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宮崎 Lily 百合子

「Be Fearless!!」

Tribe pickup #63

· Players

= Lily ミヤザキ? ユリコ・ミヤザキ? =

今年すでにITFシングルスで2勝、ランキングも300位代中盤からジリジリと上げ、グランドスラム予選の背中が見え始める選手でありながら、あまりその存在は知られていないのではないでしょうか。

Lily?ロンドン在住??大学はオクラホマ???

謎は深まるばかり。

本人から「正直私は日本語が少し苦手なのですみません!」と言われ、このメッセージさえ「ショウジキワタシハニホンゴガスコシニガテナノデスミマセ〜ン」と頭の中では外国語風に変換してしまう始末。

Zoomの画面越しに明るい日本語が聞こえるまでは、いったいどんなインタビューになってしまうのだろうと、期待よりも不安が大きかったことを吐露しておきます(笑)

名前は「だいたいリリーって呼ばれます(笑顔)」ということですので、記事にもそのまま「リリー(さん)」と呼ばせていただくことにしました!

テニストライブ(TT):リリーさん、まず何より最初に聞かせてください!日本人ですか??

宮崎百合子選手(リリー):ハイッ、ワタシ、日本人です!東京で生まれて、5歳から父の仕事でスイスのチューリッヒに引っ越しをするまで、神楽坂に住んでました。

TT:あ、そうなんですね(何かわかりませんが、少しホッとする)。でもそれからはずっと外国ですか?

リリー:いえ、9歳から1年半くらい日本に帰ってきた、小学校に通ってました。でもそのあとは大学でオクラホマ以外はずっとロンドンです。

TT:スイスにいらっしゃったということで、フランス語かドイツ語もできちゃったりします?

リリー:チューリッヒはドイツに近いので、スイス・ジャーマンでした。小さい頃に少ししかいなかったので、喋るのは苦手ですけど、何を言ってるかくらいは何となく分かります。

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=スイスで見出された才能=

TT:では、リリーさんのテニス半生を振り返っていただきますね。テニスを始めたのはいつ頃、どの国の頃ですか?

リリー:3−4歳、東京にいたときです。父がテニス好きで大学でもやっていたらしくて、コートに連れて行ってもらうのが最初でした。2つ上に兄がいるんですけど、兄がテニススクールに通うようになって、私は兄がやることは何でもやりたがったので、テニスもそれで始めたのがきっかけです。

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お兄さんのあとを追ってテニスコートへ

TT:テニスを一家で楽しむ美しい光景ですね! ちなみに他には何かスポーツをやってましたか?

リリー:サッカーはやりました。それと、小さい時は喘息があったので、週1くらいで水泳もやってました。

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サッカーに水泳、それとお母様の指導でピアノもやっていたという

TT:テニスにのめり込んでいったのはいつ頃、どんなきっかけで?

リリー:スイスに引っ越してからもテニスを続けました。ちょうどフェデラーが出てきた頃で、スイスでも人気が出てきた時でした。そこのクラブのコーチに、なんていうんでしたっけ?ちゃんとやる、エーサイ?

TT:英才教育ですね。

リリー:そう、英才教育を受けさせたらどうかって話になって、それでのめり込んでいきました。

TT:英才教育って、全寮制でテニス漬けの生活ですか?

リリー:いや、そんなことはなくて、1面にコーチ1人にプレイヤーが多くて3人のグループレッスンを週に2回、プライベートレッスンを週に1−2回、そして週末に試合をするくらいです。日本に比べると練習量少ないですよね? スイスでもイギリスでもそうですけど、テニスだけではなくて、いろんなことをやりました。

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スイスでテニスにフォーカスしてはどうかと勧められる一方で、テニスだけの生活ではなかった

TT:スイスのテニスには興味がありますね。ヒンギスがいて、フェデラーも。小さな国なのに、どうやってああいう選手が何人も出て来るのかって不思議なんですが、何かご存知ですか?

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2004年、ロジャー・フェデラーが世界のテニスを席巻し始めた頃、リリーはスイスでテニスを学んだ

リリー:え〜なんででしょうね?(笑)私にもわかりません。テニスはスイスで国民的なスポーツって訳じゃないんですけど。。

TT:スイスでのテニスで覚えていることって他になにかありますか?

リリー:短い期間でしたから、あんまり記憶に残っていることはないですけど・・8歳か9歳の時に、ベンチッチ(Belinda Bencic)と試合しました。2つ年が下なので彼女は7歳くらいでしたけど、どの選手よりもすごい真剣で、プレーもとにかく動きが早くてびっくりしました。

TT:結果は?

リリー:スコアは覚えてないですけど、負けました。

=日本へ帰国、そして再び外国、イギリスへ=

TT:スイスのあと日本に帰国したとのお話しでしたね。どちらで練習をしていたんでしょうか?

リリー:JITC(自由が丘インターナショナルテニスカレッジ)に1年半お世話になりました。いまでも日本に帰るとホームはJITCです。去年日本の大会に出た時も、JITCで西郷姉妹と練習してました。

TT:スイスと日本、テニスで違いなど感じたことはありますか?

リリー:日本の方が練習量が多いですね。それにコートに入る人数も多いので、球出しでの練習が多いのも違いかなと思います。でも練習量があるだけ、ミスが少なくてテクニックもある選手が多いのは、その影響じゃないかなって思います。

TT:ではその次に11歳で引っ越したロンドンでのお話に移りますね。まず最初に興味があるのは、ロンドンのテニスコートはグラス(芝)が多いんですか?

リリー:いいえ、グラスは名門クラブにしかないです。私のクラブはインドアのハードコートです。イギリスは雨が多いのでインドアも多いんですけど、サーフェースはハード、あとはクレー。私のいるクラブもクレーを作らないかって話があるくらいです。

TT:グラスコート作ろうって話にはならないんですね。

リリー:グラスはメインテナンスに手間がすごいかかりますし、使える期間が限られてしまうんです。

=ITF Juniorで冷静に、着実に、ステップアップ=

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TT:ロンドンに移住して、14歳(2010年)からITFジュニア大会に出始めました。

リリー:はい。でもジュニアの成績は全然ないです。

TT:いやいやそんな事はないです。成長の過程がよく見えます。最初の大会は・・

リリー:オマーンでした。

TT:その通り。グレード5で予選1回戦敗退のほろ苦い初戦といったところだと思いますが、その後3戦目のエジンバラ(G5)で早くも準優勝。コートはクレー。ホームと違うので難しいんじゃないかと思ったのですが。

リリー:はい、勝ち上がれことにびっくりしてました。この大会はクラブのみんなで遠征したので、応援もあってリラックスして試合をしていたと思います。コートはグリーンクレーと言って、ハードコートとクレーの間くらいのスピードで、バウンドもクレーみたいに跳ねないので、そんなに難しさはなかったんじゃないかなって思います。

TT:この年はG5を中心に回ってクオーターファイナルかセミファイナルに行けるようになってます。そしてひとつ上のG4へのチャレンジもしてます。そして翌年も、そのあとも、同じように一つ上のグレードで優勝はないけれども好成績を収めて行って、さらに上のグレードの大会にもチャレンジするという、常に上がって行く流れが見てとれるんです。

リリー:ジュニア時代はいい成績は残せなかったけど、上達が楽しかったです。私は身体が小さかったので、やりたいテニスに身体はついて行っていないのは分かってましたから、慌ててはいなかったんです。

TT:すごい。冷静に自分を分析して見ていたなんて。ジュニアの時代で、思い出深い試合とかってありますか?

リリー:ん〜

(さらにしばらく考えて)ん〜

TT:ま、何かあればでいいですよ(笑)

リリー:大阪のスーパージュニアで、ロシアの選手と試合してたら、鼻血が出たことかな〜・・(笑)

TT:2013年、17歳で初めてのシニアのITF大会(1万ドル・シャルムエルシェルク)に出場します。そして2回戦進出でWTAポイントを獲得。初戦で世界ランカーになりました。

リリー:コーチと話し合って、いろんな選手と試合をした方がいいということで、この年からシニアの大会も出るようになりました。

=プロへのパスとして米国の大学へ、しかしテニスだけではないのは、ここでも=

TT:時間を大学進学まで進めましょう。イギリスではなく、アメリカのオクラホマ大学に進学しました。もしプロになるのであればここでプロ活動をしていく選択肢もあったと思います。その道は進まず、しかもアメリカの大学に。

リリー:16歳の時には、アメリカの大学に行くことを決めていました。プロにはいつかなりたいとは思っていましたけど、アメリカの大学を出てプロになる選手もいますから、それを参考にしてました。

TT:大学を出てというなら、イギリスでも出来るんじゃないかと思うのですが。

リリー:イギリスの大学のテニスはサークルみたいなものなんです。アメリカの大学は規模もレベルも違います。スカラーシップ(奨学金制度)を受けるStudent AthleteはOfficial Visitといって5校まで見に行けるんですけど、施設と、ついてくれたアイルランド人コーチがよかったので、オクラホマを選びました。

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大学時代にはNCAAをメインに据え、夏休みを中心にITF大会を回る。2019年USオープンチャンピオンとなったアンドレスクとも戦った

TT:アメリカの大学は勉強もしないといけない。こういうと当たり前なんですが、日本ではそうでもなかったりします。オクラホマ大ではどんな生活でした?そもそもメジャー(専攻)は何を取ったんですか?

リリー:メジャーは数学です。Student Athleteは授業でも成績を出さないと試合に出してもらえないです。とても厳しいので勉強も必死にやりました。数学はabstractなのが楽しくて・・

TT:・・あぁ〜ハイハイそうですよね・・汗

(話についていけてないので後日調べてみると、abstractは思考やアイデアには存在するが、物理的には存在しないことを表す形容詞。もっと分からんですよね・・)

あれ、ちょっと待ってください、大学卒業後イギリスに戻ってきたのは23歳の年。5年間大学にいった計算になります。試合出過ぎて留年しちゃったとか?

(この浅はかな問いは、即座に後悔に変わる・・)

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リリー:大学院に進んだからです。

TT:でも大学院は2年掛かりますよね?

リリー:大学は3年半で卒業しました。大学院は1年半で終わったので、5年になります。

TT:なんと!秀才じゃないですか。ちなみに大学院では何を研究したんですか?それと、プロになろうというのに、何で勉強にそこまで時間を費やすんでしょう?

リリー:勉強が好きっていうのはあります。それに、full scholarshipをmaximizeしようと思ったからです。

(解説しますと、奨学金制度のもとで大学院も修了できる権利があるので、最大限利用しようと思ったということですね、リリーさん!)

Management of ITとData Scienceを大学院では研究しました。

(おそれ入りました)

=NCAAでの成長=

TT:テニスの話題に戻りましょう。大学ではNCAA中心の活動になります。それで夏休みの6月〜8月にITFに出場していたという理解で合ってますか?

リリー:はい、その通りです。夏はロンドンに帰って、ヨーロッパの大会に出ていました。

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NCAAの地域大会で優勝、「全国大会」が開催されるニューヨークへの切符を手にする

TT:NCAAでのテニスはどうだったんでしょう?

リリー:本当に楽しい思い出がいっぱいです。特に思い出に残っているのは、2017年秋のNCAA個人戦のセントラルリージョナル(地域大会)っていうオクラホマとカンザスとかが入る128ドローも大きな大会で優勝したことです。優勝まで7試合あって、ダブルスも出ていたので、1日に3試合することもあって。優勝して次はFall Nationsという大会がニューヨークのUSTAで行われて、インドアでしたけどUS Openの会場で試合が出来たのもいい思い出です。

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=オクラホマからロンドンに戻り、2019年プロテニスの道へ=

TT:大学生活を終えてロンドンに戻って、2019年からプロ活動を開始しました。2019年にチュニジアのITFでプロ大会初優勝、2020年に横浜の2万5000ドル、今年は3月にシャルムエルシェイク(エジプト)の2大会で優勝。ここまでのプロ活動をどのように見ていますか?

(ランキングは2018年末の1159位、2019年末496位、2020年末で347位。2021年4月5日付けで327位で自己最高)

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2019年チュニジアでITF初優勝、2020年には横浜のITF2万5千ドル優勝。

リリー:チュニジアの初優勝した決勝は風が強い日でした。相手は前の週に負けていたんですけど、風は得意じゃなかったみたいで、集中して試合しました。

プロになって、ここまでは順調と思います。300位台ですから、あと1−2年でグランドスラムの予選に届けばと思ってます。

TT:いやいや、来年のオーストラリアには予選の250位くらいまで行っても不思議じゃないですよ。

リリー:そうですね!がんばります。

TT:リリーさんのプレーを見たことがある人は多くないですから、どんなスタイルのプレーをするのか教えてください。

リリー:身体は大きくないですから(167センチ)パワーで一発で決めるプレーはできないので、早いタイミングで時間を奪うことを心がけてます。それとスライスを使ったり、ドロップを打ったり、いろんな方法で。

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TT:参考にしている選手や、憧れていた選手などはいかがですか?

リリー:小さいときはエナンが好きでした。ラドワンスカは参考にしてましたし、最近はハレプやバーティかな。早いタイミングのプレーは、錦織選手は参考になりますね。

=オフの過ごし方=

 

TT:ところで、テニスを離れた時間には何をされてますか?

リリー:ゴルフは時間があったらやってます。あとはピアノを少し。母がピアニストだったんですけど、私は小さい頃にやめてしまったので、もう一度やってみようかなって思います。

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オフにはゴルフ、ピアノも「もう一度やってみようかな」

=Be Fearless!!=

TT:では、最後になります。この記事のタイトルにもなりますが、一言をいただけますか?

リリー:はい、考えてきました!

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(恐れ知らずであれ)

大学のコーチが難しい状況を乗り越えるためによく言っていた言葉です。

“Get out of comfort zone!!”(コンフォートゾーンから抜け出せ!!)

もよく言われたメッセージでした。

=ではリリーのコンフォートゾーンで締め括ってもらいます(笑)=

TT:ここまで日本語でがんばってくれてありがとうございました。

最後に英語で今後の抱負をお願いします。

リリー:ホウフって、目標とかでしたっけ?(笑)

TT:あ、はい、そうです(笑)

リリー:This is my 3rd year playing professional tennis. I’d like to keep improving my game and try to get place where I can play at the biggest stage of tennis, which is obviously grand slams, in the main draw of grand slams. So I'll continue to work hard and keep being fearless and going after my dreams!

今年でプロ3年目になります。継続してゲームを成長させて、そしてテニスの最高の舞台でプレーをできる場所、グランドスラムのメインドローでプレーできる場所を手に入れたいと思います。これからも一生懸命がんばって、恐れ知らず(being fearless)で、夢を追い続けて行きます!

宮崎選手の情報とメッセージは

写真提供

宮崎百合子選手

ご協力ありがとうございました。

聞き手:Tennis Tribe.JP 新免泰幸