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牛島里咲

「勝負を楽しむ!」

· Players

インカレ単複二冠、インターハイ、全日本ジュニア、全中のシングルス優勝と、ジュニアの主要タイトルを全て獲得してきた選手。

こんなすごい経歴から、どんな選手像が見えてくるでしょう?

体育会でスポ根、色黒で屈強な選手のイメージでしょうか。

今回お話を聞くのはその期待(?)を完全に裏切り、小さくて華奢で、色白な可愛らしい容姿。

近くにいても、そんなすごい経歴を持つ選手という威圧感というか、雰囲気を漂わせない。

ただ、彼女の知人は「負けず嫌いは尋常じゃない」といい、そしてインタビューを通じて、たしかに言葉の端々にそれを見つけるのでした(笑)

大学卒業後のプロ転向を決めた、牛島里咲選手に話を聞きました。

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ゲームカウント1-2でも泣いていた、負けず嫌いの片鱗

Tennis Tribe.JP(TT):「筑波大学を卒業して、いよいよプロとして活動開始になりますね。でも大学時代からITFサーキットを回ってらしたので、里咲さんのことは存じ上げていましたよ。」

牛島里咲選手(牛島):「いつもテニストライブ の記事を見ていますので、どんな話をするかイメージはできています(笑)。今日はよろしくお願いします。」

TT:「では話は早い!確か、生まれは北海道の釧路でしたね?」

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(6歳まで北海道釧路市で自然の中で育まれる)

牛島:「はい、6歳まで釧路でした。テニスはしていなかったんですけど、WOWOWでテニスはよく観ていて、興味は持っていました。」

TT:「では、テニスを実際に始めたのは?」

牛島:「親の仕事で(群馬県)高崎に引っ越しをしてから、高崎テニスクラブで始めました。」

TT:「両サイド両手打ちは、やはり高崎出身ですね。」

牛島:「森田あゆみさんもそうですけど、みんな両手打ちからスタートします。でも足が付いていかないとシングルハンドにする人もいますけど、私は足が早かったのでダブルハンドのままで今までやってきました。」

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(高崎で始めたテニスは、すぐに虜になった)

TT:「では小学生で始めた頃のことを教えてください。」

牛島:「下手くそでした(笑)。でも、へなちょこなのに、コートにボールを収める能力だけはあったように思います。」

TT:「結局ボールを返せば負けないのがテニスですからね。」

牛島:「低学年の頃は負けるのがイヤで、よく泣きながらやってました。ゲームが1-1から1-2になっただけで泣いたりして(笑)」

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(負けず嫌いはこの頃からで、賞状を取っても負けは負け、泣いてふてくされることも)

TT:「負けず嫌いの片鱗ですね!テニス以外にも何かしていたんですか?」

牛島:「クラシックバレエをやってました。今はバレエダンサーを見ると綺麗だなって思いますけど、やってる当時はヒラヒラが付いた衣裳がイヤでした。じゃんけんでも遊びでも、負けるのがイヤで、勝ち負けのあるテニスの方に魅かれていました。」

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(小さい頃はクラシックバレエも)

TT:「でも、里咲さんはバレエをやってても似合う気がしますね。」

スイッチが入ったオーストラリアキャンプ、そして全国レベルへ

牛島:「小3の時にゴールドコーストで1ヶ月間のパット・キャッシュのキャンプに参加したんです。小さい時はもっと華奢だったので、現地のパワフルな子たちのボールに吹き飛ばされそうになって返すのも大変だったんです。それもきっかけで、もっとテニスを頑張ろうと思ってバレエはやめてテニスに絞ることにしました。」

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(パットキャッシュアカデミーで、負けず嫌いのスイッチが入った)

TT:「『へなちょこなテニス』も小学生の終わりには全国レベルになりますね。」

牛島:「小5までは下手くそで県レベルでしたけど、小6で全小に出られました。それでも2回戦負けして、『もうテニスやりたくない!』って泣いてました。そしたら、コーチが『コンソレで優勝したらゲーム買ってあげる』っていうんです。で、コンソレに優勝して、本当にDSを買ってもらいました!それからリズム天国をずっとやってました!」

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(ゲーム欲しさか、コンソレとはいえ全国大会で優勝!)

TT:「中学生になってからの成績を拝見すると、中2で全日本ジュニアベスト4、全国選抜でもベスト4、中3で全中に優勝してワールドスーパージュニアやジャパンオープンジュニアへの出場など、一気に覚醒した感があります。」

牛島:「中学2年で選抜ベスト4に入ってから、学校から少し早めに帰って練習量を増やすようになったんです。おそらくそれで上がれたんだと思います。それと高崎での練習と関東ジュニアはオムニコート中心でしたけど、全日本ジュニアとかはハードコートになります。全国に出るようになってハードにも慣れてきたのも、全国で1回戦・2回戦のレベルから、上のレベルの力が付いた理由だと思います。」

TT:「それまでの大会で、印象に残っている試合はありますか?選手によってはスコアまでよく覚えたりするんですが。」

牛島:「スコアまでは覚えていないですけど、そのポイントをどうやって取ったかは覚えていることが多いです。中学時代で記憶に残っているのは、全中決勝のマッチポイントです。相手は(西郷)幸奈で、幸奈がバックハンドのアングルをネットに掛けて決まりました。初めての全国優勝でしたし、はっきり覚えています。でも全日本は全然覚えていないですね。」

TT:「負けず嫌いで記憶から消し去ってるのかも(笑)」

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(今でも思い出深い、西郷幸奈選手<現在プロ>との全中決勝)

プロはイメージしていなかったという高校時代

TT:「全国を制覇した中学時代ですから、高校はプロを視野に入れて通信制でテニスに集中する生活を送るのかと思っていたら、全日制の普通の高校に進学したのですね。」

牛島:「高校は高崎(TC)に毎日夜の9時までずっといました。とにかく練習量が欲しかったんです。でも、プロに憧れはあっても、現実を見る方でどうしても自分がプロになるイメージは持てなかったです。大変そうだし(笑)」

TT:「さて、その高校時代には1年生で全日本ジュニア(16歳以下)優勝、2年生ではインターハイに優勝して、全日本ジュニアは18歳以下で準優勝、おまけにプロサーキット(ITF甲府1万ドル)にも出場して、予選を見事に突破して2回戦進出で初戦からポイントも獲得します。名実ともに再び全国トップレベルに立ちました。」

牛島:「そうそう、2年生の時は(千村)夏実ちゃんとでした。ファイナル5-2 30-0からひっくり返された試合でしたからよく覚えてます。」

TT:「17歳で18歳以下の大会の決勝ですから、勝ちを意識して硬くなってしまったんでしょうね。」

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(一つ年上の千村夏実さんに、土壇場での勝ちたい気持ちで劣ったという)

牛島:「いや、それが緊張も、勝ちを意識した訳でもないんです。本当に夏実ちゃんの方が私より勝ちたい気持ちが強かった。それが理由だと思います。私はやれるベストは尽くせたし、負けは悔しいですけど、納得していました。」

TT:「と、ここまで快進撃を続けてきた高校テニス。やはり仕上げは全日本ジュニア18歳以下の優勝だと思うんです。第一シードで迎えたこの大会。ところが・・」

牛島:「2回戦負け。この年は絶対勝つことを目標にして、朝ランニングとダッシュトレーニングしたり、今から思えばハードワークし過ぎなくらいかなり詰めてやっていました。全日本に向けて、インターハイも欠場しました。それくらい賭けていたんです。ところが、試合では緊張しない方なのに、この時は力が入って頭が真っ白な状態で、気がついたら負けて大泣きしてました。」

TT:「詰めすぎて実際にはピークを持っていけなかったとかは?」

牛島:「実は3年の春から、肘の滑膜ひだ障害という、卓球の福原愛ちゃんと同じ怪我をしていて、半年間まともにサーブを打てない状態ではありました。それもあってインターハイや多くの大会を欠場したのは事実ですけど、全日本はそれだからこそ、優勝したかったんです。結局空回りな1年間になってしまいましたけど、この負けがあったからこそ、大学に行ってからもハングリー精神を持ち続けることができていたんだと思います。もし勝ってたら、落ち着いてしまってたかもしれません。」

迷いなく大学テニスへ

TT:「さて、その大学についてです。確かに3年生は空回りな年だったのかもしれませんが、プロへの転向は視野になかったのでしょうか?」

牛島:「ありませんでした。大学進学は、高校からイメージしながら過ごしていました。王座(大学対抗戦)の盛り上がりを見たことがあって、大学に行って絶対に団体戦をやりたかったんです。それに、学生生活も送りたかったですし。」

TT:「グランドスラムジュニアには実力的には出場していても不思議じゃないのに、それはおろかITFジュニアにも出場していなかったようです。」

牛島:「あくまで大学に行く前提でテニスをしていましたから、グランドスラムジュニアは、そういえば全く意識していなかったです。」

TT:「なるほど。それで、筑波大学を選んだのは何か理由はありましたか?」

牛島:「そうですね、今は他の大学でもそうだと思いますけど、筑波は外(ITF)の大会も自由にやらせてくれるということだったので。それと森崎(可南子)さんのお母さんが一緒にって(笑)」

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(大学でのテニスは高校時代からイメージしていた)

大学の大会で勝てないジレンマ

TT:「大学では、本当にたくさん外で試合をしていましたね。ざっと数えてみましたら、1年生から4年生までで、それぞれ12、18、18、21大会。プロ並みの試合数。しかも注目は1年生で出たITF1万ドル有明でのシングルス優勝や、2年生ITF2万5千ドル軽井沢でベスト4。」

牛島:「いや、有明は私もびっくりしました(笑)何も失うものがないというのはこういうものなのか、本当に伸び伸び、楽しくやっていたら、優勝しちゃいました(笑)。」

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(大学1年、伸び伸びやったら優勝していたITFプロサーキット大会)

TT:「大学時代の戦績を確認すると、ITF大会での活躍は多数あっても、大学の大会では高校までのようにはいかなかったように見受けられます。」

牛島:「そうなんです。大学に行くからにはインカレで勝つことが目標なのに、ITFで優勝やベスト4に行けても、インカレではプレーが小さくなって勝てないことに焦りを感じていました。大学3年で就活を始める頃になると、私もOB訪問をしつつ、プロになることも真剣に考え始めました。でもインカレも勝てないようではプロでも勝てないだろうって思ったりして。。」

TT:「そうでしたか。そうなると、4年生、最後の年にインカレ単複優勝での有終の美は、里咲さんのテニス人生にとっても大きな勝利になりましたね。」

牛島:「本当にそうですね。」

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(念願のインカレタイトルを最終学年で獲得)

大学テニスの頂点へ

TT:「インカレの単複優勝のことを教えてください。」

牛島:「シングルスは4年生になった最初から、トレーナーさんとインカレにピークを持っていくようにウェイトで体作りをしたりしてました。試合に入ると、2−3回戦はいつものガチガチ感でしたが、ベスト8からすっと抜ける感じになったんです。」

TT:「そのようです、準々決勝は 60 61、準決勝は 64 61」

牛島:「決勝はやっぱり勝ちを意識して硬くなりましたけど、最後は気持ちで持っていきました。」(決勝 62 64で、結局全試合ストレート勝ち)

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(笑って勝ちとった森崎選手とのインカレダブルスのタイトル)

TT:「森崎さんと組んで優勝のダブルスはどうでしたか?」

牛島:「ダブルスまで優勝できると思ってなかったです。森崎は、先輩の(米原)実令さんと組んで昨年優勝している実績もあるので、組んでいただけるのは嬉しいんですけどプレッシャーになるので、ずっと『組みたくない!』『やだー!』って言ってたんです(笑)でも私が試合でいない間に、森崎が決めてしまいました(汗)」

TT:「つまり『私と組め』と(笑)」

牛島:「3年のインカレ室内で組んで以来、ほとんどぶっつけ本番だったんですが、自由にやって、本当に楽しくて笑ってばっかりだったのに、気がついたら優勝してました(笑笑)」

TT:「最後の最後に目標とするタイトルを、おまけに二冠で飾る勝負強さには恐れ入りました。これで大学での経験がプロへの決意に花を添える形になりましたね。」

牛島:「はい。目標達成もそうですけど、やっぱり大学に入ってよかったなって思ってます。団体戦でチームメイトを大声で応援したり、いい同期やチームメイトにも巡り会えて、得たものの大きな、いい4年間でした。」

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プロ転向へ向けて

TT:「さ、4月からプロ選手です。どんなプレーをしていきたいですか?」

牛島:「身体が小さい分、ベースラインから下がらずにタイミングで勝負できるプレーをしたいです。それでもパワーは必要ですから、もっとパワーをつけて打ち勝てるようなトレーニングも考え中です!(秘)それに、大学では練習時間が午後5から9時で、ジュニア時代の1/3くらいの練習量でしたから、これから練習量をしっかり取れるので、楽しみにしています。」

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TT:「こんな選手になりたい、という選手像はいかがですか?」

牛島:「私のプレーを見て、目指してくれるような、人間的にも愛されるプレイヤーになりたいです。テニスは、言っても人生の一部なので、人間部分をしっかりしていきたいと思います。」

TT:「最後に、具体的な目標は?」

牛島:「グランドスラム本戦で、上位を狙っていきたいです!」

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(『忙しい卒論の最中にお話を伺いました!』というシーン^^)

最後の一言と、サインをいただきました。

最初に戻って、この選手は本当に勝負が好きなんだという言葉で締めくくりました。

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牛島里咲選手への応援メッセージは、Facebookページでお待ちしています。

最新の情報はInstagramTwitterからも。

写真提供:

北沢勇さん

牛島里咲選手

ご協力ありがとうございました。

聞き手:

Tennis Tribe.JP 新免泰幸