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岡村一成

「明日は明日の風が吹く」

· 男子プレイヤー

インスタグラムに映る岡村一成選手は、いじられ役のお調子者。

ところがインタビューで一皮剥いでみた彼はそれとは違う印象。むしろ少し距離を置く寡黙な青年。雰囲気としては、とてもロジカルで記憶力がいい、「出来るビジネスマン」にさえ見えました。

これでまたいじられるかな??

岡村一成 選手

(ストライプインターナショナル 所属)

Tennis Tribe.JP(以下、TT):「何か初めての対面ではない気がします。サバゲーの勧誘係とか・・(笑)」

岡村一成選手(以下、岡村):「サバゲーの係はあまり機能してないですけどね。結局片山さんと江原君が集めてくださいますから(笑)」

(話の流れは、この記事からきています・・)

才能を開花しきれない少年時代のテニス

TT:「さっそくですが、5歳でテニスを始めた頃を教えてください。」

岡村:「3−4歳の頃から両親が近くのテニスクラブに付いていって、最初は壁打ちしたりクラブの方たちに相手をしてもらってました。小1からは小郷TK(おごうテニスキッズ)で小郷正一コーチに教わることになって、平日はランドセルを家に放り投げてすぐにレッスンに行って、土日も友達との遊びの約束などなければテニスをしてました。」

(ランドセルを放り投げては興じたテニス。本人は左端)

TT:「テニス以外の習い事はしてました?」

岡村:「色々やりました。ピアノ、公文、サッカーも少しやったし、野球は結構できたのでチームに入って欲しいって言われてました。野球も好きでしたけど、やっぱり良くも悪くも自分で全て責任を負う個人競技のテニスの方が良くて、練習を増やすたびに他の習い事は止めてフォーカスするようになっていきました。」

TT:「試合にはいつ頃から?」

岡村:「小1の頃から小さい大会には出始めました。小4〜5の頃には勝ちかけていても負けるのは多かったです。小4の時には全国をかけた試合でジャッジの揉め合いで崩れて、結局ファイナルで負けました。

(小6で初めての全国小学生大会)

TT:「まだ精神的に弱かったんですね。」

岡村:「その試合、終わって泣きながら放心状態でベンチに座っていたら、次の試合が錦織(圭)君で、笑いながら待ってくれていて恥ずかしい思いをした記憶があります(笑)結局、全国には小6で初めて行きました。中国大会を突破して全小を決めた時に父が泣いて喜んで握手してきてくれたのをよく覚えてます。」

(全国大会へクラスメイトからの寄せ書き)

並行に走る、医者とテニスへの道

TT:「その後はテニスにどっぷり使った生活でしたか?」

岡村:「いいえ、うちは勉強とテニスを両立するように言われてましたので。父が医者で、勉強はちゃんとやって将来医者になることも選択肢として考えていました。それで中学受験をして岡山県立操山という中学高校一貫校に進学して、テニスと勉強を両立させる生活でした。」

(全日本ジュニアU14ダブルス3位、当時お世話になった福田コーチと)

TT:「中学では全国の常連だったのが、高校では名前が消えることが多くなりました」

 

岡村:「勉強に時間を割いて練習量が減っていました。全国にはもう一歩で出られませんでした。高2の時に文理選択(文系・理系の進路選択)があって、そこで改めて今後もテニスを続けるか、勉強して医者を目指すかの選択を迫られました。実際当時は両立させてたと言っても、結局どっちも中途半端な状況になってしまってたと思います。両親とも相談してとても悩みましたが、やっぱり幼い頃からやっていたテニスが大好きで、試合で負けるのが本当に悔しくて仕方なくて、もう一度しっかりと本気で頑張り抜いてみようとその時に決めました。結果的にテニスの競技人生から考えると、操山の進学を選んだことはかなり遠回りになりましたけど、今でも繋がりのあるテニス以外の大切な友人を作れたし、勉強もしたし、たくさんの思い出や嬉しい経験も悔しい経験もできて、テニスだけでは学べない大切なことを学べたことは、今後の人生を考えるとよかったと思ってます。本当に今でもかけがえのない時間だったと思っていますし、悔いは全くないです。」

(医者への道も視野に、勉強とテニスを両立させた県立操山)

偶然から開いた名門への扉

TT:「その後、早稲田大学に進学。この時点でプロへの転向を考えることはありませんでしたか?」

岡村:「プロになることは幼い頃からの夢でしたが、まず伝統と格式があって勉学でもスポーツでも優れていて、テニスでもずっと日本一の早稲田大学に入ることを次の目標に考えていました。」

TT:「一般受験をしたのですか?」

岡村:「いやそれが、全日本ジュニアで一回戦負けした小野との試合を(早稲田大学庭球部の)土橋監督がご覧になっていたようなんです。元々は小野の視察に来られていたらしいのですが、プレーを評価してくださったようで、試合後に自己推薦入試を受けてみないかと声をかけていただいて、サポートをいただきながら無事合格することができました。」

TT:「どこに偶然があるか分からないものですね。」

岡村:「入学後にその小野とは3年のインカレのベスト8がけや、4年のリーグ戦の(対明治大学)S1でチームの勝敗をかけた場面で対戦して、その時には、土橋さんや御世話になったOBの方々からは『お前を選んだんだから絶対勝てよ!』とプッシュされました。今では小野とも話す笑い話です(笑)」

(プレッシャーの中で戦った大学3年インカレベスト8をかけた小野戦)

TT:「大学1年のインカレではベスト16。順調な学生テニスのスタートです。」

岡村:「そうですね、土橋さんやOBの方々、部の先輩方も応援してくださって、死に物狂いで戦って、強い選手を倒して本当に嬉しかったのは、今でも鮮明に覚えています。ですがその後は勝って部内でのポジションが上がるに連れて、練習や指導もより厳しくなりました。下級生の仕事も大変でしたし、真面目に一生懸命やっていたつもりでしたがなかなか上手くいかず、岡山の公立の高校から出てきた田舎者としては、同期や先輩方との人間関係も含め、厳しい世界でした・・」

TT:「大学ではITF大会にも出場するようになりました。プロへの転向を意識してのことでしょうか」

(プロへの本格的な意識が芽生えたITFつくばでの準優勝)

岡村:「いえ、ITFには出てましたが1−2年生は部内での練習や学生大会で頑張ることに必死で、プロ転向なんて考える余裕はありませんでした。最初に意識したのは3年生の時です。ITFのつくばフューチャーズで、決勝は爆風の中だったのも覚えていますが(笑)、ファイナルで井藤祐一プロに敗れましたが、大学でも成長しているのを実感できて、プロに行ってみたいと思い始めました。大学の卒業単位は3年生でほぼ取り終えていたので、4年生ではテニスに集中して、プロ転向に向けて自分の進路を固めて行きました。」

(4年春の早慶戦にて土橋監督と)

TT:「大学4年ではインカレで単複準優勝で、プロ転向に花を添える形になりました。」

岡村:「学生最後のインカレと王座では全ての思いを出し切って結果に繋がりました。それでも、昔から僕を知る友人からは、『どうした?』って言われてます(笑)最初のどうした?は『岡山の公立高校からあの早稲田大学庭球部へ』と行ったことで、次は『早稲田から堅実に就職活動するかと思いきやまさかのプロへ』と向かっていったことです。そういうキャラクターに見えないんですね、やっぱり(笑)」

(4年はインカレ単複準優勝でプロへの弾みをつける)

勢いの1年目、浅はかだった2年目、学びの多かった3年目のプロ生活

TT:「2015年のプロ転向から現在まで3年間のプロテニス選手としての生活を振り返っていかがですか?」

岡村:「戦績的には不十分でしたが、最初の年からメインスポンサーにストライプインターナショナル様(契約当時はクロスカンパニー)がついてくださったのが何より大きかったです。地元岡山の会社で、石川社長もテニスされており、妹の恭香が先にプロになってサポートを受けていたという縁があってのことでした。3年間、苦しいこともたくさんありましたが、サポートがなければプロ活動自体を続けることも厳しく、恩返しをするために毎日ひたすら前を向き頑張ることができました。」

(メインスポンサー、ストライプインターナショナル石川社長と)

(サブスポンサー、せいた整骨院清田代表と)

(プロ転向以来お世話になる、武井トレーナーと坂井トレーナーと)

TT:「ランキングでいうと、1年目(2015)年末871位、2年目641位と順調に推移します」

岡村:「1年目は勢いでぶつかって行った年でした。大学卒業時点でそれまでのポイントが消えていて、5月にタイで取ったプロ転向後の初ポイントまでは本当に勝ちビビりばかりでした(笑)その試合は猛暑の中で熱中症になり、痙攣を起こして嘔吐もしてたんですけど、なんとか復活してファイナルタイブレーク13-11で勝ち切って取ったポイントで、とてもよく覚えています。」

(猛暑の中、痙攣と嘔吐の末にもぎ取った、プロ初ポイント)

TT:「2年目は7月からの中国フューチャーズ3連戦で怒涛のベスト4、ベスト4、準優勝」

岡村:「まさに心技体が揃ったいい状態で、勝負に執着はしていても肩の力は抜けている感じでした。でも大会のサーフェスがクレーコートで、特に左膝にダメージがきていました。この頃は調子が良かった分ポイント中毒のようにとにかくポイント獲得ばかりを考えて、その後ベトナムにも2大会出場して計5連戦となりました。左ひざの痛みが気になっていたので帰国後の診断すると、膝蓋腱靭帯を痛めたためだったとわかりました。」

(中国フューチャーズ準優勝、しかし膝に痛みを覚え始めた)

TT:「それでも年末にかけても試合には出場し続けているんですよ。」

岡村:「浅はかですよね(苦笑)インドネシアでは食中毒を起こして下痢、嘔吐、高熱でも試合に出て、その試合は結局リタイアし、試合後全身痙攣を起こして死ぬかと思いました(苦笑)」

TT:「何度痙攣して吐くのやら(汗)シーズンを通したペース配分を掴んでいなかったわけですね。」

(「ポイント中毒」でボールとポイントを追いかけるが、怪我は深刻さを増す)

岡村:「本当にそうです。結局次の年に向けて大切な年末に必要な準備ができないまま、2017年を迎えてしまって、パフォーマンスが上がらない状態で春先の大会に臨むことになりました。」

TT:「2017年は2月に中国でダブルス優勝もありますが、シングルスはせいぜい二回戦まで」

(ATPチャレンジャー大会へも挑戦して残された距離感を測る)

岡村:「良くない状態で試合に出続けたことで負けも重なり自信をなくして来てました。攻撃的にいっては粘られて負けて、今度は守備的にいっては叩かれて負けてしまって、プレースタイルに悩みが出始めました。本来試合は生き物で、その試合ごとに臨機応変に対応すべきことで、プロとしては恥ずかしい話ですが、そういう当たり前のことができない状態にまで陥っていました。」

TT:「11月にはベトナムでベスト4ですから、もう自信は戻りましたね?」

(江原選手とのスイス遠征で多くを吸収)

岡村:「そうですね、苦しかったですけど、いろいろと学んだ年でした。スケジューリングのことや、コート内での気持ちの持って行き方、コート外でのリフレッシュの仕方など。特に8月に江原君と一緒にスイスへ遠征した際にたくさんの話を聞いて、試合を見て、練習、試合を積んで良いものを吸収できました。それをきっかけにプライベートでも片山さんや江原君、お二人に紹介していただいた浅草会の皆様などには大変御世話になっています。

(浅草会の皆さんと)

普段記しているテニスノートで1年間を振り返りながら、今年(2017年)は12月は試合に出ずに、テニスラボ合宿、早稲田合宿に参加して来年への準備をしっかりとやっているところです。」

遅咲きの使命、そして感謝

TT:「では最後になりますが、プロとして目指すのは?」

岡村:「僕は『The遅咲き』だと思っています。多くのプロ選手が小さい頃から成績を残していますけど、僕はすぐに結果が出なくても、いつかは出せることを証明して、すぐに芽が出ない選手たちの希望になりたいです。グランドスラム出場、全日本選手権優勝を目指し、頑張ります。」

(一番支えてくれている家族への感謝を胸に、4年目の挑戦へ)

おしまいにサインと一言をいただきました。マイペースに、でもしっかり明日を考えている彼だから言える一言でしょう。

岡村選手への応援メッセージは、Facebookまでお願いします。

写真提供:岡村一成選手

ご協力ありがとうございました。

聞き手:Tennis Tribe.JP 新免泰幸

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