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福田勝志

「志に勝つ」

Tribe Pickup #65

· Players

=プロフェッショナルテニスプレイヤーという生き方=

40代のプロテニス選手。同年代では鉄人とも呼ばれ「年齢は単なる数字」と言い切り20も年下と変わらぬパフォーマンスを求める選手もいれば、この選手のように年齢を受け止め「中年の星」としてテニス界での役回りをはっきりさせた上でテニスファンへ存在感を示す選手もいます。

どちらのプロも多くのファンの心を掴んで放さない。スポーツ選手として、プロフェッショナルとは何かを教えてくれます。

2021年5月現在、45歳の現役プロテニスプレイヤー、福田勝志選手にお話を伺いました。

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Tennis Tribe.JP(TT):早速ですが、勝志さん(と呼ばせていただきます)のSNSにこんな投稿がありました。

白石光選手(注:20歳のインカレ王者)には見習うべき点がたくさんあり、自分のテニスに少しでも取り入れていけるようまた頑張ろう。」

「負けたのは残念ですが(中略)差を感じると言うのは刺激になりますね!」

勝ち気の塊のようなスポーツ選手の多くは、力の差を認めたくても素直には認めたくないというのが心情じゃないでしょうか。それが勝志さんの投稿には微塵も感じないんです。

福田勝志選手(福田):テニスって本当に難しいスポーツやと思うんです。「これ自信あります」なんて言えたことがない。だから毎日の練習や試合での小さな発見が面白いんです。負けたら負けたで受け入れられるし、対戦相手が何歳であってもネットを挟めばリスペクトします。そう思えるのが、自分の強みかもしれませんね。

=最初からゲームが好きだった=

TT:では勝志さん、40年前に戻って、記憶を手繰りながらこれまでのテニス半生を振り返ってみましょう。

福田:覚えてるかな〜笑

TT:テニスを始められたのは3歳。むむ、42年前(笑)

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福田:親がテニスクラブに連れて行ってくれたのが3歳だって聞いてます。4歳の時には京都の鴨川近くのコートで試合に出て、0-6とかで負けたんじゃないかって思うんですけど、一本だけ逆をついて取ったポイントは覚えてます。

TT:その「快感!」みたいなのがテニスに入り込んでいった最初だったのかもしれないですね。

福田:幼稚園の頃からゲームをすることが好きで、自宅の駐車場にテントを張ってくれてそこで毎日やってました。テニスをしたくて幼稚園を「中退」したんです。本当は幼稚園に行くのを嫌がって、見かねて幼稚園に行く代わりにテニスをさせてくれたんやないかなって、親になった今は思ったりしますけど。

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TT:そこまで熱中していたら、他のスポーツはあまりしてなかったですか?

福田:サッカーはキャプテン翼の影響で小2から小5くらいまでやりました。テニスは離れた四ノ宮テニスクラブまで車で連れていってもらってたんですけど、クルマ酔いするし、サッカーは小学校で友だちと一緒に教われたので、サッカーの方がよくなった時期もちょっとありました。

(Wikipediaによれば、京都市山科区四ノ宮にある四ノ宮テニスクラブは、伊達公子さんが中学時代まで練習をしていたクラブ)

TT:それでも最終的にテニスを選んだ理由はどこだったんでしょうね。

福田:小4の時に関西小学生ベスト4で全小に出られて、そしたら参加賞がよかったんです。ご褒美みたいでテニスをやってたらいいことあるんやって思ったことかな(笑)

あとは小5の時に四ノ宮の近くに引っ越したことです。親はもっとテニスがしやすい環境をと思って引っ越してくれました。

=行けるところまで行く=

TT:引っ越してからテニス漬けの生活でしょうか。

福田:いや、なんか自分はこれ一本に全てを賭けるみたいな感じにはならなくて、将来の夢は?って聞かれると腹の中ではテニス選手と思いながら「スポーツ選手」って書いてた子どもでしたから。全小は小4から3年で出て1回も勝ってないのに、それでも満足していたので、あと一歩を歯を食いしばってでもやるって感覚がないように思います。

TT:中学に進んでからも四ノ宮での練習を積んだわけですね。

福田:四ノ宮には全国でも優勝するような目標になる選手が多いところでした。僕は竹内博コーチ(元デ杯監督竹内映二氏の兄)に教えてもらって、14歳の時に全日本ジュニアでベスト4までいけて、テニスに自信が出てきた時だったと思います。それが、16歳・18歳に上がってからは、行ってベスト8止まり、全中もインターハイもベスト8の壁にぶつかるようになりました。ここでも「あと一歩」をやり切るところがなかったんですね。

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高校3年の国体出場時、鈴木貴男選手とも対戦

TT:高校も柳川や清風といった強豪校ではなく、公立高校。プロを目指してっていう考えには向かなかったようですね。

福田:プロは全く意識してなかったですし、当時プロになるのは僕の年代では岩渕(聡)さん(デ杯監督)や、同期のスーパースター鈴木貴男みたいなジュニアでタイトル全部取ってるような選手が年に1人なるかどうかでしたから。僕はインターハイで行けるところまで行こうってくらいでした。

TT:高校時代の思い出深いことは何かありますか?

福田:高2のインターハイで格上だった堀越の山本選手、石井選手にファイナルセットで勝ったことです。準々決勝では柳川高校の古村さんには完敗しましたけど、この大会は本当に自信になりました。

インターハイ準々決勝古村賢紀さんとの試合映像

福田:それと、(全日本ジュニア選抜)室内で優勝したこともいい思い出です。

TT:お、出ました、優勝!

福田:この大会、(鈴木)貴男がエントリーミスしたんやないかって思ってるんですけど、出場してこなくて、それで優勝できたと思います。

TT:いや、それはご謙遜。

福田:この優勝がきっかけで、同志社大学から声を掛けていただけました。

TT:高校ではなかったプロへの意識ですが、大学に入るにあたってはどうだったのでしょう。テニスの推薦を受けて行くわけですし。

福田:この時も全く意識してなかったです。中学から高校でテニスはレベルが上がるし、大学でもまた壁はあるんだろうと思ってましたから、相変わらず、行けるところまで行ってみようって思ってました。

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全日本大学対抗テニス王座決定試合同志社大チーム 

TT:大学テニスは「王座」もあって、ひときわ団体戦には思い出の深い選手が多いですが、勝志さんにとって団体戦はいかがでしたか?

福田:王座(全国大会)は4年の時が初めてでした。特に大学は関東勢がとにかく強い。勝ち上がった3位決定戦の(関東勢の)亜細亜大学戦は、ふだんはガツガツ行かない自分がこの時は勝ちたいという気持ちが溢れた試合で、ベスト4以上で同志社大学が関東の大学に初めて勝てたこの大会は、本当にいい思い出です。

(福田選手は大4でインカレ室内を優勝していますが、それ以上に王座の思い出が大きかったようです)

=国際舞台への挑戦=

TT:ここでITFを中心に国際試合を振り返ってみたいと思います。最初に出場されたのは1993年、高校2年生にあたると思いますが、「フューチャーズ」ではなく「サテライト」と呼ばれていた時代に出てらっしゃいます。

福田:あ、そうでしたっけ。

TT:Japan Mastersという広島で開催された大会でした。予選でKenny James選手にフルセットで敗退したのが最初の記録です。そこからの戦歴には続々と日本テニスのレジェンドの名前が出てきます。1997年には増田健太郎さん(元日本テニス協会ナショナルチーム男子ヘッドコーチ)と京都チャレンジャーの予選2回戦。

福田:健太郎さんは本当に強かった。強すぎて記憶に残らないくらいです(笑)

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2002年フューチャーズ準優勝、暑さを味方にしターミネーターと呼ばれる

TT:2002年には中国のフューチャーズで坂井利彰さん(現慶應義塾大学庭球部監督)に勝利して決勝進出。

福田:これは僕の国際試合での最高の成績で、坂井さんとの一戦が今までで一番大きな出来事かもしれないです。1回戦はアメリカの第一シードにあたって、ファイナルセット0-4まで持っていかれたんですけど、めっちゃくちゃ暑くて、相手がバテて逆転勝ち。2回戦は相手が足が攣って勝ち(笑)3回戦はギリシャの選手がやっぱり暑さで足が攣ってリタイア。試合後相手に「お前はターミネーターか?」って言われました(笑)

TT:そこまで来ると、次の坂井戦も・・?(笑)

福田:2-6 1-4で追い込まれたところで、きっとね、坂井さん、ふと勝ったと思ったように見えたんです。僕は目の前の1ポイント1ポイントを取りに行ったら逆転(7-6(0))しました。でもファイナルセットは4-5でマッチポイントを取られてまた追い込まれたところで、坂井さんの足が攣って・・

TT:ほら出たっ!(笑)

福田:決勝は相手の足が攣らなかったので負けちゃいましたけど(笑)この試合のポイントで国内ランクも目標だったトップ10を切って9位、世界ランクもここから上がって最高位の678位に繋がったので、本当に一番大きな試合だったなって思います。

=プロへのあゆみ=

TT:話は少し前後します。1999年に大学を卒業後には、プロの道に進みました。どのあたりからプロへの意識に変化があったのでしょうか。(正確には28歳で初めてプロ登録。それまでは実業団所属のアマチュアとして活動)

福田:卒業した後は、プロになるというより、競技者としてテニスを続けたいと考えていました。さっきも話しましたけど、当時は世界を目指すプロとしてやっていける選手はほんの一握りのエリートの選択肢だったんです。親からも「世界で勝てんでも、日本なら勝てるんちゃう?」って言われてましたし(笑)、中・高・大もそうでしたけど、社会人でも大きな壁はあることは覚悟して、行けるところまで行ってみようと思いました。

TT:テニス競技者として生活するにあたっては、実業団でテニスを続けるのは一つの選択肢ですね。

福田:はい、そうだと思いました。ただ僕は全日本選手権の優勝と海外にも出てウィンブルドンも目指したいと思ってましたから、国内外の大会にチャレンジできる環境を探していました。そんな中で巡り会えたのが、「三和ホームサービス」でした。現在の所属は「Lucent Athlete Works」ですが、20年以上も同じスポンサーに全面的にサポートしていただいています。本当にありがたいことです。

TT:所属企業も決まって晴れて競技者として社会人1年目を迎えた1999年、どんな年でしたか?

福田:全日本選手権で僕にとってはスーパースターだった3つ上の宮地(弘太郎)さんと茶圓(鉄也)さんに勝ってベスト8に進むことができました。準々決勝で岩渕さんに負けましたけど、全日本の舞台でこの成績を残せたのは、本当に自信につながりました。

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1999年全日本選手権準々決勝、岩渕聡選手との対戦

TT:2020年に途切れるまでの24年連続の全日本連続出場(予選を含め)、そして先ほど伺った2002年の中国での準優勝に繋がるわけですね。2004年に添田豪選手に勝った試合もあります。

福田:そうでしたね。添田選手がまだ高校か卒業したてくらいの頃だと思いますけど、若くて天才的な選手だと知っていたので、厳しい試合になると思ってました。その大会は風がめちゃめちゃ強かったので、風をうまく使って風下の時には押し返されるくらいの緩いボールを打ったりして、若い添田選手が対応に苦しんで勝てた試合だったと思います。

=世界ランク678位で思ったこと=

TT:2002年から2003年にかけてATPランクが600から700位台につけました。次に2007年にも900位台に戻って一段上がっていくかと思いましたら、1000位台とランク外を行き来する月日が続きます。この時のことを教えてください。

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福田:きっと、最初にもお話した、もう一歩そこでストイックになってやり切る姿勢が取れない、そこで一歩残してしまうところがあった気がします。最高位の678位まで上がった時にも、サテライトではいつも勝てるわけじゃないから負け癖がつく気がして、JOPで勝って勝ち癖をつけられるんじゃないかって日本の大会にも出るようにしたんです。今から思えばそこで踏ん張って年中海外のサテライトを転戦すればよかったんですけど。そういう選択をするときって、JOPでも結果はあまり良くないんですよね。

(2002年からITFの大会出場数は、2002年 - 14大会, 2003年 - 15大会, 2004年 - 14大会, 2005年 - 17大会, 2006年 - 16大会, 2007年 - 18大会, 2008年 - 10大会。フルに海外転戦する選手は25大会以上も珍しくなく、あと5から10大会は出られたという点を言っていると思われます。)

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カンボジアフューチャーズ 39歳でATPポイント獲得

=一生現役、一生庭球=

TT:さて、勝志さんはここからが本題になっていく気がします。確かに同世代の輝かしい選手のようなジュニア時代を過ごしたわけでも、グランドスラムに手が届いてもいませんが、45歳を迎えた現在もプロとして競技を続け、負けたことも積極的に発信されてらっしゃる。ここに至る気持ちの葛藤などはなかったでしょうか。

福田:当時の感覚で言えば30歳で一区切りをつけて引退していく空気はありました。自分も考えなかったわけではありません。でもここでも、ガツガツしない、行けるとこまで行ってみようという考え方が助けてくれました。トップを極めることを目標にして届かないと悟って身を引くのも選手、小さな目標と喜びを見つけて積み重ねていくのも選手の姿としてあってもいいんじゃないかと思うようになりました。実際、36歳で(JTAの)20位に返り咲いたことがあって、下がっていくどころかその年に上がったわけですから。でもその同じ年にグアムのITF大会の1回戦で0-6 0-6で負けてたった1試合して帰ってきた時はだいぶショックでしたけど(笑)

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2018年全日本選手権が大阪靭テニスセンターで実施され、地元でこれだけのファンが応援に駆けつけました。勝志さんの人気が窺える一枚

TT:小さな目標と言いますけれど、勝志さんの活動が励みになるというファンが多い。これは大きなことだと思うんです。

福田:ありがとうございます。そう言っていただけるのは本当に嬉しいです。できるだけ続けていきたいですし、小さな進化を楽しみに、勝ったことに素直に喜べるように、情熱を持ってテニスをしていきたいです。45歳が若者にどう対戦して、どうやって勝つかを見てもらいたいです。

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全日本選手権24年連続出場!

TT:そして全日本出場25回ですよね!

福田:本当にそうですね。連続は切れてしまいましたけれど、25回目出場できるよう頑張っていきたいです。

最後に、一言をいただきました。試合の思い出が詰まったボールと一緒にパチリ。

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福田:ふつうは名前もそうですけど「勝つ志」って読むと思うんですが、僕は「志に勝つんだ」って思ってます。テニスを続けていくこと、新しい発見を重ねて行くだという志をもって、それを勝ち取るんだという気持ちです。

=福田選手40の目標=

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1. グランドスラム出場

2. 全日本テニス選手権優勝

3. 第100回全日本テニス選手権記念大会(2025年)に出場する

4. 全日本ランキング9位を自己最高を更新する

5. ATPランキング678位を自己最高を更新する

6. GLFカンボジアフューチャーズ優勝

7. 全日本テニス選手権最年長出場

8. 最年長ATPランカーになる

9. 全日本テニス選手権出場 1年毎

10. 錦織圭プロと対戦する

11. 全日本テニス選手権25年連続出場

12. 全日本テニス選手権30年連続出場

13. トップ10の選手に勝つ

14. シングルスランキング30位以内に入る

15. 年齢よりも少ない数のシングルスランキングに入る

16. シングルスATPポイント獲得する

17. ダブルスATPポイント獲得する

18. フューチャーズシングルスベスト8以上

19. JTT大会シングルス優勝

20. JOP大会シングルス優勝

21. JTT大会ダブルス優勝

22. JOP大会ダブルス優勝

23. 年間20大会以上戦う

24. 若者に勝つ

25. 最後まで諦めず全力プレーする 逆転勝ちする

26. 自分よりランキング上位者に勝つ

27. 新たなプレースタイル、技術に挑戦する

28. 常にフェアプレー精神で戦う

29.リスペクトされる選手になる

30. テニス仲間を増やす

31. 年末ランキングシングル50位で終える

32. 年末ランキングシングル100位以内をキープする

33. 家族の前で勝利する

34. 息子、娘と同時に全日本テニス選手権に出場

35. 息子とダブルスを組んでJOP大会優勝 息子と対戦する

36. 人に勇気や感動を与えられるプレー、活動をする

37. ファンをたくさん作る

38. 失敗やうまくいかないこと、敗戦を受け入れる 成長の糧にして勝利に繋げる

39. 自分のテニスを極める  FUKUDA STYLEを完成させる

40. テニスを楽しみ、テニスを続ける「一生現役、一生庭球」

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=福田勝志選手の情報とメッセージはこちら=

=写真提供=

福田勝志選手

=聞き手=

Tennis Tribe.JP 新免泰幸