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河内一真

「困難を乗り越えて!!」

· Players

ジュニアデビスカップで優勝、全日本ジュニア18歳以下で単複優勝、ダブルスでは2連覇、3年間の高校生活で決勝進出を逃したのは2年生のシングルスベスト4のみという圧倒的なジュニア戦績を誇り、まさに日の当たる世界を歩いてきた選手。

しかしプロ選手となって7年目を迎える現在まで、全日本選手権での最高成績は2回戦、今年になるまでITFサーキットでも決勝進出はダブルスの1度のみという彼は、メディアに取り上げられることもほとんどない日陰の存在になっているように思えます。

何があったのか。

おそらく悲壮感に満ちた話になるのかな、どうやってアイスブレークしようか・・そんなことを考えながら2019年の全日本選手権の予選ラウンドへの出場を控える中で会った彼は、張りのある声と明るい表情で「僕、甘いのが好きなんです」とタピオカミルクティーと、杏仁豆腐のパフェをまとめてオーダーする筋金入りの甘党(笑)。

話し終えた後は、これからの彼には明るい未来が待っていると確信できた、空高く引き上げる特徴的なテイクバックから粘り強いプレーとカウンターが持ち味の、河内一真選手に話を聞きました。

Tennis Tribe.JP(TT):「いやそれ、甘いもの x 2はないでしょう(笑)コーヒーでなくていいんですか??」

河内一真(河内):「僕、甘党なんですよ。タピオカは結構前から好きで、あると必ず頼んじゃうんですよね(笑)」

(タピオカを前にしては、笑顔しかない)

暴れん坊だった(?)幼少期

 

TT:「じゃ、甘いもので昔の記憶を蘇らせてくださいね!まず最初にテニスを始めたきっかけからお伺いします。」

河内:「僕の父親はNTTの実業団でソフトテニスをやっていて、3つ上のお姉ちゃんがスクールで(硬式)テニスを始めた時に、僕も入れてもらったのが始まりです。」

TT:「それが4歳の時?」

河内:「はいそうです。実際にはお姉ちゃんの1時間のレッスンを待つ時間を持て余して暴れまわってたみたいで、コーチに『コートの中で待っとけ!』って言われて、ラケットを持ってコートの中で鬼ごっこみたいに遊んでいたらしいです。お姉ちゃんがやめた後も、テニスが楽しかったので自分一人でバスに乗ってレッスンに行っていました。」

(3歳の頃。このあと4歳からテニスコートで暴れ出します 笑)

TT:「鬼ごっこからテニスになったのはいつ頃ですか?(笑)」

河内:「小1から中3まで通ったテニスガーデン高槻に通い始めた頃にはテニスになってたと思いますよ(笑)そこはジュニア育成に特化したクラスで、福田創楽(現在プロ)なんかもいたとこでした。」

TT:「その頃、自分のテニスに光るものがあると気がついていましたか?」

河内:「ん〜どうですかね。でもしっかりボールを捉える感覚は、人より持ってると思っていたかもしれません。」

(5歳の頃。テニス以外にはサッカーも)

最初から「ゾーン」に入った初めての大会出場

TT:「大会に出始めたのは?」

河内:「小2の冬に靭で開催される田村杯というのがあって、それが初めての大会です。」

TT:「成績はどうでした?」

河内:「1回戦が1-5から7-5の逆転勝利でした。ゾーンに入ったような感じなんだと思うんですけど、勝てて、楽しいって思いました。でも2回戦は0-6。そのあと小3の田村杯ではベスト16に入ったんですが、そこまでの1年間の大会はずっとシード下に入って2回戦負けの連続でした。」

TT:「よく覚えてますね。甘いもの効果かな?(笑)」

河内:「はい(笑)スコアまで結構ちゃんと覚えている方ですね。その小3の田村杯は2回戦で初めてシード選手に7-6(4)で勝ったんです。自分のプレースタイルと相手の相性がよかったんだと思いますけど、とてもやりやすくて、そのあと勝ち上がるきっかけになりました。これでシードがつくようになって、小4で関西ジュニアまで勝ち上がれるようになっていきました。」

(10歳、関西ジュニアに勝ち上がれるようになった頃)

TT:「ところでちょっと話それますが、その頃に憧れていた選手っていました?」

河内:「はい、ヒューイットです。」

TT:(河内選手の独特のテイクバックを思い出し・・)「あ〜っなるほどね!」

河内:「7歳の時にテレビでUSオープンでヒューイット対サンプラスを見て、大ファンになりました。」

全国レベルへ、そして国を背負う選手に

TT:「話を戻しましょう。小6で初めての全国大会出場ということで間違い無いでしょうか」

河内:「はい合ってます。全国選抜の関西予選で第1シードだったので、(全国本戦に)行けるとは思っていても、すごい緊張してた覚えがあります。」

TT:「そして中学からは全国クラスになっていったわけですね。」

(13歳、修造チャレンジへ)

河内:「でも、確かに全国には安定して出れてましたけど、行ってもベスト8でそれ以上に行けない時期が続きました。でも(内田)海智(現在プロ)は僕よりも良い成績を出し始めていましたので、抜かれたなって思ってました。」

TT:「ところが15歳からの戦績はめざましいです。全日本ジュニアでベスト8、ダブルスでは準優勝、全中準優勝、中牟田杯とトヨタジュニアは優勝。」

(幼少期から一緒に切磋琢磨し、一緒に優勝を飾った内田海智選手

河内:「それまでベスト8止まりだったのが、1年前(14歳)の全日本ジュニアのダブルスで海智と組んで優勝したあたりから流れが変わった感じがしました。それで中牟田の優勝は、シングルスでは僕自身初めての優勝だったので、ようやく自信を取り戻した時でした。」

TT:「その後は挙げればキリがないほど優勝に絡む戦績の高校時代ですが、やはりハイライトはジュニアデビスカップでの優勝でしょうか。」(日本チームはこの時に初優勝。その後は2019年の優勝まで待つことになります。)

河内:「そうですね。でもデビスカップはレベルの違いを感じた大会でもありました。メキシコの2000メートルの高地だったのですが・・」

TT:「・・そうですよね、それは内田海智選手からも聞いた事があります。みんなボールが入らないって言ってるのに、自分(内田選手)は気にならなかったと・・」

河内:「そう、そうなんです。海智は普通にやってて、僕は入らない。テニスは環境に順応する力が求められるスポーツなので、それができないのはレベルが低いという証拠なんだと知らされました。」

(日の丸を背負ってプレーしたジュニア時代)

プロへの意識、憧れから現実に

TT:「話しが前後しますが、高校は相生学院に進学されました。その時の話しを聞かせてください。」

河内:「はい、進学を考える事はナショナルに呼ばれていた頃でしたので、ナショナルの海外遠征と学校の両立をさせてくれるのが相生だったのと、(テニスガーデン)高槻は高校進学で強い選手が抜けてしまって練習相手に困っていましたから、相生はいい進学先だったと思います。」

TT:「その頃にはプロ選手を意識をしていたものですか?」

河内:「誰でも描くプロへの漠然とした憧れは小さいことからありました。それが具体的になったのは、デ杯でナショナル選手と練習する機会が増えたことで、プロへの意識が大きくなっていったと思います。でもいざ高校卒業でプロ転向という時にはすぐには決断仕切れませんでした。」

TT:「あれだけの戦績を出していながら?」

河内:「いえ、海外ではそれほどの結果は出せていなかったんです。大学からの誘いもある中で、迷いはありました。でも最終的にはやらずして後悔はしたくなかったですし、やっておけば良かったと自分自身で後から思いたくなかったので、高3の夏にはプロ転向の意思を固める事ができました。全日本ジュニアの優勝も、思い切れるきっかけになりました。」

(大学の誘いもある中、全日本ジュニア優勝を含む好成績は、プロへの進路を固めるには十分だった)

順風満帆の船出も、実は爆弾を抱えていた

TT:「では、プロになってからのお話を伺いましょう。2013年4月、プロ転向後の出だしはどうだったのでしょう?」

河内:「転向時からスポンサーも複数ついていただける幸運な出足だったと思います。」

TT:「転向直後の戦績を確認すると、1年目は予選で苦しみ、2年目は特にダブルスでは準優勝1度、ベスト4が4度と戦績が出始めたと思ったら、3年目以降はほとんどを予選で過ごすことになってしまっています。ジュニア戦績がそのまま通じるとは思いませんが、それでももう少し上の成績を上げても不思議ではないと思うんですよね。」

河内:「実は高3の夏前から、サーブにイップスが出るようになってきて。」

TT:「えっ、そうなんですか。」

河内:「高3はサーブだけの症状が、プロ転向からはフォアハンドにも広がりました。最初は当たりが悪いなとだけ思っていたんです。でも周りから『あれ、フォーム変えた?』って言われて、驚いてビデオを撮ってみたら、自分のフォームではなかったんです。サーブで取るトロフィーポーズも手が違うところを向いていたり、フォアでは肘が脇に当たるっていう考えられないフォームになってることに気がつきました。球出しでさえも症状が出るくらいに深刻でした。」

TT:「ちょっと考えられない状況です。」

河内:「本当ですよね。専門カウンセラー、要するにメンタルカウンセラーにもいきましたし、身体の動きを見てくれる病院とかいろいろ探していきましたけど、どれもうまく行かなかったです。そこで、症状が出たらフォームを毎回ビデオを撮って、自分の感覚とのズレを確認して、そのズレを補正しながら動くという作業を地道に続けていきました。そんなことをやってたら、そりゃ試合にはなりませんよね。プロ3・4年目までは試合にならずに終わってしまうことも何度もありました。最悪の試合は、3年目でトルコの予選で、相手はノーランカー。その試合のアンフォースドエラーが46本。46本ですよ!返されたら終わりで、ウィナーはゼロでした。この時は本気でテニスをやめようと思いました。それ以外で何度もやめようとはしたんですが、年に何回か練習でいい感じで打てる時があるんです。そんな時があるのでまた続けるんですが、それでもやっぱりまた症状が出てきてしまう。この繰り返しでした。」

(2019年、全日本選手権はダブルスでベスト8)

問題を克服、そしてプロのあり方とは

TT:「今はどういう具合ですか?」

河内:「実は完全に治ったわけじゃないんです。でも、今は症状が出ても、イライラせずに、ミスのイメージと実際が合っているのかを確認する克服法が身についてきました。以前受けたカウンセラーや病院で教えてもらった一言が、何年も経った今になってわかるようになってきました。」

TT:「それで特に今年は成績を出し始めてきたんですね。」

河内:「はい、最近はしっかり試合ができるようになってきました。気持ちをしっかり持って戦えるようになってきています。」

TT:「それではこれからが楽しみですね。」

(プロサーキットでの長いトンネルを抜け、成績を残し始めた)

TT:「では、今後プロとしてどう進んでいきたいかを教えてください。」

河内:「戦えるようになってきましたから、まずグランドスラムの予選にかかる250位を目指していきたいと思っています。この先1−2年が勝負だと思います。でもそれ以上にもう一つ。」

TT:「何でしょう?」

河内:「僕らはプロで活動しているということは、プレーを見てもらう機会が必要で、これはグランドスラムに出てテレビに出ることに限るのではなくて、選手活動とは並行でイベントなどで見てもらうこともありなんだと考えるようになりました。」

TT:「いいですね、テニスイベントやりましょう!」

河内:「イップスを通じてセルフコントロールすることを覚えてきましたし、イベントや練習でそれを克服することは自分へのトレーニングであると考えるようになったこと、それとプロは見せるためにあるんだということをプロ7年経って言える境地にやっとたどり着きました。」

(タピオカで締め括ります 笑)

最後に一言と、サインをいただきました。正に今の心境ですね。

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写真提供:

河内一真選手

ご協力ありがとうございました。

聞き手:

Tennis Tribe.JP 新免泰幸

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