾﨑:「いいえ(笑)0-6 5-7の一回戦負けでした(汗)」

TT:「あらら・・」

高まる周囲の期待と苦悩

TT:「次の時代に行きましょう。高校ではU16(2010年)とU18(2011年)の全日本ジュニアを単複連続制覇。押しも押されもせぬ、まさに日本のトップジュニアとなりました。周りの環境や自分の意識に変化やプレッシャーを感じるようにはなりませんでしたか?」

尾﨑:「はい、正直ありました。サポートしてくださるスポンサーさんたちとお話をしていると『プロへ』という話が出てくるようになっていて、川原コーチからもプロを目指そうと言われてましたので、私も漠然とですがプロなっていくことを自然の流れとして受け入れるようになって行きました。グランドスラムジュニアに出場したことも、プロになったらここを目指すんだというところから、プロを改めて意識するようになりました。でも同時に、期待を感じるようにもなっていました。全日本ジュニアでは結果は出ていましたけれど、13・14歳の頃のようにのびのびとしたプレーはできなくなっていましたし、実際、苦しみながら勝ち上がりでした。」

(GS Jrは2009年の全豪Jrに初出場、全てのGS Jrに出場し、最高成績は2012年の全豪ベスト8)

TT:「全日制の高校ではなく、通信制を選択したのもその流れになりますね。」

尾﨑:「本当は・・普通の高校に行きたかったんです。制服を着たかったし、友だちもたくさん作りたかった。でもプロを目指すなら練習時間を確保できる通信制以外は選択肢にないということで、私も受け入れて通信制に進学しました。」

TT:「2012年12月にプロ転向、高校卒業を待たずにということになります。高校時代に国際舞台を含めて大きな実績を残したとはいえ、多くの選手が語りますが、いざプロ転向となる他の進路や自分への自信などで悩むことはあったのではないでしょうか?」

尾﨑:「特に大学進学などを考えることもありませんでしたし、迷いは本当にありませんでした。2012年の全豪ジュニアの後、シドニーのITF25000ドルの本戦で当時100位台の瀬間さん(瀬間詠里花選手)に勝ってベスト8に行けたことはとても大きな自信になりましたし、川原コーチが引っ張ってくれていたことと、幸運にもスポンサーさんもついてくださっていたので、不安なくプロに踏み込むことができました。」

プロデビューと順調な滑り出し

TT:「プロとなった実質1年目の2013年にはITF25000ドルでシングルス2勝、ランキングをグンとあげて年末には100位台に載せて行きましたし、全米オープンの予選にも出場しました。この辺りで思い出に強く残っている試合はありますか?」

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(プロ1年目からシングルス2勝、100位台に乗せていく)

尾﨑:「そうですね、その全米の予選ラインに掛かるには、7月のカナダ・グランビー(ITF25K)に優勝しないとならないという大会の決勝かな。相手がとても強くて第1セット0-6でした。でも長いラリーをしていけば崩せると感じていて、ボレーにも出てくる積極的な選手だったんですがロブでかわしたり、スライスを相手のフォアハンドに集めて行ったら、思った通り崩れてくれました。」

(結果は0-6 7-5 6-2で優勝)

TT:「では、初出場となった全米オープン、当時を思い出してみてください。どんな感じでした?」

尾﨑:「帰ってこられたって思いました。でもジュニアの時とはロッカールームも違っていて、改めて、ここで戦うために今までやって来たんだと思いました。」

TT:「予選の初戦は、イタリアのカミラ・ジョルジで、惜しくも敗退でした。」

尾﨑:「それまでもジュニアでは海外の選手と対戦していましたが、ジョルジのボールの速さと重さはどの選手も比べ物にならないもので、完全に圧倒されて完敗でした。ここで戦うんだって思う一方で、こんな選手たちと戦うところなんだというのも痛感したのをよく覚えてます。本当にすごいスピードと重さでびっくりしました(苦笑)」

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(2014年アジア大会に日本代表として出場)

TT:「2014年にはフェドカップ日本代表として戦いました。いかがでしたか?」

尾﨑:「ジュニアのフェドカップの経験もありましたけど、やはり国を背負うという責任感の重みは全く違うものでした。私は勝敗が決まった後のダブルスに青山さん(青山修子選手)と組んで2試合に出場しました。青山さんにサーブのコースも全部決めてもらって、私はその通りにやっていたら勝ってました(笑)」

TT:「さすが、ダブルスのスペシャリスト。」

尾﨑:「そうだ、オランダ戦では川原コーチの応援がすごくて、それにつられてオランダも応援が激しくなって、応援合戦みたいになったんです。」

TT:「フェドカップは、どの時代にもそういう熱〜い応援をしてくれる関係者っているもんですよね(笑)」

(残念ながら応援団長川原コーチの写真はありませんでした・・^^)

上位に臆することなく掴み取ったトップ100

TT:「その後ランキングを上げて2017年には70位。順調に行ったように見えますが、どうだったのでしょう。」

尾﨑:「そうでもありませんでした。130位から上に行けない、もどかしい時期もありました。それが、何かズレていたものがはまるような、プレーとポイントが自然と噛み合ってくるような感覚になっていきました。逆に、頭でいろいろ考え過ぎている時は身体の動きがぎこちなくなり、いいプレーが出来ないことも分かってきました。」

TT:「いわゆる、ゾーンという心身の状況なのかな。」

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(アメリカ・インディアンウェルズ大会のストリングルームにて)

尾﨑:「そうなんでしょうか。吹っ切れた感じがあって、その時期はそれまでは格上に対して引いてしまっていたのが、私も対等に戦えると感じるようになっていて、Washington(2016年7月WTA International大会)でスティーブンス(Sloane Stephens)や、Nanchang(2016年8月WTA International大会)でスキアボーネ(Francesca Schiavone)に勝って120位台に入って行けました。」

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(東レPPOでのキッズイベント。国内トッププロとして、ファンサービスも欠かせない)

TT:「2017年、グランドスラムに次ぐ格式のWTA Premier Mandatoryマイアミ大会でベスト16をマークした後、キャリアハイの70位。予選を突破して本戦4回戦では当時世界1位のケルバー(Angelique Kerber)に2-6 2-6でした。この大会を振り返るとどうでした?」

尾﨑:「マイアミのコートとボールが自分と相性がいいというフィーリングを持っていました。この大会ではずっとクロスボールで相手を追い出してオープンコートを作るのがうまくいってました。緩急をつけたり相手が嫌がるショットを必要な時に出すことができてもいました。ケルバー戦は、ケルバーってボールは遅くてしつこいのに、ここという所ではタイミングを早くしてカウンターを打ってくるプレーをしますが、それについて行けませんでした。相手をよく見ているんだなと思いましたし、体格が大きくない私にとってもお手本になるなと感じました。」

TT:「2017年は4大大会全てで本戦出場、全米ではついに1回戦を突破しました。」

尾﨑:「全米の1回戦突破は、夢見ていたことだったので、今までそんなことなかったんですけど勝った瞬間にラケットをコートに放り出して相手と握手をしてました。それくらい嬉しかったです。」

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叶えた夢、見失ったモチベーション、新たな目標

TT:「しかし、その後ランクを100位圏外に落としてしまいました。」

尾﨑:「実はウィンブルドンの頃から左手首に痛みを感じていて、騙し騙しやっていたんです。全米の後も治療をしながら大会に出続けていきましたけれど、結果は悪くなる一方でした。2018年の初めには、どんな相手にも勝てる気がしなくなくなり、それなのに勝っても負けても試合は毎週あるし、ツアー回るのはしんどいし、・・なんて考える悪い渦に巻き込まれてしまった感じです。100位内に入って、グランドスラムで勝利して、ジュニアの頃から目標にしていたことが叶ったことで少し達成感を感じてしまったのかなって思います。」

TT:「キャリアグランドスラムを達成したあとのジョコビッチと同じだ。」

尾﨑:「全っ然レベル違いますけど(笑)・・でも、何をモチベーションにしたらいいのかちょっと分からなくなってしまったのかもしれません。」

TT:「じゃ、もう一度グランドスラムの本戦に戻りましょう。そして目標を何か作りましょう。」

尾﨑:「そうですね、今まで両親をグランドスラムに呼べていないので、本戦に上がって両親を呼べるようにします。」

TT:「その目標、短期的には素晴らしいけど、もっと先を見ましょう!」

尾﨑:「目標って、達成するにしてもそれが壁になってしまいそう。なので、私は目の前の一戦一戦、一球一球を大切にしていくことを目標にします!」

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(ITF大会からトップ100へ再チャレンジ。左目に打球を受けてアザを作ってしまい、左半面はNGということで 笑 )

TT:「最後になりますが、こんなテニスプレイヤーになりたいというのはありますか?」

尾﨑:「プレースタイルとしては、ハレプのような、しつこくて重たいスピンを打てて、ガッツのある選手を目指したいです。」

TT:「選手像としてはどうでしょう?」

尾﨑:「トップに行っても気軽に話せる選手になりたいです。」

TT:「その素質、ありますよ。頑張ってください!」

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一言とサインをいただきました。

尾﨑:「『一歩ずつ前へ』じゃ平凡ですか?」

TT:「そうかもね。」

尾﨑:「じゃ、『2歩進んで1歩下がる』は?」

TT:「下がっちゃうのはねぇ〜」

尾﨑:「そうしたら、『半歩ずつでも前進』!」

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尾﨑里紗選手への応援メッセージは、Instagramのコメントでお待ちしています。

最新の情報は公式サイトからも。

写真提供:

山下潤さん

尾﨑里紗選手

ご協力ありがとうございました。

聞き手:

Tennis Tribe.JP 新免泰幸