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大西賢

「地道にコツコツと」

· 男子プレイヤー

今回お話を聞くのは、現在スロバキアに拠点を置き、2月に22歳になったばかりのプロ5年目、大西賢選手です。

大西 賢 選手

(ノア・インドアステージ所属)

今回はスロバキアには飛べないので、初めての試み・・Skypeでのリモートインタビューです。

 

Tennis Tribe.JP(TT):「聞こえますか〜?」(と画面に向かって手を振る)

大西賢(大西):「こんにちは〜、聞こえますか〜?」(と手を振り返してくれますが、話が噛み合ってない)

・・音声に問題がありましたが、何とか回復し、インタビュースタート!

兄妹の後を追った幼少時代

TT:「それでは、早速ですが、まずはテニスを始めたきっかけから伺いたいのですが。」

大西:「はい、わかりました。3歳からテニスを始めました。きっかけは、父親がテニススクールを経営してまして、そこで兄も姉もテニスをやっていましたので、僕も自然と週に1−2回やるようになったのが始まりです。本当は4歳からのクラスですが、特別に3歳から入れてもらってました。」

・・・と、ここで重大な認識不足に気がつく・・・

TT:「大西・・ノア・インドアステージ・・あれ?ノアの息子さん??」

大西:「そうです〜」

・・・ノアの息子ではない。ノアを経営している大西社長の息子さんである・・・

大西:「始めた頃はメッチャ太ってて、ボール遊びみたいなものだったと思います。」

(『メッチャ太ってた』テニスを始めた頃)

TT:「そうなんですね、いつ頃から本格的になったんでしょう?」

大西:「週4回に練習を増やしたのが小1からですので、その頃になると思います。」

TT:「テニス一本でやっていたのでしょうか?」

大西:「いいえ、テニスは平日だけで、土日は小6まで野球をやってました。阪神の大ファンで、小3まではプロ野球の選手になりたいって思ってました。幼稚園の頃は他にサッカーや、水泳も数ヶ月ですけどやりましたし、ピアノも小1から小3までやったんですよ。小さい頃は兄妹がやっているのは何でもやりたがって、姉のピアノの発表会を見に行って、自分もやりたいって言い出したらしいです。」

(お姉さんのやることは自分もやりたかった。ピアノもそう。)

TT:「小1で本格的になったテニスについて、もう少し教えてください。」

大西:「はい。ノアIS(アイエス)というジュニアの育成プログラムで、兵庫県の中でもレベルの高い選手が集まっていました。兄と姉も入っていたので、そこで始めることにしました。フィリピン人でデ杯経験もあるコーチの指導で、でも僕は全然ついていけなくてよく泣いてた記憶がありますね(笑)

(小1の頃、ついていけなくて泣くこともあった。)

それでもそこで力は付いていって、8歳の時に出た関西ジュニアの兵庫予選に、U12のダブルスで出場しました。結果は予選ベスト8で、関西ジュニアの本戦に進むことができたんです。

その時までやってた野球はチームプレーなので勝ち負けはチームの力になりますけど、テニスは個人の力だし年上にも勝てたことに自信を付けて、野球よりもテニスに一層力を入れていくようになりました。」

(小3、年上に勝って関西ジュニアに出場。自信をつけていく。)

負け知らずのジュニア時代、世界を知るまでは

TT:「小6で全小と全日本ジュニアに出場以降、全国レベルでの戦績は目覚ましいものがあります。全日本ジュニアではU12、U14、U16それぞれ優勝。14歳の頃からはワールドジュニア、16歳でジュニアデビスカップやグランドスラムジュニアなど世界レベルの大会にも名前を連ねていくことになります。壁にぶつかったり、挫折したりなどはありませんでしたか?」

(小6で全小出場、全国レベルのトップジュニアへ成長していく)

大西:「年を重ねても特に躓くことなくトントンと上がっていけたように思います。僕は2月の早生まれですので、それで出た大会ではほぼ負け知らずだったと思います。特に全日本ジュニアでの優勝は格別でした。でも14歳の時に出たワールドジュニアで初めて世界大会を経験しましたが、思うような試合ができませんでした。世界で戦うということの自覚が自分には薄いと感じた時だったと思います。」

(初めての世界大会では『世界で戦う自覚』に不足を感じる)

TT:「その後に続くデビスカップやグランドスラムでも戦ったわけですから、しっかり世界で戦うとはどういうことなのかという自覚は身について行ったんでしょうね。」

大西:「コーチがフィリピンの元デ杯選手だったという話をしましたけど、国を背負って戦うということの意味を教えてくれました。実際デビスカップジュニアは3勝2敗で勝ち越してますので、自分も何か大きなものを背負って戦うのがいつの間にか好き、というか、力が出るようになっていたように思います。」

TT:「何かを背負うという意味では、団体もそうだと思います。日本リーグは15歳から出場しているんですよね?」

大西:「そうですね、今も日本リーグに団体戦の一員として出場していますけど、やっぱり燃えます。今思えばジュニアの時のこういう経験っていうのは今に生きているんだなって思います。」

(15歳から、ノアを背負って日本リーグを戦う。)

TT:「話を変えて、ジュニア時代の試合で何か面白いエピソードはありますか?」

大西:「そーですね、15歳で出た全日本ジュニアU16の準決勝で、西岡良仁選手に当たった時ですかね。普通にやっても勝てないと思ったので、とにかくファーストセットからギヤ全開で行ったんです。そうしたら、6-4で取れたんですよ。でもセカンドはガス欠で(笑)1-6、ファイナルは一気に0-5まで持って行かれたところで雨で中断になったんですけど、西岡選手は『あと少しで終わるからやらせてくれよ』って僕に言ってきました。結局0-6でした。(苦笑)」

(西岡良仁選手と)

プロへの明確な道筋

TT:「通信制高校に進学してプロへの準備期間に入って、本格的にテニスで世界に出ていくわけですが、まずは2012年、16歳で初めて出場した全豪オープンジュニア。いかがでした?」

大西:「前哨戦の大会でいい感触を掴んでいましたので、その勢いで予選を勝ち上がっていけました。本戦1回戦ではカナダのフィリップ・ペリオという選手にファイナルセットを接戦で負けましたけど、記憶に残っている試合ですね。ただその後もプロに転向した2014年までジュニアグランドスラムは出場しましたが、どれも予選か本戦でも1回戦、2回戦止まりでした。日本では勝てているのに、世界では勝てない。日本ではパワーで負けることはないのに、世界では押されてしまう。この時に世界の壁を改めて感じました。日本ではそれこそ『打ちジコリ』でも甘い球が来るものですが、世界ではそんな球はきません。日本でやっていたテニスでは勝っていけないんだと痛感しました。」

TT:「それでもジュニアワールドランキングは30位以内に付けて、2014年にプロ転向されます。この転向やタイミングで迷いなどはなかったのでしょうね。」

大西:「結果的にはすんなりプロ転向を決意しましたけれど、他の選択肢は考えなくはありませんでしたよ。とは言っても大学に行くための勉強をしていませんでしたし、そもそも大学からのお誘いはありませんでしたから(笑)」

TT:「『プロに行くぞオーラ』が出ている選手には、お誘いはないんですよ(笑)」

(プロとしての土台をしっかり作ってくれた白田コーチ)

プロとしての土台固め

TT:「2014年5月に、プロ転向をされました。」

大西:「4月に初めて実家を出て、関東に引っ越して、クリエイトテニスアカデミーを拠点にすることにしました。そこで白田コーチにお世話になってキャリアをスタートさせました。」

TT:「プロ転向後、ここまでいかがですか?」

大西:「最初の2年は優勝などはありませんが、自分の成長に手応えを感じていました。ところが2016年に7大会連続で1コケ(1回戦負け)の大不振に陥ってしまったことがあります。その時は何をやってもダメで、精神的に辛かったですね。コーチからは『やれることをやりきろう。負けてる時こそ、練習で出来ていることにフォーカスしてやりきろう。』という言葉をいただいて、なんとか乗り切って行きました。」

(1コケが続いた苦しい時期も経験)

(苦し時期の後には良い時期も。ダブルス2大会連続準優勝でその後に勢いがつく)

TT:「厳しい年だったのですね。」

大西:「厳しいといえば、その年に初めてアフリカのジンバブエの大会に3週連続で行ったんですね。でもこの時は災難で、1週目に発熱して1回戦負け、2週目にギックリ腰やって1回戦負け、3週目は予選上がりの選手との対戦で『よし良いドローだ!』と思ったのに、1回戦負け。もう2度と行きません!(笑)」

(発熱・ギックリ腰・1コケ。もうジンバブエには行かない!・・ジンバブエには何に責任もありません、念のため)

スロバキアへ

TT:「さて、2017年からスロバキアに拠点を移して活動をしています。そこに至るお話を聞かせてくださいますか?」

大西:「はい。先ほども話ましたが、グランドスラムジュニアで世界の壁を痛感していました。プロに転向後、白田コーチの元で戦術や考え方を奥深く教えていただいて、土台を積み上げられましたし、幅も引き出しも、随分多くなったと思います。その土台の上で、ずっと感じていた世界の壁を乗り越えるために、もう一声どうにかしたいと考えていました。世界に壁があるなら、その中で日頃からプレーすることが必要なんじゃないかと考えるようになったんです。そこで、2016年の12月からヨーロッパを中心に拠点探しを始めて、スペインとスロバキアの最終候補からスロバキアのEMPIRE Tennis Academyを選んで4月から拠点を移すことにしました。」

(スロバキアへの拠点移行の詳細はこちら

(練習する前に必ず次の遠征への課題を2人で話し合う)

TT:「実際に拠点を移してからの環境や生活はいかがですか?」

大西:「何より、ヨーロッパの試合に出やすいのがいいですね。ここにいると日本どころかアジアのテニスとヨーロッパのテニスの違いを痛感します。アジアはラリー中心で何とかなりましたが、ここではパワーが違いますから同じようには行きません。その分、対応力がつくので自力が上がってきますね。それとサーフェイスがクレーですので、粘り強さと戦術の幅が広がります。白田コーチに教えていただいた土台の上で、実践で以前よりももっと工夫するようになっていると思います。パワーが劣っている分、工夫せざるを得ないんですよね。」

TT:「クレーというと、強烈なスピンボールという印象がありますが、そのあたりはどうなんですか?」

大西:「確かにスピン量は半端なく多いですね。でも僕も元々スピン系のプレーなので、そこへの対応はスムースにいけていると思います。」

TT:「ところで、パワーや体格という点ではどうしても不利を感じると思いますが、その点で参考にしている選手などはいますか?」

大西:「特にこの選手が好きというのはないんですが、シュワルツマン(Diego Schwartzman/170cm)は参考になりますね。フィジカルの強さもありますが、バックのスライスを使ってネットプレーも上手い。あの身長でもサーブもいいので、そこは自分でももっと出来るものがあるんだろうと思っています。」

TT:「ご自身のプレーでの見所、ファンにここをみて欲しいというのはどうでしょうか?」

大西:「そうですね、スピンをかけたフォアハンドで展開するところと、追い詰められて劣勢でも折れずない粘り強いプレーを見ていただきたいですね。」

TT:「最後になりますが、今後のキャリアでの目標を教えてください。」

大西:「目標を人前で言うタイプじゃないんですが・・来年4月まではスロバキアを拠点にすることを決めているので、そこで精進して、来年にはグランドスラムの予選に届くよう頑張っていきたいと思います。」

最後に一言とサインを、画面越しにいただきました。

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写真提供:大西賢選手

ご協力ありがとうございました。

聞き手:Tennis Tribe.JP 新免泰幸

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