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関口周一

「やればできる!」

· 男子プレイヤー

今回お話を聞くのは、ジュニア世界ランキング最高5位をマークし、現在チャレンジャーを軸に転戦を続けるプロ8年目を迎えた関口周一選手。

着実に国内のトップレベルをキープし続けるも、もう一歩グランドスラムに届かない・・と思ったらサインインしていればウィンブルドンの予選に出場できていたという、笑うに笑えない経験の持ち主です。

関口周一選手

(Team REC所属)

タイでほぼ独学のテニス

Tennis Tribe.JP(TT):「よろしくお願いします。関口選手の名前は以前から知っていましたが、なかなかお目にかかるチャンスがありませんでしたね。では早速ですが、テニスを始めたきっかけから始めましょう!」

関口周一選手(関口):「はい、よろしくお願いします。小さいころは家の前の広場で野球をしてましたが、親の仕事で幼稚園の年長の年からタイのバンコクで生活することになって、現地でテニスを始めました。タイでは日本人の間でテニスが盛んだったんですが、コートまで行くのが怖くて、泣きながら練習に行っていたのを覚えています。よく考えたらコートまで現地の人が車で送り迎えしてくれるので、夜道を一人で歩くわけでもないので何が怖かったのかわからないですけど(笑)」

(タイで始めたテニス。ひたすら球を打つ毎日)

TT:「タイには現地赴任している日本人向けのテニススクールもあると聞いたことがあります。」

関口:「僕が行っていたのは特に日本人向けというわけではなくて、タイ人のコーチからプライベートでレッスンを受けていました。今から思えば専門的に教えてくれるものでもなかったので、コーチというより、片言の日本語が話せる、ひたすら球出しをしてくれる人という感じでした。ボールも、ボール拾いの人がいるので、拾う必要がないんです!」

TT:「ひたすらボールを打てるとは、贅沢な。。」

関口:「テニスを始めて半年くらい経った7歳頃に初めて大会に出て、8歳で出た大会でベスト4に残ったのを覚えています。その勢いで、小さいながらに『プロになるんだ!』って思い込んでいましたね。」

(『プロになる』と、小さいながらに心に刻む)

TT:「ひたすら球出しということですから、特に教えてもらうこともなく、自分で学んでいったわけですね。」

関口:「はい、自分なりにグリップとか試合の仕方を研究してやってました。当時は『日泰ビデオ』というビデオレンタル屋があって、そこで借りた1999年のオーストラリアンオープン決勝のビデオを繰り返しみてました。女子はヒンギス対モレスモ、男子はカフェルニコフ対エンクビストでした。(鈴木)貴男さんがコレチャにあと2ポイントまで追い詰めた試合もあって、よく覚えてます。」

TT:「小さいなりに選手を繰り返し見て研究していたんですね。」

関口:「99年のフレンチオープン決勝のアガシも繰り返し何度も見てましたよ。2セットダウンからの逆転優勝の時です。すっかりアガシのファンになって、バックハンドは真似て打ってました!」

プライドもトロフィーも捨てろ

TT:「さて、その後日本に戻ってこられたわけですが・・」

関口:「はい、小4の2学期から(神奈川県)海老名に引越しをして、テニススクールに行きました。でも、タイではひたすら打てたのと比べると全然球数を打てなくて、すぐに他を探して、家の近くにあったファーイーストジュニアテニスアカデミー中央林間の強化クラスで練習するようになりました。年の近い世代には強い選手も多くて、中にはワールドジュニア(14歳の国別対抗戦)にも選ばれる選手もいたので、憧れていましたし、刺激になりましたね。」

TT:「その後は順調に成績を出して行ったようですね。」

関口:「そうでもありませんでしたよ。小5の全国選抜の関東予選では、ヤス(江原弘泰選手)に負けて全国に行けませんでしたし。全国に初めて行ったのは小6の全小です。ベスト4でヤスに今度は勝ちましたが、決勝では鈴木昴にスコボコにされて負けました(60 63)。」

TT:「それにしても一気に決勝とはすごい成長です。」

関口:「この大会、左手の小指を骨折していたんです。当時教わっていた白田コーチに、左手の負担にならないようにバックハンドスライスの練習をしてもらって、試合でどう使うかを教えてもらいながら臨んでいました。それを忠実にやっていったら、勝ち上がって行けました。」

(全小、片手のスライスで勝ち上がる)

TT:「その後、中学生からはナショナルメンバーにも選抜されました。」

関口:「そうですね。ワールドジュニアは色々と勉強になりました。団体戦を戦うということで、我慢のテニスを覚えました。それまではミスが多く淡白だったのですが、走って、繋ぐところは繋ぐというプレーを覚えました。その後の全国選抜U14は優勝できて、初めてのタイトルになりました。」

(全国選抜U14優勝。写真は14歳の関東予選)

TT:「何か思い出に残っている試合とか大会はありますか?」

関口:「ん〜そうですね。。そうだ、デフォ(棄権)しかけたことがあって(汗)」

TT:「面白そう。教えてください(笑)」

関口:「関東選抜でのことですけど、試合開始時間をうっかり間違えちゃったんです。9時スタートの試合でその時間にはまだ車に乗って会場に向かってました。時間を間違えたことに気がついて、コーチがとんでもない運転で急いでくれる車の中で着替えして、会場についたら9時13分。あと2分でデフォを宣言するところだったらしいんです。遅刻のペナルティとしてゲームカウント0-1からのスタートになりました。もう頭が真っ白だったんですけど、逆にそれで試合に集中できたみたいで、8-1で勝ちました!この大会は一度は死んでると思って、思い切った試合をすることができたのが良かったのかもしれませんね。」

TT:「ところで、ナショナルに選抜されたことは、その後の自分のプレーにプレッシャーとして影響しませんでしたか?」

関口:「あったと思いますし、自惚れてしまったところもあったかもしれません。コーチにはプライドは捨てろ、トロフィーすら捨てるくらいの気持ちでいろと、何度も何度も釘を刺されました。」

(USオープンジュニアはじめ、全てのGSジュニアに出場)

『やめておけ』とプロ転向を制される

TT:「さてその後ですが、16歳でジュニアデビスカップに出場して、18歳では1年の内にジュニアグランドスラム4大会すべてに出場しました。プロ転向への意識は、どのあたりから具体化していったのでしょう?」

関口:「ジュニア卒業までに、2つを達成したら自信をもってプロになろうと考えていました。一つはワールドジュニアのトップ10に入ることで、これは5位に入りましたので達成しました。もう一つはU18で全日本ジュニアのタイトルを取ることでしたが、これは叶いませんでした(準優勝)。」

TT:「それでも、4大大会にも出場で、十分な自信を持ってもいいと思うんですが。」

関口:「グランドスラムに出られたことは、経験として貴重な財産と思いますが、あくまでジュニアはジュニアです。プロへの転向を簡単に決められる材料とは考えていませんでしたし、その頃は本当に悩んでしまって相当イライラしていました。」

(2009年アジア選手権)

TT:「大学への進学を経てプロになっていく進路も考えましたか?」

関口:「いえ、大学に行った後の自分にはノーチャンスと思っていましたので、プロになるなら高卒のその時しかないと考えました。」

TT:「コーチや周りはどうお考えだったんでしょう?」

関口:「親はやりたいようにやればいいと言ってくれていまいたが、コーチはプロには反対でした。『やめておけ』と何度も。練習で振り回しの後にも『こんな事をやり続けられるのか?』って。毎回泣いてましたね。完全に50/50で決めかねていました。でも、テニスが好きだし、自分の気持ちに素直に進んでいこうと決めて、プロ転向を決意しました。コーチの発言は、そんなことも跳ね返せないくらいならプロにならない方がいいという事だったんだと思います。」

(トレーニングを兼ねてボルダリング!)

順調なプロの滑り出しも・・

TT:「2010年プロに転向、東京(Japan F1)、甲府(F3)で準決勝、つくば(F4)では決勝進出。1年目から500位台をマークして順調な滑り出しだったようですね。」

関口:「出だしはスポンサーがついていなかったので、資金的に海外遠征に回れないので国内を中心に回ってました。その後スポンサーもついていただきましたが、それでも資金的には楽ではないので、一度は父親がまたタイに転勤していた時には家に泊まってフューチャーズに出て、でも帰ってくる旅費が勿体無かったのでそのまま残って3週後のチャレンジャーに出たりもしてました。」

TT:「2年目の2011年はどうでしたか?ランキングは下がってしまってます。」

関口:「前の年に勝ち上がった甲府やつくばの大会が、東日本大震災でキャンセルになってしまったんです。他の海外の大会に切り替えることも時間的にできずにポイントをディフェンドするチャンスもないまま下がってしまったんです。でもいいニュースもあって、その年に三菱電機さんにスポンサーをいただけるようになって活動幅を広げられるようになりました。」

TT:「その後、2013年に200位台、現在のキャリアハイは2014年の259位ですから、一本調子に上げて行っている様子がうかがえます。」

関口:「でもその2014年は実際には厳しい年になりました。」

TT:「確かにランクは400位台まで下がっていますが・・」

関口:「そのあと、自転車で事故にあって全治3ヶ月の手首の怪我をしてしまったりで、ポイントを落としてしまいました。そんな年に「テニスプロはつらいよ(光文社新書・井山夏生著)」を出しました。読んでみてください(笑)」

TT:「あ、その本は読みましたよ。プロテニス選手の生活の実態がよくわかりました・・」

関口:「2014年はその後イカイさんに半年間の契約ということでお世話になって、2015年からは今のTeam RECです。」

(2015年からTeam RECの一員に)

チャレンジャー、そしてグランドスラムへ

TT:「これまでの出場大会を見ていきますと、同じランクにいる他の日本人選手よりも、積極的にチャレンジャー大会あるいはATP大会にトライしていることがわかります。」

(ATPアトランタ大会予選)

関口:「どのレベルの大会に出るかは選手それぞれの考え方次第だと思いますが、僕がチャレンジャーに出ているのは、上位シードでも決して勝てない相手ではないと思っているからです。それと、チャレンジャーは元々トップレベルにいた選手が出てたりしますので、そういう選手がどう戦うのかも参考になります。全体に、トーナメント中の時間の過ごし方やウォームアップやトレーニングをとっても、時間の使い方がフューチャーズ大会の選手より有効に使っているように思います。フューチャーズに出てしっかり勝ちきることも大切ですが、チャレンジャークラスのことを知らないと、そういう準備もできませんから僕はバランスをとってフューチャーズとチャレンジャーの大会を選んでいます。」

TT:「プロ選手として、こうありたいとか、こんな選手になりたいというのはありますか?」

関口:「僕、自分に派手さがないなって思っていて、悩んでます(笑)」

TT:「そうですか?」

関口:「試合会場で、ファンの方からよく他の選手に間違われるんですよね。僕そんなに印象ないですか?プレーに派手さがないからかな。。何かないですかね、目立つこと・・・(笑)」

TT:「最後になりますが、今後の目標を聞かせてください。」

関口:「そうですね、全日本選手権のタイトルはやっぱり欲しいです。それとグランドスラムの予選出場は当面の目標です。」

TT:「ランク的にはグランドスラム予選に出ても不思議でないところまではきているんですけどね。」

関口:「そうなんです。一度は全豪の予選に現地に行ってサインインして2番落ちがありました。2014年は鼻っからダメだろうと思って現地に行かなかったウィンブルドンの予選で、自分より下のランクの選手の下に(出場ラインの)破線が引いてありました・・(汗)」

お話の最後に、サインと一言をいただきました。グランドスラムもファンに印象を持ってもらうことも、「やればできる!」です。頑張ってください!

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写真提供:関口周一選手

ご協力ありがとうございました。

 

聞き手:Tennis Tribe.JP 新免泰幸

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