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松田 美咲 

世界中の方々を笑顔にする😄

Tribe Story #68

· Players

2018年、東京・有明がオリンピックの準備のため大阪・靭を会場に行われた全日本選手権。

コートを縦横無尽に走り、拾い続け、しかしチャンスとあれば迷いなく打ち抜く小柄な女子選手がいました。並み居るプロ選手を2・3・4回戦で打ち破った準決勝の舞台にいた大学2年生。

もっと見てみたいと思ったことを覚えています。

約3年の時を経てプロとなり、大人の雰囲気を少し纏ったの松田美咲選手にお話を伺いました。

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松田 美咲選手

1998年8月21日生まれ 埼玉県出身

=週7日をテニスに捧げた幼少期=

Tennis Tribe.JP (TT):テニスを始めたきっかけから教えてください。

松田美咲(松田):母が近所のお友だちどうしでテニスをするようになって、子供たちも連れて行ったことがきっかけらしいです。子供たちも揃って与野テニスクラブに入りました。それが私のテニスの始まりになります。与野に入ったのは(幼稚園)の年中で、年長になるときに選手コースに入って週に4−5回練習するようになりました。

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小学校低学年の頃

TT:幼稚園の時からその入れ込み様はすごいですね。他の習い事や友だちと遊ぶ時間などはあまりなかったんじゃないですか?

松田:そうですよね。でも週の残りの2−3日もテニスに役に立つだろうという習い事をやってました(笑)

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テニスのためならサッカーもした。Jリーガー福田正博選手と。

TT:例えば?

松田:まず水泳。普段テニスでは使わない体を使うので始めました。次にサッカー。これはフットワークのためです。家の近所で(浦和)レッズの選手が週1で子どもたちに教えていたので、小2から小3まで通ってました。他にはピアノです。これはよくわかんないですけど(笑)幼稚園の年少から小4か5までやってました。肺活量の訓練になるというのがきっかけで小4から小6まで、金管バンドでトランペットを吹いてました。トランペットは楽しくて、ホールで発表会もやったことあるんですよ!

TT:じゃ今度みんなの前で演奏してもらいましょう(笑)歌も歌えちゃったり??

松田:歌は・・オンチなので、無しで!(笑)

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小学生時代にテニス以外で熱中したのは金管バンド。トランペットやコルネットを吹いた。

=環境を変え、ひとつずつ壁を破っていく=

TT:小さい時はどんなテニスをしてましたか?

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練習ではラケットをブンブン振っていた

松田:小学校の時は、練習ではラケットをブンブン振っても、試合になると振れなくなって入れるだけのプレーをしたり、逆に振り回しすぎて入らなくなったりしちゃってましたね。今思えば、「勝ちたい」っていう気持ちをどう整理してプレーするかができていなかったと思います。全国に勝ち上がっていく選手たちを思い出すと、そういうところがしっかりできていたように思います。当時の私にはそういう考え方が伴っていなかったので、県のレベルでしか戦えていなかったんじゃいかなって思いますね。

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小学の高学年までは県大会どまり。「気持ちを整理してプレーすることができていなかった」

TT:小学生時代には県止まりも、中学に上がると全国レベルになっていきました。

松田:中1から志木にある木下テニスクラブで練習するようになりました。ここはスクールというよりも空いている時にはいつでも練習させてもらえたので、今から考えても本当に感謝でした。3つ年上の選手と練習できたので、強いボールを打てるのはよかったです。

でもその年上の選手が高校進学で抜けることになってしまったので、中2の途中からは与野テニスクラブで習っていたコーチが移った朝霞のPCAテニスアカデミーで練習を始めました。

TT:しっかり指導を受けるようになって、確実にレベルは上がっていったわけですね。

松田:そうですね、それまで関東でも勝てなかったのが全国に行けたのは嬉しかったです。でも優勝を争う同年代の選手たちと、全国の1回戦を越えられない自分との差を見せつけられる場所でもありました。どうしたら勝てるんだろう?って思いながらも、じゃ自分は何かを変えたか?って問いかけると、何も変えられてなかったなって思います。

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中2からはPCAテニスアカデミーで指導を受け、全国への実力を見せていく

=高校の選択とプロへの覚悟=

TT:高校は浦和学院に進学しました。同年代では通信制高校に進んでテニスに集中する選手も少なくない中で、普通科の高校へ行きました。その選択について教えてください。

松田:テニスクラブに行きながら通信制高校に通うことも少し考えたことはありました。でも自分には高校の部活での上下関係だったり、団体戦だったり、そういう厳しい環境が合うんじゃないかと思ったので、浦和学院を選びました。

TT:その甲斐もあって、全日本ジュニアでも1回戦を突破できる実力を身につけていきましたね。

松田:そうですね、結果が少しずつで始めた頃だと思います。そして、それまで心の中で留めていた「プロになりたい」っていう気持ちも口に出せるようになったのもこの頃からです。プロに向けて選択と成長の時だったと思います。

TT:高2の全日本ジュニアは3回戦。この時を振り返ってみていただけますか。

松田:この時のことはよく覚えてます。それまで全国では力が出せなかったのが、1回戦と2回戦は自分の考えも整理できて、思ったように力を出せたと思います。3回戦の相手は同年代で私よりずっと上で活躍していた福田選手(福田詩織、現在ペパーダイン大学院)で、やっと戦えるところまで来たんだなって思いましたし、これを越えないと上には上がれないんだって感じながら試合に臨みました。でもこの試合は、相手がいるスポーツなのに自分がしたいプレーだけをしてしまいました。練習で出来てたことが出来ない(やらせれもらえない)のに、別の道を探すことも選ぶことも考えられないまま負けてしまいました。小学生の頃に勝ちたい気持ちを整理できずに負けていたのと同じことを、また繰り返してしまってました。(結果は 7-6(4), 0-6, 5-7の接戦)

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高3のチームメイトと。オシャレしようとしたおでこは、ヘアアイロンでジュッと(笑)

TT:浦和学院を選んだ理由の一つ、団体戦での思い出を聞かせてください。

松田:3年の島根インターハイ団体で、私に勝敗が掛かった試合がありました。実力通りに力を出せれば勝てると思っていた相手でしたが、勝たなきゃいけないっていう緊張でもつれて、5回のマッチポイントを取られました。最後は逆転で勝ち切ったんですけど、この時は心臓が飛び出そうでした(笑)

TT:他にもこの一戦、というのがあれば聞かせてください。

松田:やっぱり同じ高3の島根インターハイ個人戦のシングルス決勝戦かなと思います。対戦相手は地元島根の細木咲良選手。地元のメディアが大勢きて、コートを取り囲むくらい、100人以上はいたんじゃないかと思います。こっちは10人くらい(笑)。でも試合中にその10人の声はちゃんと聞こえたんですよね。結局負けちゃったんですけど(5-7 5-7)、私よりも悔しがって泣いてくれたりして、こういう応援をしてくれる人たちのためにも、自分はテニスでみんなを笑顔にできるようなプロになっていきたいなって思いを強くしました。

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細木咲良選手(現プロ)とのインターハイ決勝戦は、プロ選手への覚悟を後押しした

=プロへの導きと挫折=

TT:高校の時にプロになる目標を明言しましたが、高校卒業でのプロ転向ではなく大学への進学を選びました。

松田:はい、高3の冬まで、プロになるか、大学に行くかは迷いました。

TT:大学の選択には、アメリカなど海外もありましたか?

松田:いいえ、海外では勉強とテニスの両立が必要なので、私にはできないだろうなって思って選択肢にはなかったです。でも高卒でプロとしてやっていくには、実力もそうですし、プロ活動していくための資金も、練習拠点もありませんでしたから、プロ転向は難しいと考えました。大学は色々とお声がけはいただきましたが、亜細亜大の堀内監督と長久保コーチとお話をする中で、プロになるにはどうすべきかだけではなく、プロになった後のことも含めて私の夢に向かって一緒に考えてくださる方だと信じられましたので、亜細亜でしっかり練習と経験を積んでプロを目指すことにしました。

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大学進学早々の「春関」優勝で、幸先のいいスタートを切るも・・

TT:戦績を確認しましたら、高校を卒業した年に、ぽっかりと大会に出ていない空白の期間がありますが・・

松田:大学進学して春関(関東学生テニストーナメント大会)中に、体に異変を感じ始めていました。大会後も異変は続いたので病院にいくと、試合をしているどころではない病気と診断されました。できるだけ安静との指示でしたが、私には痛みの症状があるわけでもなかったので、久留米の(ITF6万ドル)大会にでようと考えました。先生に相談すると出場は止められましたが、体調がおかしくなったらすぐにやめて帰ってくる条件で出場しました。大会期間中は問題なかったのですが、帰ってから吐き気を感じて、即入院になってしまいました。

TT:希望に燃えて進んだ大学の1年目にして、これは酷な。

松田:5月に発病して10月まで丸々テニスは休みました。そこからちょっと練習してはまた症状が出て、安静にしてを繰り返して、結局しっかりとコートに戻れたのは2年生の春関だったので、丸一年治療に掛かってしまいました。

TT:1年間は長かったですね。

松田:同期の(清水)映里(当時早稲田大学、現在プロ)がインカレで優勝している時に私は寝たきりでしたので、焦りがなかったといえば嘘になりますけど、ここからは下りようがない、上がるだけだって思えたので、病気の時期に精神的には成長したんじゃないかなって思います。

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ほぼ1年の闘病で得た精神的に成長。復帰後のインカレで準優勝。

=闘病から得たもの=

TT:復帰後の2年生(2018年)はインカレ準優勝、全日本選手権でも並居る国内トッププロを倒して、ベスト4でした。

松田:そうですね、でもさっき言ったように、あとは上がるだけって思ったことと、精神的に成長したことが出たんじゃないかなって思います。それでも、復帰した年はインカレ、インカレ室内、選抜と準優勝で、シルバーコレクターみたいになっていたのは、自分に何が足りないのかって考えさせられる年でもありました。

TT:インカレについていえば、大学3年と4年(2019年と2020年)は第1シードでしたがそれぞれ3回戦とベスト8。シードを守りきれませんでした。

松田:大学3年は不完全燃焼の一年でした。自分がするべきプレーと実際のプレーがちぐはぐで、考え方がまとまらない一年だったように思います。この年はみんなでビデオを撮って客観的にプレーを観察したんですけど、考え方を変えれば勝てた試合もいっぱいあったなっていう年でした。4年の時は病気が再発してしまったり、怪我をしたりの年で、練習不足のまま臨んだインカレでした。体力もなくて、負けた試合は確か3セット目は0-6でしたよね?

TT:そうですね、4回戦までは全てストレートで勝ち進んだのが、準々決勝は4-6 6-4 0-6。2セットで力尽きた感じですね。

松田:それでもインカレに出場できるところまでお世話をしてくれた、トレーナーやみんなには本当に感謝しかないです。

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学生最後の大会インカレ室内では有終の美で締め括る

=さあ、プロへ!=

TT:さて、大学時代もコンスタントにITF大会には出場を続けて3回の準優勝、今年2021年、大学卒業していよいよプロの道に進みました。この時には何か迷いなどは・・なさそうですね(笑)

松田:プロになって、その先を見据えて大学を過ごしてきましたから、卒業後にプロになる気持ちには全くブレなかったです!

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TT:大学卒業後の4月からずっと遠征に出ていましたね。数えたら1ヶ月半、6大会も。

松田:まだ資金があるわけではないので、一度の遠征でできるだけ多く試合をこなそうと思って長期になりました。最初の3週はダブルスで優勝1回、準優勝2回できましたけど、シングルスはまだ準備ができていない状態でした。準備してた武器が使えないとわかった時に、代わりにどうしたらいいかの答えを引き出せなかったです。

そのあとの4週から6週目は、考えを整理する余裕が生まれてきて、答えを見つけられるようになってきました。結果的にベスト8とベスト4の成績を挙げられたのは収穫だったかなって思います。

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厳しい練習の合間にも練習仲間との会話に白い歯がこぼれる。

=問題発生!言葉が通じない!!=

TT:遠征前半のダブルスは韓国の選手とのペアリング。相性が良さそうでしたね。

松田:そうですね、リー・ソラ選手は日本語が話せるので、試合中も日本語でしっかり意思疎通できました。私、まだ英語が全然なので、本当に助かりました(汗)

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プロ最初のITF遠征ではダブルス優勝をもぎ取る。ペアは韓国のリー・ソラ選手

TT:英語に話が飛びました。テニス選手は英語が必須ですから、それもがんばらなきゃいけませんね。

松田:本当にそう思います。今までも英語ができなくてずいぶん苦労してきました。タイに行った時も空港に向かうクルマで、早くついて欲しいのに寄り道をするので急いでって伝えようとしても言葉では言えないから身振り手振りでなんとか伝えたりして。あの時は英語がちゃんと話せたらなって思いました(苦笑)

TT:英語の勉強は、プロとしてやらなきゃいけない課題のナンバーワンかもしれないですね! 

=プロとして目指す姿=

TT:さてプロとしてこんな選手になりたいという抱負や目標を聞かせてください。

松田:常にファイトして、走り回るプレーをみていただきたいです。待ちではなくて、自分からフィニッシュに持っていけるプレーができるように、もしうまくいかない時は頭を使って他のプレーで戦っていける、そんな選手を目指したいです。

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=松田美咲選手の情報とメッセージ=

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=写真提供=

松田美咲選手

=聞き手=

新免泰幸