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輿石亜佑美

「七転八起」

· Players

2019年は、2000年代生まれの選手も含めて多くがプロへ転向、厳しい競技の海原に漕ぎ出しています。その中でもすでに数名はプロツアー(ITF)での優勝とWTAランクを獲得し、日本の若手として頭角を現わしつつあります。

今回は、その中の一人。

厳しいプロの世界で戦っているようには思えないほど、あどけさが残る笑顔とおっとりとした話し方。しかしコートでは相手の裏をかく狡猾なプレーでポイントを狙う19歳。

輿石亜佑美選手にお話を聞きました。

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大好きなテニスコートと家族

Tennis Tribe.JP(TT):「活躍は拝見しています。早速ですが、テニスを始めたきっかけを教えてください。」

輿石亜佑美(輿石):「はい。お父さんもお母さんも高校時代からテニスやっていて、3つ上のお姉ちゃんも始めて、私もコートでボール拾いして遊んでました。」

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(ボール拾いのテニスはもう少し経ってから)

TT:「テニス開始年齢は3歳とありますから、ボール拾いから数えてってことですね(笑)」

輿石:「あはは、そうですね。でも遊びでもその頃からラケットをもってやってたと思います。お姉ちゃんがスクールに入った時に、私はコートの端っこでちっちゃいネットみたいなので遊んでいたのが最初のテニスの記憶かな、って思います。」

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(テニスコートはみんなの遊び場だった。ベーしている子が本人)

TT:「本格的にテニス集中するようになったのは、いつ頃からですか?」

輿石:「ん〜いつからなのかな。小学校に入るまではスイミングもやっていたんですけど、小1からは学童に行っていて、テニスは週に3回くらいやってたと思います。なので、きっとその頃からかな。」

TT:「他の習い事とか、スポーツとかはやってました?例えばサッカーとか。」

輿石:「小学校の時は公文に行ってました。サッカーは・・すっごい下手くそです(笑)ノーバン(ノーバウンド)で来たやつなんか、全然ボール蹴れないし(笑)」

競技としてのテニスの道へ

TT:「最初に出た試合のこと、覚えてますか?」

輿石:「多分、小1の時に川口市の大会に出たのが初めてだったと思います。相手は同い年で今はプロでやってる塩谷夏美ちゃんで、その時は風がこんなになるくらいすごい強くて(と身振り手振りで実演)、夏美ちゃんも強くてスコ負け食らったのを覚えてます。」

TT:「その後、テニス選手として順調に成長します。全国レベルに初めて名前が出てきたのは、小6の全国選抜(U12)と全小。その後は中3での全中出場のようです。」

輿石:「はい、選抜がきっと始めての全国大会だったと思うんですけど、他の全国大会は会場が大阪だったりするのに、選抜はTTC(千葉県柏市)じゃないですか。(地元に)近いし、何か特別感とかがなくて、周りは知ってる友だちばっかりで、緊張感がなくて試合にあまり入り込めないまま負けてしまったので、お母さんに怒られた記憶があります(苦笑)」

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(小6の全小出場時。まだフォアハンドは両手打ち)

輿石:「そう、それで小6の全日本ジュニアが終わるまで、フォアもバックも両手で打ってたんですけど、大会の後にフォアを片手に変えました。」


TT:「おや、それはどうして?」


輿石:「なんか、周りの人はみんな片手だし、強い人もそうだし、やっぱりリーチも出るし、それに片手の方が遠心力が使えるので、変えたいなって思ってコーチに相談して変えました。その名残りで、今でもフォアのテイクバックで左手がくっついてくることがあるんです(笑)」

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(中2から、大人も参加するJOP大会に出場、優勝を果たしている)

日本のトップジュニアの道へ

TT:「全日本ジュニアの話をしましょう。U14に中2で出場してベスト4、U16に高1で出た時もベスト4。相手はどちらも佐藤南帆さん(現在大学生で2019年ユニバーシアード世界チャンピオン)でした。。何か思うものありますか?」

輿石:「2回目の時は、その前で安藤優希ちゃんと当たった試合ですごい競って、ファースト(セット)とって、セカンドもマッチポイントまで行ったのに、タイブレ(ーク)で落としたあと、(私の)脚が攣って、そしたら優希ちゃんも脚攣っちゃって(笑)。でも私が先に回復して勝つことができたんですけど、なんかそれで満足してしまって。ベスト4だし。南帆はそれで勝てる相手じゃなかったと思います。」

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(中学・高校と全日本ジュニア出場でベスト4を掴む〜写真は中学時代)

TT:「同年代はライバルが多そうですね。」

輿石:「そうなんです。他にも内藤祐希ちゃんとか宮本愛弓ちゃん、永田杏里ちゃんとかそれに西郷里奈ちゃんとかいっぱいいます。でも予想外に南帆が大学行っておおっって思いましたけど(笑)みんな揃って強いんですよね。」

TT:「インターハイには個人のシングルスで出場をしていました。」

輿石:「はい、高1と高2で出てて、高1は1回戦で負けて、高2は準優勝でした。この準優勝が高校の時で一番悔しい試合でした。しっかりプランも作って入りましたけど、ファーストは相手が思い切り攻めてきたのを自分は引いちゃって取られて、セカンドは入る前にトイレットブレークをとってしっかり頭の中を整理して『絶対取るぞ』って入ってとったんですけど、ファイナルはなんか自分の事を最後まで信じきれなくて、0-6で負けちゃいました。ほんとに悔しい試合でした。」 (vs 平田歩選手、3-6 6-2 0-6)

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(インターハイは個人戦で出場し高2では準優勝)

TT:「大会としては、国内のジュニア大会だけではなくて、ジュニアITFで日本とアジアの大会に出場していたようです。中でも15歳でG5ブルネイでのダブルス優勝、そして16歳で地元埼玉のG4大会のシングルスで優勝。」

輿石:「どの優勝も嬉しいんですけど、埼玉の優勝は知っている人もたくさん来てくれていたので、やっぱり一番嬉しいです。ブルネイの大会はシングルスでまた足攣っちゃって、ダブルスは(細木)咲良ちゃんと頑張ろうって優勝した試合でした。」

TT:「足攣りやすい??(笑)」

輿石:「もう最近は攣りません!(笑)」

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(ブルネイでのITFジュニア大会、細木咲良選手と)

初めての大きなつまずき

TT:「順風満帆に見えるジュニアの時期ですが。」

輿石:「そんなことないです。中1の時に怪我で股関節の手術をして、苦しい時期もありました。」

TT:「詳しく聞かせてもらっていいですか。」

輿石:「6月の初めに股関節の痛みを感じ始めました。最初は痛み止めを使いながらプレーしていましたけど、関東ジュニアでは試合の後半に痛くて泣きながらやっていました。通っていた整骨院の先生にMRIを勧められて、受けてみたら『先天性臼蓋形成不全』ということが分かりました。そして、痛みの原因を突き止めるために股関節の専門医がいる病院を受診して、左股関節の関節唇損傷と診断されました。対処としては、保存療法と手術の二択と言われました。」

TT:「大きな関節ですから、判断が難しいですね。」

輿石:「そうですね。手術をすると半年ほどリハビリにかかると言われました。でもまた痛くなるよりしっかり治したいと思って、手術を選びました。週6回、3時間のリハビリに通って、2ヶ月半で練習に戻りました。でもその4ヵ月後に、今度は股関節をかばって腰を傷めてしまいました。腰椎分離症に一歩手前とのことでした。この時は『何で私だけ」ってライバルの試合を見るのも嫌で、もうテニスをやめようかとも思いましたこともありました。でも、やっぱりテニスが好きだし、やめたくないと思って、再度リハビリに専念しました。」

TT:「置いていかれる焦り。やめない選択をしてよかったですね。」

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(怪我をしても、タダじゃ起きないのです)

輿石:「このリハビリ期間中は、練習できない分で身体を作ろうと思って始めたのが、テニス栄養です。山口美佐さんってご存知ですか?今は早稲田大学の栄養サポートもしている管理栄養士さんです。その方にお願いして食事を管理していただきました。おかげで、リハビリ期間に身長がかなり伸びました(笑)」

TT:「転んでもタダじゃ起きませんね(笑)」

輿石:「怪我をしたからこそテニスができるだけで楽しいと思うことができたので、怪我をしたことは私にとって良い経験でした。」

プロを見据えて動き出す

TT:「ジュニアの大会に出場する一方で、高校1年からITFプロサーキットに出場しています。最初は2016年3月の亜細亜大大会。プロの大会はどういう印象でした?」

輿石:「みんな、当然ですけど、私より強いわけで、そしてお金を稼ぐために出ている中で、自分はノンプレッシャーでチャレンジャーのつもりでやってました。」

TT:「(2016年)8月には能登大会(ITF25K)で予選を通過して本戦初戦も突破しました。」

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(高1でチャレンジを始めたITF大会、能登で初めて予選を通過)

輿石:「能登の大会は普段から練習して得意なオムニ(砂入り人工芝)コートで、私は普段から(オムニの特性を生かして)スライスとかドロップとかを使っていくんですけど、持ってる戦略を全部出せたかなって思える試合でした。」

TT:「2018年、昨年の香港(ITF15K)では単複ベスト4」

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(ITF香港大会で単複ベスト4)

輿石:「その大会はコートが速い上に3回戦では選手は相手のボールがとても速くて、ファースト1-4まで持ってかれてからスライスに切り替えて対応しまくって勝ったんですけど(7-5 6-1)、スライス打ちすぎて(笑)スピンが打てなくなっちゃって(笑笑)。準決勝の日は雨でもっと速いインドアでの試合になったのに、相手が(細木)咲良ちゃんだったんです。球低いじゃないですか、スピンどころか全然間に合わなくって負けちゃいました。」

そして、プロの道へ

TT:「高校を卒業してからのプロ転向(2019年)ですが、大学進学を考えることはありませんでしたか?」

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(高校卒業、そしてプロの道へ)

輿石:「プロになることは小さい頃から競技を続けていれば誰もが一度は夢見ることだと思います。
私も小さい頃から将来はプロ選手として活動したいと思っていました。中学2年生の時にJOP大会に出始めてからその思いはさらに強くなりました。勉強は好きなので、大学で勉強したいという気持ちはありました。でも、若いうちからチャレンジしようと思いましたし、女子選手のピークは結構早いと思うので勉強はテニスを引退してからでもやれることですから。それに両親やコーチが後押ししてくれたこともあり、逃げ道を作らないためにプロの道を選択しました。プレッシャーとかも自分の中ではどんどん大きくなってきていますけど、そのプレッシャーを力にできるように、今頑張ってます!」

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(プロ初優勝は、韓国で)

TT:「プロ転向後早速、韓国ギムチョンのダブルスでプロ初優勝しました。その時の喜びの声は前に少し聞きましたね。」

輿石:「そうですね。」
(くわしくはこちら

TT:「その試合ですが、準決勝ではE.Oのチームメイト福田詩織選手との対戦でした。やりにくかったですか?」

輿石:「私より(西岡)コーチの方が一番困ってましたね(笑)でもその試合は外国人と組んでいたので、パートナーが毎ポイント毎ポイントファイトするよって声をかけてくれたので、試合中はそんなに気にしないでできました。」

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西岡靖雄氏が主宰するツアーチームProject E.Oで腕を磨く)

プロとしてのこれから

TT:「さて話しを変えて、プロとしてどんなプレーを見て欲しいですか?」

輿石:「緩急をつけた試合をするので、『えっそこでドロップ?そこでこっち??』って驚いてもらえるようなプレーがしたいです。」

TT:「どうしてそういうプレースタイルが生まれたんでしょう?」

輿石:「実はあまり練習が好きじゃなくて、その頃のコーチに練習じゃなくて試合にどんどん出て、自分で考えて自分の力にしていくのがいいっていうアドバイスをもらってました。それで中2からJOP(日本テニス協会主催国内大会)に出ていたんですが、そこで大人相手に揉まれている中で、こっちからいくら打っても体格もパワーもスピードも違うので、緩急をつけたり、スライスやドロップを使うプレーが培われたんだと思います。」

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TT:「最後に、どんなテニス選手になっていきたいですか?」


輿石:「一番は、親しみやすい選手になりたいです。プレースタイルを真似したいって言われるにはちょっと難しいと思うんですよね。スライスとかドロップとかちょっと違ったスタイルなので。西岡コーチもいつも言うんですけど、テニスだけじゃなくて、自分の人生がもっとより豊かになるようにって言われるので、テニスを通じて人間的にも成長したいし、人間として尊敬される選手になりたいです。」

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(これで尊敬される人物かは分かりませんが、少なくとも親しみやすいのは間違いないですね!)

TT:「あ、そうだ、国体の埼玉代表になりましたね。おめでとうございました。」


輿石:「ありがとうございます!生まれも育ちも埼玉県川口市で、ちっちゃい頃から県ジュニアとかで、大人になったら代表になってねって県の人に言われてたので、何か不思議な感じです(笑)」

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(おまけ!)

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一言をいただきました。

これからも、転ぶことも多いでしょう。でもそれより多く前を向いて起き上がってきてください!

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輿石選手への応援メッセージは、FacebookまたはTwitterでお待ちしています。

最新情報は、Instagramからもチェックしてください。

写真提供:輿石選手ならびにファンの皆様

ご協力ありがとうございました。

聞き手:Tennis Tribe.JP 新免泰幸