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内田海智

「そろそろ世界へ」

· Players

Tennis Tribe.JP(TT):「初めまして・・では実はないんですよ。2度ほど会ってます。まだ海智くんがジュニアの頃にJTAのイベントと、2018年のニューポートビーチでの予選。」

内田海智(内田):「え、ホンマですか?全然覚えてなくてすみません!」

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TT:「ではまず、テニスを始めたきっかけを教えてください。」

内田:「僕の父さんは家の隣にある星田テニスクラブでコーチをやってたんです。今でもですけど。そこで5歳から始めました。」

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(1歳半、今のまんま 笑)

TT:「最初からお父さんの英才教育ですね!」

内田:「そんなことないです。父さんは野球が好きで、ほんとは僕を野球の選手にしたいと思ってたみたいです。」

TT:「じゃテニスと野球の両方をやってたわけですね。」

内田:「あと水泳もやってて、野球は土日、水泳は水曜、残りでテニスしてました。でも僕、運動神経よくなかったんで、どれも中途半端だったんですよ。」

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(野球ではレギュラーになれず・・)

TT:「まさか。」

内田:「体育の授業でもマット運動とか跳び箱とかできるのに時間かかったし、50メートル走もメチャメチャ遅かったし。でも、力だけはありました(笑)」

TT:「では、何がどうなってテニスの選手に??」

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(ひたすら泳がされるし・・)

内田:「水泳はずっと泳がされるし・・」

TT:「ぷぷっ(笑笑)」

内田:「野球はレギュラーにもなれないレベルだったんで、2つともやめたくて、小3の時にテニスをちゃんとやるからって言ってやめたんです。」

TT:「でも野球選手はお父さんの夢だったんですよね?」

内田:「僕が嫌々やってるのは父さんも知ってたので、やめる話は分かってもらえました。」

TT:「テニスは嫌じゃなかった?」

内田:「テニスは楽(らく)やったし、周りも優しいし、友だちもいっぱいできて、楽しかったんです。それと、『何の目標も夢もないのでこのまま大人になって大丈夫か』って小3の自分で思っていたんです(笑)。ま、子供の頃の心情に身を任せたって感じっすかね!(ドヤ顔)」

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(でも、テニスは楽しかった! 5歳、弟と)

TT:「大会に出場し始めた頃を教えてください。」

内田:「あんまり覚えてないですけど・・小3のデビュー戦で相手が『よっしゃカモン!』って声を出すの見るのが初めてやったんで、試合中父さんに『あの人、試合で何か言ってうるさい』って言ってたのを覚えてます(笑)テニスって声を出してもいいんだって思いました。」

TT:「あはは、それは面白い(笑)。小3で本格的にテニスに打ち込むようになって、3年後には全小(全国小学生テニス選手権)にまで上がっていきました。その過程を教えてください。」

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(河内一真選手とペアで大阪の大会初優勝)

内田:「テニスに絞ったと言っても、まだ友だちとの遊びを優先させてました。でも練習した分だけ勝てる自分に気が付いて、やればやるだけ結果がついてくるのでテニスの楽しさが倍増しました。星田ではレッスンを受けた後も父さんが時間をとって球出しをしてくれて、早く大阪で一番になりたいって思いました。」

TT:「やはりお父さんの力は大きかったんですね。」

内田:「それでも、大阪でトップ10くらいまでにはなってましたけど、そこでくすぶっている感じの時期はありました。でも(全小の予選になる)関西で8番目に引っ掛って全小に行けることになった時は(小6・2006年大会)、めっちゃ喜んだ記憶があります。」

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(小6で全国小学生出場時)

TT:「ジュニア時代で印象に残っている試合を挙げるとしたら?」

内田:「中2の(2008年全国選抜ジュニア)関西予選で河内一真(現在プロ選手)に勝った時です。これは僕のテニス人生を変えたといってもいいと思います。一真は関西でずっとナンバーワンで、ずっと歯が立たなかったんです。でも中2のこの試合で勝てたことで、全国でもやっていける自信になりました。実際、この勝ちで勢いで付いて、選抜では準優勝しました。」

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(中2、全日本選抜準優勝、トップジュニアに)

TT:「いよいよジュニアのトップレベルに達したわけですね。」

内田:「選抜は修造チャレンジをテレビで見てた時のメンバーばかりだったので、そんな選手に勝って上がったのは嬉しかったです。」

TT:「それにしても河内くんに勝った勢いだけでそこまで行くとは・・」

内田:「そうっすね、何かあるとしたら、選抜の前の全日本ジュニアで喜多元明選手のサーブが早いのにびっくりして、ぼくも真似て打ってみたらメチャ早いサーブ打てるようになって・・」

TT:「ハィ?真似て試合してたの?」

内田:「はい。そしたら誰も取れないくらいよくって、『出来過ぎやろ』って思いながら試合してました。」

TT:「真似してサーブ打って準優勝ってことでまとめておきましょう!(笑)」

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(真似て打った豪速サーブ 笑 で準優勝)

TT:「話は変わりますが、海智くんというと、修造さんの秘蔵っ子という印象を持ってしまいます。」

内田:「修造さんとは修造チャレンジに参加させてもらうようになってからお世話になってます。最初は中2の選抜で修造さんに試合をずっと見られていたんです。」

TT:「じゃ、アピールしたわけだ」

内田:「いや、僕、テレビで修造チャレンジ見ていて、絶対に行きたくないって思ってたんです。だって大変そうじゃないですか。なのでむしろ『修造さん、見ないでくれ!』って思いながら試合してました(笑)」

TT:「でも召集令状が届いちゃうわけですね。」

内田:「はい、でも自分はやっぱり行きたくなかったので断るつもりでいました。そしたら、『将来の為になるから絶対に行った方がいい』って父さんに強く背中を押されて、参加するようになりました。」

TT:「で、実際参加して、どうでしたか?」

内田:「参加して良かったと思ってます。テニスだけじゃなくて、人としての大事なことを教えてくれたのが修造さんです。僕、内気で何も喋んなかったら、『身長もパワーもあるのに、縮こまっててはダメだ!いいものを持っているんだから、もっとアピールしないと!』って。」

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(2009年、ITFジュニアで海外遠征をスタート、河内選手、二宮真琴選手と)

TT:「全日本ジュニアの話を聞かせてください。小学校の頃には無縁だったようですが中1では補欠、中2(2008年・U14)でいきなり第2シードデビューしてベスト4。」

内田:「そう、第2シードって見た時、何度もドローを見返しちゃいました。それに修造チャレンジのメンバーの上にシードされていて、嬉しかったです。」

TT:「中3(2009年・U16)では準優勝、次の年(2010年・U16)には堂々第1シードで見事に優勝。」

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(全日本ジュニアU16、ライバル河内選手をおさえての優勝)

内田:「その頃から海外のITFジュニアを回り始めてましたから、力が付いてきたと思ってました。優勝の時は全部ストレートですよね。」

(↑正解!)

TT:「ところがですね、U18から問題なんですよね。。2011年、第1シードで2回戦、2012年ジュニア最後の年にも第1シードで4回戦。しかも、同じ増尾選手に敗退。2011年のスコアは61 16 16、翌年は36 67(4)。このスコアは色々語っているように見えます。」

内田:「2011年はウィンブルドン・ジュニアでベスト4に行った年でした。正直、ウィンブルドンに行った自分の力を見せつけてやろうって気持ちが強くありました。スコアでもわかりますけど最初61は圧倒したのかもしれませんけど、その後、増尾はメチャクチャしつこくプレーしてきました。それに対してハードヒットでねじ伏せようとして、自爆しました。」

TT :「素直に話してくれましたね。では翌年は・・?」

内田:「2度目ですからね。今度は負けるわけない。去年と違う自分を見せつけてやろうって。で、また気負って自爆でした(汗)」

TT:「ダメじゃん!」

(自爆ということで、写真はありません・・)

TT:「ジュニア時代の海外での活躍は本当にすばらしい。まずは2010年のジュニア・デビスカップ、国を代表して試合に出るというのは、どういうものなんですか?」

内田:「国を代表するなんて初めてだし、自分にどうしてもプレッシャーを掛けちゃいます。でも仲のいい仲間と一緒に試合をできるし、思い切ってプレーを楽しもうって思うようにしました。」

TT:「結果、シングルス5戦5勝、ダブルス4戦4勝、これは本当にすごい。」

内田:「いや、これ、ホンマ神ですよね(笑)会場はメキシコの2千メートルの高地なので、一週間前から入って調整してたんです。でも、調整するつもりでも何にも変わらへん。それどころかコントロールできてボールよく入るんです。他のメンバーはボールが入らなくなって苦しんでいるのに。会場に入ってからの2週間、ずっとゾーン状態だったみたいで、格上でも負ける気がしなかったんで、引かずにやってたら勝てました。」

TT:「次に、グランドスラム・ジュニアでの活躍です。整理すると、2011年に全仏で本戦初出場、全英でベスト4、全米で2回戦、翌年は全豪でベスト8、全仏1回戦、全英ベスト16、最後に全米ベスト4。まず最初、ローランギャロスの本戦に上がった時はどんな気持ちでした?」

内田:「覚えてるのは・・野球も水泳もテニスも、全部中途半端だった自分が、こんなところまで来ることができたんだっていう気持ちでいました。」

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 (2011年フレンチオープンジュニアで本戦初出場)

TT:「思い出深い試合はありますか?」

内田:「ベスト4に入ったウィンブルドンの準々決勝です。ファースト取られてセカンド4-4からブレークされて4-5、マッチポイントをしのいで、ファイナルをたしか10-8で勝った試合。最初、観てる人はいなかったのに、気がついたら外国の人もすごい応援してくれて、そんなの初めてだったので興奮しました。応援がなかったら、どうなってたか分からなかったです。」(4-6 7-6(7) 10-8で勝利)

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(2011年ウィンブルドンジュニアベスト4 お父さんと)

TT:「さて、ジュニア生活はワールドスーパージュニアの決勝でニック・キリオスと戦うなど、全日本を除いて(笑)は素晴らしい活躍、ジュニア世界3位をマークして2013年にプロ転向を宣言しました。プロになりたいという意識は、いつ頃から芽生えていましたか?そして迷いを持ったことはありませんでした?」

内田:「最初にプロを意識したのは、中2で一真に勝って全国選抜に行った時です。そのあと、ナショナルに呼ばれるようになって、皆んな上を目指している中で自分もずっとテニスをやって行きたい思いました。その思いは今でもずっと同じです。なので、プロになることになんの迷いもなかったです。」

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(2013年、富士薬品所属会見)

TT:「2013年のプロ転向から程なくして、拠点をアメリカのIMGアカデミーにおきました。この決断に至る経緯を教えてください。」

内田:「プロで活躍するには、世界のトップがいる中でやらないとっていう思いがありました。僕も、実際それまでずっと親元で生きてきて、英語もできないし、チケットの手配から会場への行き方、送り迎えまでやってもらっていましたので、そのままでいることに不安を持っていたんです。」

TT:「その決心に、ご両親はどうでした?」

内田:「親は、自分が考えることなので自由にしたらいいって考え方でした。修造さんは『英語もできないし、シャイな海智が行くのは、今は勧めない。』という考えでした。でも僕は、日本で自立せずにズルズルやっててもよくないし、アメリカで生活することはテニスをやめた後の人生にもプラスになるって考えて決心しました。」

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(アメリカで、中川直樹選手と)

TT:「では、アメリカに行って、感じたこと、気がついたことなどはどうですか?」

内田:「最初ついたスペイン人コーチと、会話ができないのが不安だったんですけど、伝えようという気持ちがあれば意外と伝わるんだってことが分かって、すぐに不安は消えました。」

TT:「そうそう、コミュニケーションは流暢じゃなくても、伝えられることが大事だからね。」

内田:「それと、IMGで練習している全員、驚異的な何かを持ってて、簡単には倒せない人ばかりだなって思いました。空気もピリピリした感じで、いつも緊張感があって、身が引き締まります。」

TT:「ご飯はどう?」(親か?)

内田:「6年目になりますけど、アメリカのご飯はどうしても・・いや、IMGの寮のご飯は健康食ですよ!(汗)」

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(同じIMGで練習する錦織圭選手、中川選手と)

TT:「プロ転向後の戦績を振り返ってみます。毎年100位ずつあげて、現在284位(2018年12月時点)。ITFでシングルス5勝、ダブルスで11勝。どのように評価していますか?」

内田:「プロになる時の記者会見で、『グランドスラムとオリンピックのゴールドスラムを目指したい』って言いました。まだグランドスラムに予選すら行けてないし、理想とは違うし遅れてるって感じてはいますけど、毎年落ちることなく100位ずつ上げてるので、必ず世界に行けると思ってます。ぼくはポジティブで、前進しているって思ってます。」

TT:「そうです、このまま行けば、2019年は100位台ですから、グランドスラムが見えてきます。頑張りましょう!」

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TT:「ジュニア時代の活躍ばかり聞いちゃって時間切れになりましたので、またいつか、プロになってからの続編をお聞きしましょう。プロ7年目2019年への抱負をお願いします。」

内田:「やってきたことに自信をもって頑張りたいです。まず100位台に入って、ATPツアーで戦えるレベルになりたいです。僕、これまで怪我が全くないのは親からもらった幸運な身体だと思ってます。この身体で、期待に応えれるように躍動したいです。」

TT:「でもこれからは、ちゃんと身体のケアはしてくださいね。最後に、どんなプレイヤーになりたいか、教えてください。」

内田:「『内田はもうダメだ』と思っている人がいるかもしれないですけど、目標もってやっていれば必ず世界で活躍できるということを証明するプレイヤーになりたいです。」

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最後に一言をいただきました。

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そう、ガンバって!君なら「できる!」

内田海智選手への応援メッセージは、Facebookページでお待ちしています。

最新の情報はInstagramブログからも。

写真提供:

内田海智選手ならびにご家族

IMG Japan

Mike Hamrockさん (New Port Beach TC)

取材協力・監修:

IMG Japan

ご協力ありがとうございました。

聞き手:

Tennis Tribe.JP 新免泰幸