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田代悠雅

「人生 ハードヒット」

· Players

テニス選手は、若くして海外での経験が豊富なことが多いためか、あるいはテニスという個人競技が外部とのコミュニケーションを渇望させるためか、これまで会った選手の多くは比較的初対面からオープンな姿勢を示していました。インタビューもその多くは予定時間オーバーでもまだ話し足りないことも多々。

今回取り上げる田代悠雅選手は、その点でとても日本人的と言いうか、人見知りで、ちょっとだけ強面(ごめんなさいっ!)。

インタビューは2度目の面会で実現。

会ってる時間の長さとともに距離が短くなり、これも日本的なのでしょう、懐に入ってきてくれ、様々な葛藤とその時の心境をとてもストレートに語ってくれました。その時の彼は、むしろあどけない表情さえ見せてくれたのが印象的でした。

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沼尻啓介選手と練習中のNJテニスクラブにお邪魔して、お話を聞きました。

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Tennis Tribe.JP(TT):「練習お疲れ様でした。沼尻選手からアドバイスもらいながらの練習は、コーチがいるような感じで充実していますね。」

田代悠雅(田代):「はい、沼尻さんは色々な点で観察してくれてアドバイスをいただけるので、とても助かります。」

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(まだお父さんについていってた3歳頃)

テニス以外、目に入らなかった

TT:「それでは、まずテニスを始めたきっかけから聞かせてください。」

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(テニスを本格的に始めた10歳頃)

田代:「お父さんがJAL(日本航空)のビジパル*の選手だったので、週末はいつも練習コートについて行ってました。8歳か9歳くらいから自分も遊びでやるようになって、10歳の時に楠クラブ(千葉県成田市)に入って本格的に始めました。」

* ビジパル(ビジネスパル・テニス):日本テニス協会主催の全国実業団対応テニス大会

TT:「他のスポーツはやりませんでした?野球とか、サッカーとか。」

田代:「お父さんの影響が大きくて、テニス以外のスポーツは一切やらなかったです。やっても、野球とサッカーは昼休みに遊ぶくらいです。習い事でいえば英語教室を中3までと、水泳を小学校の低学年までやっていましたね。」

TT:「他のスポーツに見向きもしなかったということで、テニスは本当に楽かったんですね。」

 

田代:「練習でテニスをすることはとても楽しかったです。でも試合に出るようになると親の期待が大きくて、試合の勝ち負けよりも、負けて怒られないようにやっていました(苦笑)」

TT:「そうでしたか。勝つ喜びを知ってもらいたかったんでしょうけどね。」

田代:「試合に出ることを考えると、テニスをやめたいって思う時もありました。でも根本的にはテニスが好きだったし、それに勉強は得意じゃないし他のスポーツの選択肢もなかったので、続けられたんだと思います。」

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道しるべを示してくれた先輩の存在

TT:「初めて試合に出たときのこと、何か覚えていますか?」

田代:「ん〜ほとんど覚えてないですけど、たしか初心者の大会に出場したと思います。。少し思い出しましたけど、最初に当たった相手が左利きだったんです。サーブが曲がってくるので『左利きってこんなボール打つんだ・・すごいな!』って思って試合していたのだけは覚えてます。」

TT:「左は慣れないとどうしようもないですからね。」

田代:「実は左利きは今でも苦手なんですよね・・・」

TT:「こりゃオフレコにしないと!」

TT:「中学でもまだ試合に出るのを嫌がってました?」

田代:「いえ、中学になると、試合会場で他の学校やクラブの選手と会うのが楽しみになってました。そのころもまだ勝った負けたはそれほど気にしていなかったので、習い事の延長みたいな感じでやってたような気がします。」

TT:「小学、中学を通して全国に名前は出てくることはありませんでしたが、高校になると早々に頭角を現しました。」

 

田代:「中学までは全国なんて届くようなレベルでは全くなかったです。」

TT:「でも、習い事の延長が頭角を表すまでになったきっかけは何だったんでしょう?」

田代:「中2の時に、同じ楠(テニスクラブ)でやってた2つ上の諒太(田沼諒太プロ)が進学した相生(学院高校)の練習に誘われて行ってみました。自分はボールのスピードには自信があったのに、相生の生徒は皆んな全然もっと早くて、びっくりしたんです。これで少し火がつきました。中3の時にも誘われて、その頃諒太はプロを志望していると聞いてたので、ここで練習すれば諒太みたいに上手くなって、自分もプロの道が開けるんじゃないかって考えるようになりました。」

TT:「いい目標になる先輩として田沼選手が身近にいたわけですね。」

 

田代:「はい。それに他の強豪校だと戦績のない僕なんか一年生はボーラーになると思うんです。でも相生はコートの面数も多いので、1年生から練習に打ち込めると分かったので、進学することにしました。」

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(中学時代に将来を見通し始める)

レベル差を埋めようと懸命になった高校時代

TT:「さて晴れて相生学院に進学しました。そこは全国の強豪校。どんなスタートでしたか?」

 

田代:「入った時の3年生は、諒太の他にも強い選手が揃って余りに次元が高くてレベルが離れすぎていましたので、まずは1・2年の中で一番になろうと思ってやっていました。」

TT:「それでも、1年生で初めての全国が全日本ジュニア(U16)の3回戦です。」

田代:「1年生の4月の県ジュニアでは2回戦止まりだったので、関西ジュニアに入れるかどうかのラインだったんですが、最後64番目で入れたんです。その大会では監督が一戦一戦見てくれていて、『お前は自信を持っていけば絶対勝てる』って言い続けてくれて、その思いでやっていたら決勝までいけちゃったんです。」

TT:「いや、正に覚醒ですね。」

田代:「技術的なアドバイス以上に精神的なサポートが支えになって自分でもびっくりでした。」

TT:「それで、初出場の全日本ジュニアはどうでした?」

田代:「3回戦で徳田くん(徳田廉大プロ)に負けたんですが、不思議でした。全日本の前のインターハイで、僕は相生と湘工(湘南工科)の団体戦で彼と対戦する試合でボーラーをやってたんです。その相手とやることになるなんてって感じでした。おまけに初めてのセンターコートで、初めてたくさんの人が見ている中での試合で、めちゃめちゃ緊張しました。」

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(高1、ボーラーをやった対戦相手に全日本の舞台で対戦するとは・・)

TT:「その後、高2では全日本(U18)1回戦、インターハイは成績見つかりませんでした。」

 

田代:「2つ上の代が抜けて全体のレベルがガクッと落ちてしまったのはあると思います。インターハイは団体も個人も逃してしまいました。僕自身もJOCジュニアオリンピックカップでは4人のグループで順位戦を行うんですが、初戦で一番の難敵と思った相手には勝ったのに、その次の試合ではマッチポイントを逃しての逆転負けを食らって、それを引きずって負け続けて最下位。マッチポイントを取っていれば1位トーナメントになって大会4位以上だったんですが。そんなこともあったりで、2年生はあまり満足の行く年にはなりませんでしたね。」

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(高2は抜けた先輩の穴を埋められず苦しむ一年に)

 

TT:「高3で全日本ジュニアで3回戦、インターハイ個人でシングルス8、ダブルス4の戦績を確認しました。復活の兆しというところでしょうか。」

 

田代:「シングルス・ベスト8の試合は、これまた大逆転で。。」

 

TT:「またマッチポイントから?」

 

田代:「清風(2年)の今村くんに、63 50、相手サーブ30-40のマッチポイントでした。」

 

TT:「いかにもフィニッシュできそうなスコアですが。」

 

田代:「セカンドサーブになったのでこれは1発で決めてやろうって打ったリターンがネットのすごい下の方に当たったんです。あり得ないくらいネットの下だったので、びっくりと恥ずかしさで頭が真っ白になって、気がついたら大逆転負けを食らってました。」

 

TT:「・・・」

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(監督に背中を押され、プロの道を決意)

TT:「中学の時に田沼くんの背中を追いかけてプロを夢見るようになったと思いますが、高3の時点ではどうだったんでしょう。」

 

田代:「高校は、プロになりたいという気持ちで打ち込んできました。でも高校での戦績で本当にやっていけるのか不安で、悩んでいました。そんな自分をさっきも出てきた監督が『お前なら日本のトップに行ける、サポートする!』と背中を押してくれたことで、卒業前の12月にプロ転向しました。」

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(2016年、プロ転向直後は予選突破ならず)

プロ転向、周囲の期待との間で苦しむ

TT:「プロ1年目の2016年は(ITFに)14大会出場しましたが、予選突破ならずノーランク。2年目はエジプトで予選を勝ち上がって2回戦に進んだことで初ポイントを獲得となりました。」

田代:「やっと取れた!って感じでしたね。」

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(遠くエジプトの地で初のATPポイントを獲得、世界ランカーに)

TT:「その後ですが、エジプトでの初ポイントの後は軽井沢フューチャーズでもう一度予選突破しましたら一回戦負けでノーポイント。3年目に入った2018年は夏まではITF大会への出場記録がありますが、その後今年(2019年)の3月までITF大会には出場していないようです。」

 

田代:「はい。試合を休んでいました。」

 

TT:「怪我をしていたとか。」

 

田代:「そうじゃないです。プロ3年目になっても思ったような成績が出せていなくて、親や周囲の期待に応えられていないことと、テニスも良くない状態になっていて、自分自身を歯がゆく感じていました。練習も休みがちになってしまって、日本リーグ以外の試合は思い切って休むことにしました。もしかすると、日本リーグが最後の試合になるかもしれないって思いの中で試合に出ていました。」

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(2018年、気持ちの整理をつけようと日本リーグ以外のすべての大会を欠場)

TT:「どうやって気持ちの整理をつけていったんですか。」

田代:「高校から親元離れて関西で一人暮らしをしていましたが、悩んでどんどん滅入ってしまってた時に、親に一度環境を変えたらどうだということで、実家の成田に戻って出直すことにしました。」

TT:「それで今こうやってNJで練習しているわけですね。」

田代:「環境をリセットをして、今年はJOPを中心に回っていますが、4月の京都(50万円)と5月の埼玉(100万円)で優勝することができて、自信を取り戻してきています。」

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(2019年、JOPで競技に復帰後の京都で優勝)

TT:「まずはJOPでしっかり自信を付けたら、再びITFにチャレンジですね。」

田代:「いいえ、全日本選手権の本戦出場、そして優勝を目指して、今年はJOPを中心に回りたいと思っています。僕のようなスポンサーが十分ついていない状況の選手にとって、全日本での注目はとても大きいんです。海外は2020年以降にチャレンジしたいと思ってます。」

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(孤独な競技活動で心の支えになってくれる、所属先のトップラン)

TT:「最後になりますが、プロとしてどんな選手になりたいか教えてください。」

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田代:「大人からもジュニアからも、『こんな選手になりたい』っていう目標になれる選手になりたいです。一言に書いた『人生 ハードヒット』は僕のプレースタイルですし、一途にブレずにハードヒットを貫きたい、そんな姿を目標にしてくれるような選手になりたいと思ってます!」

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写真提供:田代悠雅選手

ご協力ありがとうございました。

聞き手:

Tennis Tribe.JP 新免泰幸