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内山 靖崇 

 

貧乏くじは当たりくじ

Tribe Story #71

· Players

聞き手が同じ北海道出身という縁から回り回って実現したこのインタビュー。

北海道の方にはそうそうと頷けても、他の地域の方にはローカル色が強すぎたかもしれません(笑)  

内山靖崇選手のデビスカップ日本代表やグランドスラムでの実績や、全日本男子プロテニス選手会の二代目代表理事の重責を担っていることも、この記事をお読みの方であれば筆者よりずっと詳しいことでしょう。  

そこでこのインタビューでは、もう少し内面に突っ込んだ、彼があまり外ではしなかった話(ローカルすぎるからというのもあるかも?)を、随所に地元愛が溢れる内山選手の言葉とともに引き出してみたいと思います。 

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内山 靖崇

👉プロフィール

1992年8月5日北海道生まれ

取材当時(2021年暮れ)はケガ明けで基礎練習を中心にこなしていた

=恵まれた体格とさまざまな偶然= 

テニストライブ(以下TT):こんな形で話をさせてもらえるなど、夢にも思っていませんでした。内山靖崇というテニス選手が北海道から生まれてきたことを本当に嬉しく思いますし、Uchiyama Cupや男子選手会でプロテニス界を引っ張っている姿を誇りに思います。

さて最初にテニスを始めたところから聞かせてください。小2で始めて最初はウェストコーストラケットクラブと聞いた気がしましたが。

内山靖崇選手(以下内山):いえ、宮の森(スポーツクラブ)です、旭川の。

TT:札幌じゃなくて? 

内山:生まれは士別(👉ここ)で、札幌、滝川(👉ここ)、そしてまた札幌。父の仕事の関係で転勤族だったんです。小2の終わりにテニスを始めた時は滝川に住んでいたので、旭川(👉ここ)まで1時間かけて通ってました(👉こんな感じの約50Km)。その後札幌に引っ越して(宮の森SC)北野校に行って、小3の時には大谷地のウィングです。

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北海道の土地勘がない方のためにGoogle Mapで位置を添えておきました 笑

TT全然ウェストコーストじゃないですね。 

内山:ウェストコーストは、小4になる少し前に(鈴木)貴男さんなどを指導していた武田コーチに声をかけていただいてから、週2くらいで練習してました。地下鉄始点の福住から大通で乗り換えて終点の宮の沢まで行ってましたので遠かったです(笑)土日は母の清田(札幌清田高校、北海道テニスでは泣く子も黙る強豪校 *)のOG練習について行って、混ぜてもらってました。  

(* 99%の方には頷きようのない話ですよね・・汗)

TT:他に何かスポーツはされてましたか? 藻岩山でスキーとか。

(札幌市民に愛される最も近いスキー場のひとつ・・いい加減ローカルネタはこの辺で・・)

内山:スキーは滝川の時にやってました。小1くらいだったと思いますけど、アルペンの大会で1位とったことあります。でも札幌に引っ越してからは冬でもインドアでテニスができるので、スキーは自然とやらなくなりましたね。ともだちがサッカーか野球のチームに入ってたので、テニスだけじゃなくて全部やりたかったんですよね。 

TT:野球やサッカーじゃなくテニスを選んでもらえてよかった! 

内山:テニスを選んだのは、先生に聞いたんですよ。どっちもやりたいけど、どれやったらいいか?みたいに。そしたら、きっと大会で優勝してたからか、君はテニスやったらてって薦めてきたので選んだって感じです。

TT:その時にサッカーや野球を推されてたら、今頃違うユニフォームを着てるかもしれなかったわけですね。 

 

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TT:前から聞きたかったんです。北海道には関東や関西のように全国トップの選手を輩出し続けるようなクラブや学校の存在がありません。冬にコートは雪の下で練習量が限られてしまいます。小畑沙織さんや鈴木貴男さんのような特別な存在は確かにいるにしても、やはり層が薄いのは否めない。そんな中で全小、全日本ジュニアなどを制覇して、修造チャレンジ、フロリダのIMGにテニス留学。しかも、渡米まで北海道以外に拠点を置いたことがないわけで。環境は決して有利には働いていないと思います。なぜそこまで成長できたと思いますか? 

内山:修造チャレンジに行った時に本州や九州、四国の選手たちと交流する中で、冬の練習時間の短さがハンデなんだと気づき始めました。選手層についてはそうかもしれませんが、僕について言えば、あの頃ウェストコーストにはいいジュニアが集まっていて、全小ベスト8とかのお兄ちゃんたちもいて、一緒に練習してもらってました。武田コーチに誘われたタイミング、切磋琢磨できる環境、目標でありライバルでもあって、今でも親友の田中くんとのライバル関係とか、偶然も含めたタイミングが重なって恵まれていたと思います。

TT:そのライバルで親友の田中くんとは? 

内山:同い年の田中宏和くん(当時小樽グリーンTC)は、僕がテニスを始めてからずっと勝てない相手で、勝ちたい、追いつきたい一心でした。小5、6年でやっと勝てるようになったんですけど、それはテニスで勝ったんじゃなくて、体で勝っただけで(身長170センチ近くになっていた)、いつまでも勝った気がしてませんでした。それくらい、彼の方がテニスはずっと上手かった。優勝した小6の全小は彼とやった3回戦だけ競りましたし。

(2004年の全小:2回戦 62 60, 3回戦 64 75, 準決勝 61 60, 決勝 61 61) 

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ライバルで親友の田中くん(前列中央)と「うっちー」(後列中央)

内山少年の大きな体が際立つ

=修造チャレンジで点いた炎と海外への挑戦=

TT:修造チャレンジにも招集されてらっしゃる。思い出を聞かせてください。松岡さんは子供たちが奮起するようにいろいろ仕掛けてくるんですよね? 

内山:今から思えばそうなんですけど、当時はメチャクチャだって思ってました。この人何言ってんだって感じで(笑) 

TT:あはは。どんな感じで? 

内山:詳しくは引退したらもっとお話しますけど(笑)、罰ゲームでみんなとカメラの前で英語で1分間スピーチしろ、です。僕は最年少でまだ小学校5年ですよ?英語と日本語の区別も分かんない時ですよ?!出来なかったら荷物まとめて帰れって。 

TT:笑っていいところなのかな? (汗)

内山:結局僕は1分間突っ立ってるしかなかったので「帰れっ!」て言われて、部屋に戻ったらスタッフが来て「もう一度頼みに行こう」っていうんですよ。もうここまで出来上がってんじゃないかってくらいです(笑)

スタッフに、「僕のフォアハンドを見てください」、「バックハンドを見てください」っていう単語だけ教えてもらって、それを言いながら1分間素振りして合宿に残してもらいました。

今から考えれば、間違っててもいいから何かアクションを起こしてみよう、絞り出してこの場を何とか乗り越えよう!っていうことだと思うんですけど、当時はそんなの分かんないわけですよね(笑) 

TT:これ以上は引退した後で!(笑)

小学生時代の戦績は、小5で全日本ジュニアと全小をベスト4、小6では両大会優勝。すでに敵なしという感じでしょうか。 

内山:(北海)道内では上の年代にも勝てる自信がついていましたし、全国でも同年代では勝てるようになっていたと思います。でも一つ年上の関口(周一)くんや鈴木昴くんには勝てなかった。どうしたらこの人たちに勝てるんだろう?って考えるようになりました。 

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TT:そんな中で、矢継ぎ早にチャンスがやってきます。次は盛田ファンドでフロリダIMGへの留学。これについて聞かせてください。

内山:全小を優勝したある日、テニス協会から手紙が届いて、盛田ファンドという奨学金制度がある。今度東京で練習会があるので来ないかと。練習に参加したあとアメリカに2週間の短期留学をしました。日本に帰ってきてからの最終選考で、僕一人だけ残ったんです。

「アメリカに奨学金で行けます。行きますか?行きませんか?」って。

TT:迷いました? 

内山:いいえ、あまり深く考えずに、フロリダなら冬でもたくさんテニスができるし、関口くんや鈴木昴くんにも勝てるようになれるんじゃないかって思いでした。ただ、これに行ったらプロになるしかないなって思ったのも覚えてます。高校・大学に行って就職する道はないんだ、腹を括るしかないと思いました。でも迷いはありませんでしたね。 

TT:北海道からいきなりフロリダですよ? しかも小学生上がりで英語だって勉強していませんよね。

内山:アメリカに行ったのは中1の9月からなので、英語はアルファベットを勉強してるくらいで "This is a pen"のレベルでしたからね(笑)でも不思議と恐怖心はなかったですし、それにこれ「北海道人あるある」で、打ち解けるまであんまり喋んないみたいなのがあって、1年目は練習相手や日本人以外とは必要以上に喋んなかったです。

TT:紅白の司会をやる特殊な北海道人もいますけど、そのあるあるはなんとなく分かります。(笑)

 

 

 

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IMG留学当時の2006年World Junior Team Finalでは日本代表選手を務める

=失意と高揚=

TT:ところでIMGには錦織圭選手も同時期にいたのですよね? 

内山:圭くんはIMGの中でもジュニアのトップクラスの練習でやっていましたので、IMGの時にはほとんど練習する機会はなかったですね。 

TT:渡米して4年が経ちました。聞きにくいのですが・・盛田ファンドの支援期間を1年を残しての帰国となったようです。  

(なお、最後まで目標を達成して卒業した選手はこれまで、錦織圭・西岡良仁・中川直樹・福田創楽・最近では望月慎太郎) 

内山:全然話しますよ(笑)4年目のシーズンは全豪ジュニア4回戦などの支援継続目標がある中で、9月から12月まで足の疲労骨折をしていて、12月から練習を再開してました。

目標クリアへ(2009年の)全豪に急ピッチで合わせていきましたが3回戦で76 41から逆転負け。他にも3つあった目標クリアになる試合に3つともファイナルで負けてしまったんです。相手より試合に対するプレッシャーがあったとはいえ、ですよね。(全豪ジュニア3回戦はドイツの選手に 76(8) 46 36) 

TT:志し半ばでの帰国。何を思いましたか? 

内山:北海道に帰ったらもうプロになる道はないだろうなって思いました。北海道にいた小学生の時でさえ年上とやっていたのに、フロリダから北海道に帰ったら練習できる相手はいないわけです。もうテニスをやめるしかないのかなと思ってました。 

TT:でもやめてしまうどころか、現在の活躍です。 

内山:北海道に帰っては芽が出ないと思ってくださった多くの方々の導きがありました。増田健太郎さんがジュニアの育成に力を入れていると紹介されて、しかも当時担当していた選手が離れるタイミングと偶然重なったこともあって、お世話になり始めました。 

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増田健太郎コーチとの関係は12年に及ぶ

TT:現在もコーチとして師事されてますね。 

内山:はい、もうあれから12年も。健太郎さんは当時ナショナルのコーチをやっていて、僕はジュニアのナショナルに選ばれてたので、NTC(ナショナルトレーニングセンター)で添田(豪)さんや(伊藤)竜馬さん、杉田(祐一)さんの練習に混ぜてもらいまいた。アメリカに行ってた時よりもよっぽど練習相手は強くなったんです。

巡り合わせとはいえ、仮に目標をクリアしてアメリカに残っていたら、こんな方たちと練習できることはなかったでしょうし、僕もここまでの成長していなかったと思います。 

TT:幸運な巡り合わせもあったと思いますが、IMGでやることは選手によっては常にベストではないのかもしれませんね。 

内山:IMGは芽が出てきた選手を引っ張り上げるところで、同世代ではフィリップ・クライノビッチ(セルビア)バーナード(・トミック、オーストラリア)もいた中で、自分はそれほど目立つ選手でもなかったわけですから、もしアメリカに残っていたらそれなりの選手で終わっていたかもしれないです。日本に帰ってくることで先輩ったちに引っ張ってもらって自分も頑張ってついていこうという環境になって、今のレベルがあるじゃないかって思います。 

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プロ転向2年目の2012年ITFフューチャーズ亜細亜大大会で3勝目(写真 北沢勇)

TT:フロリダに行ったこと、今はどう思っていますか? 

内山:もちろん行ってよかったと思ってます。これははっきり言える。あの経験がなかったら、間違いなく今のテニス人生はないですからね。

でも、行ったから失ったものもあります。修学旅行は小学校の時だけしか経験してないし、学生生活も送ってみたかった。ともだちって高校や大学の時の人が多いと思うんですけど、僕にはそういう友達っていない。どうしてもテニス関係とかに限られちゃう。

TT:今もう一度決断の時だったら? 

内山:次は行かない方を選ぶかな(笑)テニス的に行きたくないんじゃなくて、人生的に次は別の道を見てみたいので。 

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全日本男子プロテニス選手会の2代目会長にも就任し、日本テニスの発展へリーダシップも発揮

Uchiyama Cupの意義

TT:IMGの話も出ましたので聞かせてください。日本を飛び出して自費でアメリカのIMGやフランスのムラトグルーなどに向かう子供たちが少なくないです。世界で活躍するには、日本にいては育たない、海外に行かないとという向きもあるように思います。

内山:海外には日本より環境のいいところが沢山あるので、可能性は広がると思います。ただ特にジュニアは、そこで何を学びどう活かすのかという事が、出来る人か出来ない人かで収穫に大きな差が出ると思います。

日本は環境の面では劣るかもしれないけど、何を学ぶかやどう活かすかはサポートしてくれる。日本ではだれかが困っていたら心配して声をかけたりしてくれるじゃないですか。そういう学校教育だと思うんですよね。アメリカだと黙っていてもコーチは話しかけてこない。自分から言い出さなきゃいけない。そういう文化の違いがあると思うんです。日本人の感覚のままで、アメリカに行ったから強くなるってことは100%ないと思いますよ。

僕はどっちかというと、日本人のメンタリティで、社交的でもないし、他人にどんどん話しかけていくタイプでもないので、さっき話したように日本に帰ってきて先輩方に引っ張り上げてもらったのが良かったんじゃないかって思います。

TT:それでもやっぱり世界で活躍している選手は海外で育ったり練習している選手がほとんどというのも現実ですよね。 

内山:そうかもしれませんが、考えてみれば、IMGやムラトグルーには世界中からいい選手が集まってきて、そこで切磋琢磨されて強くなっているわけです。地元の選手だけじゃない。IMGにいる選手はフロリダの人ばかりじゃないし、ムラトグルーだってニースの選手じゃないと思う。

だから日本でも同じ様にいろんな人が集まってくるところにすればいいんだと思います。

それがUchiyama Cupの着想なんです。 

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TT:Uchiyama Cupはフューチャーズ大会の開催を通じて日本人選手にもっとチャンスを与えて、しかもプロに触れる機会の少ない北海道で開催する事で底上げを図っていくのだと思ってました。

内山:もちろんそれはありますが、さっきも言ったように、選手が集まってくる環境を作るのが日本にはベストなんじゃないかなって思うんです。3週・4週と試合が続けば外国の選手もきっと集まってくるじゃないですか。外国の選手と試合をすることで刺激を受けて、そこで日本的なサポートもできたら、日本人選手のレベルが上がっていくと思うんです。

日本的なものを海外に持っていこうとしたら、コーチやトレーナーとかを派遣しないとならないのでものすごいお金がかかります。それができるのは限られたトップの選手だけです。日本で大きな施設を作って多くのジュニアや選手を集めて育成する環境もないので、大会で人を集めるというのが、僕の考える、日本でできる一番の近道なんです。 

=北海道のジュニアたちへ= 

TT:では、最後になります。故郷北海道のテニスに対する想いを聞かせてください。

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北海道のジュニアへテニスクリニックを通じて思いを伝える

内山:北海道の選手が、全国の一回戦で関東の選手と当たると、「うわ、関東の選手か」と最初から負けてるんです。負けても仕方ないよねという意識が、選手やコーチにもしかしたらあるように思うんです。全国選抜ジュニアでは週末まで勝てないと思ってるからディズニーランド予約している選手もいましたし、全日本ジュニアだったらユニバーサルスタジオみたいな。全国大会に行くことがゴールになってしまってる。みんながみんなそうじゃないと思うけど、そういう感覚はどこかあるんじゃないかって思います。 

TT:年代は違いますが、分かる気がします。 

内山:北海道では冬にあんまりテニスができないからって言い訳を探し始める。でもヨーロッパをみてください。雪降る地域ばっかりですよ。セルビアもドイツも。スウェーデンは昔はすごい選手がいましたよね。北海道が日本のテニスを引っ張る地域になれない理由はない。でも最初から諦めてしまう理由は、情報がないからなんだと思うんです。

なので、情報を与えますよ、というのがUchiyama Cupなんです。

TT:大会を通じて人と情報が集まることで状況を変えたいんですね。自分達にもできるんだって思って欲しいんですね。 

内山:北海道からグランドスラムにいく選手、トップ100の選手もどんどん出てきてほしいです。でもよく考えたら、これは北海道だけじゃなくて、日本のテニスにも言えるかもしれないですよね。日本にATPツアーは楽天オープンしかないから選手も情報も限られる。Uchiyama Cupもいつかそういう情報が集まる場にも使えたらって思います。 

TT:今日は、本当にありがとうございました。 

内山:こちらこそありがとうございました。選手会などはみなさんの意見大歓迎ですので、ぜひ色々聞かせてください!

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サインとともに書いていただいた一言は、スポンサーの相談役から頂戴したお言葉といいます。

IMGでの失意も、当時は貧乏くじと思っていたのが今となっては当たりくじと思えること、2021年はこれまでで一番良くない年だったと言いながら、それも今後上がっていくための貧乏くじなんだとポジティブに捉える内山選手。

内山選手の2022年のシーズンと、テニス界を引っ張る今後の活動にテニストライブも注目していきます。

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少し考えた上で、スパッと一発で書いてくれました。

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=写真提供= 

内山靖崇選手

長浜功明さん

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田中宏和さん

=聞き手=

TennisTribe.JP 新免泰幸