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鮎川真奈

「Fighting spirits !!」

· Players

千葉県野田市にあるロイヤルSCテニスクラブは、国内大会の会場でも知られるクラブ。
そのクラブの令嬢ともなればテニスをするために生まれてきたようなものと思い込んでいました。

ところがご両親は、娘をテニスと無縁でごく普通の、むしろおっとりとした女性になるよう育みます。
 

しかし、得てして親の期待通りにはいかないもの。
彼女はコートに立ち、ビッグサーブを放ち、コートで吠えて感情を前面に出すプロテニス選手となりました。

今回はプロ活動6年目を迎える、鮎川真奈選手を取り上げます。

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鮎川真奈選手

(エームサービス所属)

Tennis Tribe.JP(以下、TT):「ロイヤルSCで育った鮎川選手のことですから、ラケットを握ったまま生まれてきたようなものなのでしょうね。」

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(インターナショナルスクールで、バイリンガルでおっとりした子に・・)

鮎川真奈選手(以下、鮎川):「よくそう言われるのですが、実際は野田では育てられなかったんです。最初は(東京都)江戸川区、その後(千葉県)幕張でしばらく過ごしました。確かにラケットは早くから握りましたけど、親は私に本格的にテニスをさせようとは考えていなかったみたいです。母親がスキーの選手だったので、3−4歳の頃から冬山にこもってスキー合宿をするくらい、むしろスキーに向いて欲しかったようです。幼稚園は英語で話ができるようにとインターナショナルスクールに通っていて、テニス選手どころかむしろおっとりした子になるように育てていたみたいなんですよ。」

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(お母さんとよくスキーに出かけた幼少期)

TT:「それがまた何でテニスの世界に?」

鮎川:「まず私がスキーにそれほど興味が湧かなかったんです。」

TT:「お母さんとしては、残念な。。」

鮎川:「そして、5歳の時にロイヤルの大会で、表彰式のプレゼンターで浅越さんのほっぺにチューをするというのがあって、その時からテニスに惹かれるようになりました。そしてその年に東レパンパシフィックで観たヒンギスのプレーに衝撃を受けたんです。すぐに『ヒンギスになりたい!』って言って、テニスにのめり込んでいくことになりました。」

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(この『チュー』からテニス人生はスタートする)

TT:「ご両親の思いとは裏腹にテニスにどっぷりになっていったわけですね。その後全国レベルに駆け上がっていくわけですが、小6での成績が際立っていますね。全国選抜(U12)で準優勝、全日本ジュニア(U12)のダブルス優勝、全中3位で中国遠征選抜。」

鮎川:「そうでしたね、小学校の私がテニスのピークかも(笑)」
 

TT:「おいおい(汗)」

鮎川:「この時って試合を楽しめていたと思います。勝って当たり前じゃなかったので、ノンプレ(プレッシャーなし)だったんでしょうね。」

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(全国選抜12歳以下準優勝)

TT:「中学生時代の成績もお調べしましたら、中1(U14)で全国選抜4位、全日本ジュニアダブルスベスト4、RSKベスト4。中2でITFジュニア準優勝2回、中3で全中ダブルスベスト4・・まだ出しましょうか(笑)」
 

鮎川:「改めてみてみると、成績は出始めていたと思いますけれど、シングルスが悩みでした。勝ちたいという気持ちが余りに強すぎて、感情をコントロールできないという問題が出てきてしまったのも中学生の頃でした。ラケットを投げたりする私の酷い態度に、コーチに『テニスを続ける気があるか?』と問いただされたこともあるくらいでした。」

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(ラケットは投げないまでも、感情の起伏は少なくはない・・)

TT:「高校は通信制に入ってテニスにどっぷりの生活に入りましたね。さすがにここまで来ると、おっとりした娘にという夢はもうなさそうですね(笑)」
 

鮎川:「はい、両親としては『こうなるとは思わなかった・・』と(笑)」
 

TT:「高校2年ではグランドスラムの全豪ジュニアへの出場を果たしました。」
 

鮎川:「はい。シングルスは予選を3回勝って、本戦で全豪の本会場のコートに立てました。エナンがいてスキアボーネがいて、その環境は本当にスペシャルでした。本戦一回戦でブシャールに負けてしまいましたけれども、絶対ここに戻ってきたいって、心に決めました。」

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(全豪でマレーと。『この時とても優しかったんです!!』)

TT:「高校卒業の年にプロ転向をしましたが、迷いや葛藤はありましたか?」
 

鮎川:「プロを意識し始めたのはITFジュニアを転戦していた中2の頃でした。その後、全豪ジュニア出場など成績が出てはいましたけどシングルスでは思うような成績を出せていなかったので、プロへの気持ちが正直揺らいだ時でした。決意したのは高3の全日本ジュニアの時です。この大会は2回戦で山本ひかり選手に2-6 2-5 30-40、相手マッチポイントから開き直って2-6 7-5 6-2で勝って、その勢いで自己最高のベスト4までいけました。この成績は自信に繋がって、卒業前の12月にプロ登録をすることにしました。」

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(全日本ジュニアシングルスベスト4で、プロ転向の決意を固める)

TT:「それでは、話を2012年末のプロ転向後に移していきましょう。年末WTAランキングは着実に前年を上回る成績を収めています。どう評価されますか?」
 

鮎川:「最初の2-3年は手応えを感じながらやっていました。でもその後のランキングを見てもわかりますがけど、300位台には入れていないんです。300位から500位は同じようなレベルにいると思うのですが、そこから先に上がれるか、一皮剥けられるかだと思います。その頃は1戦1戦ポイントを数えてて、試合で過緊張してしまうこともありました。かなり焦ってたんだと思います。」

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(手応えを感じながら過ごしたプロ転向後)

TT:「そんな中、思い出に残る試合を挙げるとしたら?」
 

鮎川:「ITFじゃないですが、全日本選手権が良くも悪くも思い出でいっぱいです。同じ94年世代の日比野菜緒選手に2014年の準々決勝で当たって勝った試合は記憶に残ってます。彼女はランク上もいつも上なので全力で当たってみようと臨んだら、本当に一番いい試合ができました。最初から最後まで集中力が切れずに戦い抜けた、いい試合でした。」
 

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(戦い抜けた、2014年全日本での日比野戦)

TT:「『華の94年組』と言われる豊作の年代ですから、大変でもありますね。」
 

鮎川:「翌年の全日本選手権では、前年に菜緒ちゃんと当たった同じラウンドで、今度も94年の二宮真琴選手に当たって勝てたので、私は全日本だと力が出しやすいのかも?なんて思っていました。」
 

TT:「両選手とも、その後の活躍を思えば十分自信にしていい勝利ですね。」
 

鮎川:「2016年から新しいコーチに教わるようになって、自分のテニスが良くなってきたのを実感し始めていた年で、過去2年の自信も持って臨んだ準々決勝は大前綾希子選手でした。6-3 3-6 5-1、あと少しというところで、以前の悪い自分が突然出てきてしまいました。入らない、イライラが募る、無理に打ってやっぱり入らないという悪循環でひっくり返されました。いい思い出の全日本が、今までのテニス人生で一番悔しい大会になってしまいました。」

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(逆転をくらい、人生で一番悔しい大会となった2016年の全日本選手権)

TT:「ランキングは400位台、さあここから、という今年の春、残念なことに怪我で戦線離脱を余儀なくされました。」
 

鮎川:「5月頭の福岡国際で膝に違和感が出て来たんですが、久留米に出て、中国のダブルス決勝では膝がパンパンに腫れてしまいました。それでも帰国して無理を押して有明に出ましたがやっぱり限界でした。1回戦負けしてすぐに病院でMRIを撮ってもらったら、前十字靭帯損傷。断裂ではないので手術は不要というのだけは救いでした。」

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(怪我以外にも精神的に辛い時期を過ごす)

TT:「今は復帰直後になりますが、テニス人生で初めて長くテニスをしない期間だったのではないでしょうか。どういう過ごし方をしていましたか?」
 

鮎川:「この怪我がきっかけではありませんが、それまでのメインスポンサーとの契約が切れてしまい、次を探さなければならない時に怪我と重なったので、精神的に本当に落ち込みました。毎日他の選手の結果を見て、自分のランキングが落ちる不安に苛まれていました。人生で初めて味わう壁で、テニスを離れたいとも思いました。それで初めてラケバ(ラケットバッグ)なしの旅行をしたり、身体のメカニズムをちゃんと学ぶ時間をとったりして時間を過ごしていました。」
 

TT:「有意義なオフじゃないですか。」
 

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(ラケバを置いてゆっくり自分と向き合う)

鮎川:「そうだ、サッカーもレッズ戦を観に行きましたよ。これが面白くてハマっちゃって、休んでいた3−4ヶ月で5回も観に行きました!」
 

TT:「あの巨大なスタジアムは異空間ですよね。」
 

鮎川:「そうですね。サッカーを観ていて感じたのは、あの満員の観客がいる重圧の中で、選手はすごいなって思っていました。そうしたら、自分にかかっているプレッシャーなんて何て小さいんだって思ったんです。それを境に他の選手の試合結果を気にすることも、自分のランキングが下がることも、気にしなくなってきました。」

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(スタジアムの中で、自分にかかるプレッシャーを考え直す)

TT:「ところで、プロとして世界中を回っていると、色んなことあるんじゃないですか?何かこぼれ話など。」
 

鮎川:「ありますよ!去年の3月に中国での大会が雨で遅れに遅れた進行で、大会を終えた次の日には翌週の甲府での試合があるので急いで海外の選手たちと空港に向かいました。トランジットの空港で日本行きに間に合わなかったので、すぐ次の飛行機を取ろうとしたらその担当者が空きはないって言うんです。3時間半(!)粘ってようやく翌朝便取って、用意してもらったホテルでともかく休んで、ま、このホテルも酷いものでしたけど、翌朝空港に行くと今度はその便が取れていないっていうんです! 応対した現地のスタッフとやり合っても埒があかずにいたら、日本人マネージャがやって来て、状況を把握してすぐにチケットを用意してくださいました。『日本人、神』って思いました(笑)」
 

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(移動のトラブルも、克服しなければいけないこととはいえ・・)

TT:「じゃそれで無事甲府には出場できたんですね!」
鮎川:「それが飛行機に乗ったら今度はトラブルでなかなか出ない。遅れて日本に到着して、甲府行きの電車の中でウェアに着替えてアップもして(!)すぐに試合に出られるように準備してました。駅に着いてタクシーを急いでもらって会場入りした時には、エントリーの締め切り1分半後でした(涙)関係者のみなさんも何とか引き伸ばしてくださったようですけど、これ以上は無理と締め切った直後でした。」
 

TT:「なかなか世界の荒波に揉まれていますね〜!」

TT:「さて、鮎川選手のプレイヤーとしての魅力をお聞きします。ファンに見て欲しいプレーはどういうところですか?」
 

鮎川:「私はサーブが武器です。日本人としては身長もある方なので、サービスのフリーポイントやサーブからの展開、特にフォアハンドの逆クロスがウィニングショットなので、見ていただきたいです!」
 

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(パワフルなサービスからの展開力が魅力)

TT:「ファイトもすごいですよね!」
 

鮎川:「はい!声も出して、選手の中で一番ファイトしますよ!観客のみなさんと一緒にガッツするのが私の持ち味かなと思います!」

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(C'mon!!)

TT:「最後になりますが、ご自身のウェブサイトに4つの目標を挙げてらっしゃいますね。①グランドスラム本戦で活躍する、②WTA30、③WTAレベルで転戦」
 

鮎川:「WTAレベルを主戦場にしてくことでグランドスラムの本戦の常連にもなって行きたいです。まず来年の後半からグランドスラムの予選にかかるランキングを目指したいと思います。」
 

TT:「そして最後、④子供に夢です。これは具体的に?」
 

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鮎川:「はい、これは『スマイルテニスプロジェクト』というのをやってまして、テニスの底辺を広げる活動を行ってます。野田市テニス協会とも話をして、地域の小学校でテニスを教えたり、授業でお話しをしたりしてます。子供たちが『満面の笑みでテニス面白い!』って言ってくれるのでやりがいを感じますね。」

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最後に一言とサインをいただきました。

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一言には「戦う気持ちなくしては、勝てない」という思いを込めました。

このインタビュー後に出発した復活の遠征では、ギリシャと南アフリカのダブルスで優勝。気持ちも体もリフレッシュした鮎川選手に期待です!

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(南アフリカでの優勝)

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(ギリシャでの優勝)

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写真提供:

北沢勇(@yasuragi)様

てらおよしのぶ(Yoshinobu Terao)様

鮎川真奈選手

ご協力ありがとうございました。

聞き手:Tennis Tribe.JP 新免泰幸

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