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力石優衣

「自分を信じる」

· Players

今日お話を聞くのは、力石優衣選手です。

春先のプロ転向リストにはなく、大学を経てその後の進路を考えるのだと思っていたら、この秋に突然のプロ転向宣言。大学生しながらプロ選手?なくはない選択肢ですが・・そんな話もじっくり伺いました。

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Tennis Tribe.JP(以下、TT):「今日はよろしくお願いします。」

力石優衣(以下、力石):「こういうインタビューって初めてなので、ちゃんとお話できるかわかりませんけど・・」

TT:「頑張りましょう!まずはテニスの出会いから教えてください。」

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(本当に小さい頃からテニスのそばにいた)

力石:「小さすぎて良く覚えていないのですが、私は産まれてすぐ父の転勤で大阪府吹田市に引っ越しました。その社宅に誰も使っていないテニスコートがあり、両親と遊びで始めたのがきっかけのようです。父は軟式テニスでは国体やインカレレベルの選手で、母もバドミントンでかなり強かったらしいのですが、間を取って硬式テニスを始めたらしいです。」

TT:「それは記憶にほとんどないでしょうね。テニス以外のスポーツはやっていましたか?」

力石:「実際小学校1−2年生の頃に『テニス以外に何かやらないか』と言われても、他に興味を持たなかったらしいです。

千葉に戻ってからも、週末は家族3人で朝から晩まで練習する日々がずいぶん長く続きました。気がついたらテニスをしていて、テニスが日常の生活の一部になっていた感じでいました。なので、テニスについては楽しい記憶もそうでない記憶も小さい頃のは残っていないんですよね。」

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(ご両親と。優衣さんは右。左はお友達。)

TT:「テニスはスクールなどには通ってました?」

力石:「小1でken's千葉の小学生の1番上手いクラスに上がってしまい、選手コースのあるクラブを勧められ小2のときに志津テニスクラブに通い始めました。ここで選手として自覚を持つようになり、沢山の事を学びました。 その間もずっと父に練習をつけてもらっていました。今のフォアハンドは父が教えてくれたものなので感謝していますが、今思えば凄く難しい事を言われていて、最近やっとその意味を理解したぐらいなので、教えてもすぐにできない私はよく怒られていました(笑)」

TT:「どんなテニスをしていたか覚えていますか?」

力石:「幼稚園の時にキッズの試合に出たのが初めてだったと思いますけど、小1の時にJPTAのスカウトキャラバンに千葉代表として選ばれて全国大会に行ったりしました。公式な大会は小4からでした。その頃に出た大会で優勝をしたこともあったので、上達は早かったと思います。同年代の他の子たちより球は早くて、2−3年上の子たちと練習するようになって行ったのを覚えてます。志津に入った時も、強化クラスに入れてもらえて、やっぱり年上と練習していました。」

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TT:「小学校時代の戦績はどうでした?」

力石:「キッズカップのU8で全国準優勝や、関東ランキングが12歳以下で1位になったことがありますが、全小ではベスト16が最高成績です。その頃はまだフォアハンドしか打てなくて、サーブはまだアンダーサーブ(!)でした。でも打つ球は早かったのでフォアハンド一本で勝ってたんです。家にはフォアハンドだけで獲った盾がいっぱいありますよ(笑)」

TT:「小学校時代に思い出に残る試合などありますか?」

力石:「全国選抜テニス12歳以下の準々決勝で負けてコンソレに回った日、朝練のコートで手から離れたラケットがコートに弾んでまぶたに当たって3針縫ってから試合しました。まぶたが青く腫れ上がってたので、みんなに驚かれました(笑)」

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(瞼を青く腫らしても頑張りました!)

TT:「フォアハンド一本では、中学は難しかったでしょうね。」

力石:「ところが中学からはそのフォアが思うように打てなくなってきました。フォアばかり小さい頃から強打していたせいか、身体のバランスが悪く、バックハンドを練習して打てるようになればなるほどフォアが上手く打てなくなりました。その時は自分でも何故か分からないんです。周りのコーチからは『やる気がないだけじゃないのか?』とか言われ続けていましたけど、竹内コーチ(フミヤエース市川テニスアカデミー)はダメになるたびに、コツコツ球出し練習で調整してアドバイスをくれました。その頃フミヤエースの最上級クラスのお兄さん達が、どんなに調子が悪くてもみんな練習相手をしてくれて、本当に感謝しています。」

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(全中団体戦優勝)

TT:「それでも中学からの戦績は、中3の全日本ジュニアでシングルスベスト8、ダブルス優勝、全中も団体と個人のダブルスで優勝があります。」

力石:「中3の夏にダブルスで全日本ジュニア優勝と全中優勝と二冠を取り、高校に上がりインハイ出場、中牟田杯4位、MUFGベスト8と段々と結果が出てきました。当然更に上を目指して身体のバランスを直すためトレーナーをつけて頑張りました。でもそんなにすぐに直るわけもなく、逆に調子が狂ってしまい一番結果を出したかった高2の時は全く何も出来なくなってしまいました。インターハイにも出られませんでしたから、高2は本当にドン底でした。」

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(小さな頃からお世話になる竹内コーチと)

TT:「同世代が高卒でプロ転向をしていく中で、大学に進学しましたが、その際はどういう考えだったのでしょう。」

力石:「プロになりたいっていう気持ちは本当に小さい頃から持っていました。幼稚園の卒園の時も、小学校の卒業の時もそう書いていたんです。でも、高3の全日本ジュニアで1コケ(1回戦負け)ですから、プロ転向は考えられる状況じゃありませんでした。今思えば身体のバランスを整えるトレーニングや、杉山コーチと上を目指して練習を始めてまだ1年ちょっとでしたから、色々なことがごちゃごちゃになっていた時期だったと思います。杉山コーチはジュニアの大会に勝つためではなく、プロとして勝てるテニスを教えてくれようとしていましたので、目の前の結果はどうでもよかったのです。

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(高2からは杉山コーチにも師事をお願いしている)

結局大学に進学してテニスを続けて行くことを決めて、いくつかの大学を考えました。私はJOP(日本テニス協会公認の国内)大会を回りながらその頃からお世話になった杉山コーチと一緒にできる環境が欲しかったので、それを許してくれる日大(日本大学)にお世話になることにしました。他の大学は私の考える環境と、大学の部活の両立が難しかったんです。」

TT:「それがちょうど1年前の決断になりますね。お話を最近のプロ転向に移していきましょう。どういう経緯で?」

力石:「大学入学後、体育会に入り部活の練習にも参加しましたが、竹内コーチとも杉山コーチともプライベートでずっと練習をやってきたので、なかなか部活の中で自分の調整がうまくいかず、思い通りに打てない辛さがピークでした。でもその中でも杉山コーチが辛抱強く付き合ってくださったおかげで、はじめてフォアもバッグも自分でおかしくなった時に直せるようになってきました。なので、今こそもっと杉山コーチに色々な事を習いたいと思い体育会をやめる決心をしました。数ヶ月でしたが大学の練習から学ぶ事も多く、特にプロになりたいと言う私を、快く送り出して下さった山田監督にはとても感謝しています。」

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(上を目指す中、大学のテニス部とプライベート練習の両立は難しくなっていく)

TT:「ということは?」

力石:「大学を11月から休学にして、少なくとも2−3年は悔いの残らないようい精一杯テニスに専念することにしました。それでテニス協会にもプロ登録を申請して10月に転向が認められたということになります。」

TT:「意地悪な言い方をして申し訳ないですが、1年前に考えらえなかったプロへの転向に、いま踏み込む自信、あるいは確信はどういうものでしょうか?」

力石:「今年の9月に、オーストラリアとテニスアカデミーに参加してきました。そこで監督とコーチ2人とつきっきりで課題のフォアに取り組みました。私、英語がまだダメなので、色々言われても反論できませんでした。そうしているうちに逆にそれまで日本語では拒絶していたようなインプットも、聞き入れられるように自分が変わっていっていることに気がつきました。」

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(オーストラリアで夢中で練習する中、自分が変わっていることに気がつく)

TT:「知らぬ間に心が閉じていたんですね。」

力石:「それまで杉山コーチと作ってきたものが、オーストラリアで気づいたことと組み合わさって、ひとつの形が出来上がった感じがあるんです。『自信』って、自分を信じることだから、自分を信じられなければ、それは人も信じられないということにもなりますよね。1年前の私は自分も人も信じられない状態だったんだと思います。まだ1コケもありますけど、1年前の自分とは全く違って、プロとしてやっていく自信がついてきているんです。」

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(自分を信じる事に気付かされたオーストラリア遠征)

TT:「力石選手のプレースタイルをお聞かせください。」

力石:「早いスイングスピードで、強いスピンと早いボールを打つのが特徴です。試合は打たれる前に打ってエースを取るのが理想ですがミスが出るので、実際はスピンで繋いでチャンスを待って決めるプレーでしたが、それだとなかなかチャンスがきません。これではプロでは勝てないのが分かっているので、もっとオフェンスできるように色々と練習してます。今まではフォアの調整ばかりだった練習が、展開練習なども出来るようになり、毎日の練習が本当に楽しいです。」

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(勝ち星につながる攻撃的なプレーを磨く)

TT:「最後に、目指す選手像と、具体的な目標があればお聞かせくださいますか。」

力石:「人が集まってくるようなかっこいいプレーをしたいです。ウェアも可愛いのを選んで着ているので、そういうところも観ていただきたいです。でもテニスが強くなるだけではなく、素敵に振る舞う年上の選手の皆さんに、スポンサーやファンへの対応などをたくさん見習いたいと思っています。具体的な目標ですが、最終的にはグランドスラムへの出場を目指したいです。でもその道に向けて、まずJTAで50位以内に早く入れるように頑張ります。2018年の全日本選手権もしっかり成績を残せるようにしたいです。やっとフォアが安定し始めたので、今は私のテニス人生は始まったばかりという気持ちです。今まで出来なかった練習もトレーニングもやる事が沢山あり、頑張ってやっていきたいので、慌てずにじっくりやりたいと思っています。」

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最後に一言とサインをいただきました。

まさに先ほどお話いただいたとおり、自分を信じる事から全てはスタート。力石選手のテニス人生はまさにスタートしたばかりです。

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力石優衣選手

ご協力ありがとうございました。

聞き手:Tennis Tribe.JP 新免泰幸

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