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坂詰 姫野 

 

地道にコツコツ!

Tribe Story #69

· Players

野原にいるお姫様。

姫野という名前を与えられた坂詰家の三女は、「我儘で好き勝手してきた絵に描いたような末っ子」と自己分析する2001年生まれ。

新潟の実家が営む菓子店(👉こちら)のお話をすると頬が緩む20歳に「テニスは好きですか?」と聞くと、朗らかだった口元を引き締めて「勝負事が好きです」と断定的な口調で返す答えに、高校2年で決めたプロテニスへの覚悟を見た気がしました。

坂詰姫野選手が選んだテニス人生を紐解きます。

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坂詰 姫野

👉プロフィール

2001年8月3日新潟県生まれ

=テニスは、勝つため=

Tennis Tribe.JP (以下TT):テニスを始めたきっかけを教えてください。

坂詰姫野選手(以下坂詰):姉がテニスをやっていたので私も(幼稚園の)年長の時に始めたそうです。でもスクールで一緒だった友だちとクラスを分けられてしまって、テニスはそこで一度やめているんです。友だちと一緒じゃないとつまらないし、もうやらないって思ってました。

それが何がきっかけか分かりませんけど、小1の時に姉の行っていたテニススクールに入れてもらったら、コーチとの練習や話しが楽しくて、続けていました。

TT:テニス以外のスポーツや習い事は何かされてましたか?

坂詰:一番最初にしたスポーツはスキーです。上越ですから、2歳の時にはゲレンデでソリ遊びをして、3歳でスキーを始めたらしいです。他には、何でか知らないですけど、ずっと水泳はやってました。得意じゃなかったですけど。

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本格的にテニスに打ち込み始めて間もない小5で全国大会へ

TT:テニスを本格的に取り組み始めたのはいつ頃になりますか?

坂詰:小3か小4の時からだったと思います。これも何でそう書いたのか分からないんですけど、コーチとプランを立てたそうなんです。

   ・小4で北信越大会

   ・小5で全国大会出場

   ・小6で全国で成績を残す

TT:本格的に始めてすぐにこの計画、そしてそれが実現していくんですね。テニスが楽しくてやってたら勝っていたという選手が多いのですが、最初からはっきりと勝ちを目標にしてる。

坂詰:もちろんテニスは楽しくて始めましたよ。でも、負けたくない、勝ちへのこだわりが強いことも感じてました。シードがついたりすると、勝つことへの執着はとても強くなりました。

TT:意地悪な聞き方かもしれません。テニスはあまり好きじゃありませんでしたか?

坂詰:大好きじゃないとしても、他のスポーツに行かなかったことを考えると・・好きこそものの上手なれともいいますしね・・だから好きなのかな(笑)

TT:そういうことですね!(笑)

坂詰:でも、私にとってテニスは、「勝負の題材」なんです!

=トップジュニアへ。でもそう呼ばれるのは自分ではなく・・=

TT:小・中学の頃の戦績を紐解きますね。目標通りに小5で全日本ジュニアと全小に出場。小6では選抜室内の北信越大会で優勝していますが、これ、U18の大会ですよね?

坂詰:中3から高校生が出る大会たったので小6の同世代は誰もいなかったですし、何で出れたのかも分からないです。それにどうやって優勝したのかも全く覚えていなくて(汗)。

TT:中学生になると、中1と中2で全国選抜ジュニアベスト4。全日本ジュニアは中2でベスト4、中3で準優勝。全中を2016年に準優勝して、同年に中牟田杯を獲得しています。小6で全国で戦績を残すと書いた目標の先に、「中3で全国大会で優勝」と書いてあったかのような成長ぶりはお見事です。思い出に残っている試合などあったら教えてください。

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中1の頃。全国でかつ上位の常連ジュニアへ成長(全国選抜ジュニア)

坂詰:そうですね、中1の全国選抜の1回戦は覚えています。

TT:相手は同世代でトップジュニアで第2シードの佐藤南帆選手。スコアは64 36 10-7で勝利しています。しっかり作戦を立てて臨んだ試合だったのでしょうね。

坂詰:ドローが出て相手が南帆ちゃんだと分かっても、特に作戦らしい作戦は立てませんでした。コーチと「頑張って勝とうぜ!!」っていう感じで、ごく普通に入りました。試合はファイナルの10ポイントタイブレークになりましたけど、試合中は何をしようとか考えずに、ただ来たボールを返し続けたら勝っていた試合でした。

TT:その大会は準決勝で佐藤久真莉選手に敗れましたが、佐藤選手には全国選抜で2度決勝進出を阻まれています。最大のライバルと言っていいのでしょうね。

坂詰:ライバルという意味では、久真莉ちゃんや南帆ちゃんだけじゃなく、(宮本)愛弓ちゃんや(永田)杏里ちゃんもそうだと思います。それでもナショナルやジュニアフェドにも選ばれている久真莉ちゃんと南帆ちゃんが出ていない大会は勝ちたいし、勝たなきゃいけないっていう気持ちはとても強かったですね。

TT:トップジュニアとしての意地ってところですかね?

坂詰:そう言ってもらえるのは嬉しいですけど、トップジュニアと呼ばれるのは南帆ちゃんや久真莉ちゃんのことという感覚を持っていました。2人は世界に出ているし、雑誌に取り上げられるのも2人だし、じゃ私が実力で負けているとは思ってはいないし客観的にも同じところで戦っていると思ってはいても、世界の舞台を経験した2人の立ち居振る舞いから出てくる、なんて言うか、オーラじゃないですけど、違いがあるようには見ていましたね。

=テニスも自分も崩れていった=

TT:中学では中牟田杯優勝で全国レベルを制して、他の大会でも上位の常連です。この頃のご自身のテニスを、今どのように評価しますか?

坂詰:負けず嫌いで試合には勝っていたので成績は残せたと思いますけど、テニス自体はひどい状態でした。

TT:そうなんですか? 具体的に聞かせてもらえますか?

坂詰:中2の時にアメリカ遠征に行ったあたりからなんですが、元々手首を痛めていた中で、普段のオムニ(砂入り人工芝)コートでの練習からアメリカのハードコートになって、そこで打ち方を崩してしまいました。帰ってからも戻るどころかどんどん調子を崩してしまったんです。元々自分は感覚派だと思うんですが、自分の体なのにいうことを聞かないというか、自分でもはっきりと打ち方がおかしいと感じるし、テニスをしない親でも分かるくらいにフォームが壊れてしまいました。高1の時には悩んで一日中テニスの事ばかり、頭の中の8割くらいをテニスが占めるようになっていて、メンタル的にも壊れてしまいそうでした。自分自身も荒れてしまって、当時のことを知ってる同期の選手には今でも「あの頃やばかったよね」って言われるくらいになってしまってました。

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2018年全豪ジュニアでは本戦2回戦進出

TT:そのトンネルから抜けだすためにどうされました?

坂詰:高校は、大学でも練習できるということもあって山梨学院に進みました。でも高校に入ってもやっぱり自分のテニスができないことに変わりなくて、ひどい試合で泣き通す日を過ごしていました。このままではダメだ、環境を変えようって6月くらいからは考えていたと思います。年が明けて高2に進級する前に出た全豪ジュニアの後に、Team YUKAに体験で参加させてもらいました。そこで気がついたのは、私にはコーチの存在が必要だっていうことでした。山梨学院では素晴らしい練習環境と大学生との練習もできましたが、コーチはいなかったんです。Team YUKAなら私に必要なコーチもトレーナーもいて、自分のテニスの不安を解消してくれると考えました。体験からすぐ、高2から通信制高校に転校して、Team YUKAで練習できる環境に変えたことでトンネルを抜けられたと思います。

=正真正銘のトップジュニアへ=

TT:そして高2の年には全日本ジュニアU18で見事優勝。

坂詰:全日本ジュニアは、私の中では特にタイトルが欲しいと思ってましたし、チームとしても優勝を狙って準備して臨んだ大会でしたので本当に嬉しかったです。テニスに集中できるようになって、高2で優勝できるようにもしてくれたのはTeam YUKAのお陰です。

TT:この大会は色々覚えていそうですね。

坂詰:そうですね。1回戦は同じ北信越出身で、インターハイの北信越大会を優勝している選手でした。とても緊張して試合に入ったのを覚えてます。よかった試合をしたのは準々決勝で、コーチたちにも褒めてもらえるくらい一番しっくりくるいい試合でした。決勝戦はセンターコートでしたし、一番緊張して入りました。ダブルフォルトが多くてボールも伸びなくて、第一セットは3本のセットポイントを取りきれずに、タイブレークまで競りました。セカンドは落として、でもファイナルセットは何か振っ切れてて、勝つことができました。(76(2) 36 61)

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念願の国内ジュニアの最高峰タイトルを高2で獲得

TT:欲しかったタイトルを獲って、何を思いましたか?

坂詰:やっと勝ったって気がしました。大会を通して調子がよくなかったり、負け方もよくなかったことがずっと続いていたので、やっと自分のプレーで勝てたって思いました。

=シャラポワと同じ世界・・変な感じ(笑)=

TT:高2の全日本ジュニア制覇を最後にジュニア大会を卒業して、高2の終わりにプロに転向しました。プロへの夢はいつ頃から描いていましたか?

坂詰:プロになる夢というのは持ってはいませんでしたけど、小6くらいからグランドスラムを優勝したいっていう夢は持っていました。親にも「ここで勝てたらいいね」って言われてもいましたし。それにTeam YUKAに入って、プロの試合にも出るようになっていくと、自分はプロになるんだなって意識はしていました。

TT:テニスが好きというより勝負が好きと同じように、プロになるというよりグランドスラムを優勝するということの方がしっくりくるんですね。そうは言ってもプロとして職業にしました。何が大きく変わりましたか?

坂詰:それが、プロ登録しても、前と同じようにチームで練習してるし、テニスへの取り組み方は変わっていないので、自分の中ではプロになっても何も変わってないんです。大好きで憧れてたシャラポワと同じプロの世界にいるんだって思っても、やることは何も変わらないもんなんだなって。変な感じです(笑)

TT:2019年春のプロ転向から3年目。ここまでをどうご自身でご覧になっていますか?

坂詰:うまく行かないことが多いです。でも(吉田)友佳コーチからはプロになったらジュニアではほとんどしたことのない1回戦負けもあるからねって言われていたので、分かっているつもりではいます。それでも経験豊富で色んなプレースタイルへの適応ができる選手が多いし、そうして行かないとうまく行かないんだろうとも感じてます。

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長期遠征で手にした手応え

TT:(2021年)4月から6週連続でチュニジアの大会に出場、最初の4週間はそれこそ1回戦負けも含めて2回戦止まりが、5、6週目は連続で優勝しました。何かつかむものはあったのでしょうか。

坂詰:最初の数週は15000ドル大会のレベルではない選手が出ていたのもあるとは思いますけど、試合中にはどうしていいか分からなかったことが撮ってたビデオを見直すことで、やることをはっきりさせて次の試合に入ることができました。その結果が出たんだと思います。

TT:観察力と修正できる適応力のすばらしさですね。

=グランドスラム優勝へのプラン=

TT:さて、今年の残りそして来年以降はどうなっていたいと考えていますか?

坂詰:そうですね、来年は25000ドルのタイトルも取ってレベルを上げていきたいです。2022年にはUSオープンの予選に引っかかっていたいですし、2023年には本戦に出られるようになっていたいです。(同世代の内藤)祐希ちゃんもグランドスラムの予選に出ているのを見て、悔しいですけど私も同じ舞台にいけるように、追いつき、追い越せでやっていきたいです。そして、最後はグランドスラムの優勝を目指して。

TT:最後に、自分のどんなプレーをファンに見て欲しいですか?

坂詰:私はテンポよく走って、展開するのが持ち味なので、そんなプレーを見て欲しいと思います。

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=坂詰姫野選手の情報=

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=写真提供=

坂詰姫野 選手

=聞き手=

Tennis Tribe.JP 新免泰幸