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岡村恭香

「夢叶うまで挑戦!」

Part 1

· 女子プレイヤー

兄の背中を追いかけて始めたテニス、いや、兄のやることはテニスじゃなくても何でもやりたかった。

これまでのテニス人生を、一言一言しっかりと選びながら、自分の考えや気持ちを言葉に転換しようとする彼女は、「頭は全部兄が持って行っちゃいました」と笑い、謙遜します。

インタビューの申し込みは昨年末。そこからタイミングを調整しながらお会いできたのは4月開催のかしわ国際オープンの会場となりました。しかしその間に彼女に起きたことを考えると、待って良かった。今ここで話が聞けるのはむしろベストタイミングでした。

岡村恭香選手をピックアップします。

今回は長編につき、2部構成でお届けします。

岡村恭香選手

(橋本総業ホールディングス所属)

Tennis Tribe.JP(TT):「練習拠点やスポンサーの変更があったり、忙しい2018年の始まりでしたね。」

岡村恭香(岡村):「はい、いろいろありましたが、2018年を前向きな気持ちで迎えることができたので、良かったです。」

TT:「お兄さん(岡村一成選手)からお話を伺う中で、何度か恭香さんの話は出ていました。いろいろとシンクロさせながら聞けるのが楽しみです。では、テニスを始めたきっかけを教えてください。」

(兄岡村一成さんの背中を追いかけて、恭香さんもテニスの世界へ)

岡村:「はい。家族の影響で物心つく前からテニスはとても身近なものでした。コートサイドでお昼寝もしたりして。2歳の頃にはもうラケットを握っていたらしいです。同じ年頃の子達と一緒に兄にボール出しして貰って遊んだり、兄の同級生と遊ぶのに連れてって貰って野球やサッカー、ドッジボールなどで遊んでもらっていました。ボールを投げるのは得意で、今でも肩が強いのはきっとこの時のお陰だと思います。」

TT:「男の子の中で遊んでいたんですね。」

岡村:「そうですね、兄の影響なのか、元々の性格かもしれませんが、女の子の好きなおままごととかの遊びより、体を動かす方が好きだったように思います。でも小学校に上がる前まではピアノやクラシックバレエも習っていて、それはそれで好きでした。」

(左手がヒラヒラする特徴のあるフォアハンド。クラシックバレエのしなやかな手の動き・・きっと無関係ではないでしょう!)

TT:「5歳でテニスを始めたとのことですが。」

岡村:「本格的に始めた年ということで。兄が真剣に練習しているのを見て、『カッコいい!』と思ってその場でコーチに『私も入れて』ってお願いしてました。今から思えば親の承諾もなしによく言ったなと自分が怖いです(笑)」

(テニスラケットは生活の中にあった)

TT:「その頃のテニスは、あくまで習い事の中のひとつでした?」

岡村:「いいえ、テニススクールに入るなら上手くなりたいし、やるならプロになるのは当たり前くらいに思っていましたね(笑)」

TT:「早くもプロの意識の芽生えですか!」

岡村:「小さい子が言う『将来の夢』みたいなものだと思います。でも10歳の時にAIGオープンでシャラポワが優勝したのを見て『シャラポワみたいになりたい!』って思ってたので、その頃にはもっと真剣に考えていたと思います。」

TT:「大会に出るようになってからのことを聞かせてください。」

 

岡村:「はじめの頃は、勝ち負けよりカッコいいプレーをする事に熱中してました。試合に負けてもプレーに満足してケロッてしていたので、両親にはよく『もう少し勝ちにこだわった方がいい』って言われてたくらいです(笑)。小学校の高学年頃になると、試合を重ねるにつれてライバル意識も芽生えて、勝つ楽しさや負ける悔しさが分かってきました。でも今度は逆に勝ちたい気持ちが強くなり過ぎて、空回りすることも多くありました。この頃コーチには試合の度に『もっと遊び心を持ちなさい』と言われていました。」

(勝ち負けより、カッコいいプレーをする事に暫くは熱中していた)

TT:「U12の全日本ジュニアから、全国レベルの選手になりました。」

 

岡村:「はい。でも出られない年があったり、出ても2−3回戦止まりでした。この頃はもう、全部の試合に勝ちたくて、でも相手やその時の状況によって簡単に心が揺らいで結果も左右されてました。単純に楽しいだけではプレー出来なくなっていて、強くなりたい気持ちや上手くなりたい気持ちがあるのに、それに伴ってこない結果や、満足に努力しきれない自分自身に対しての憤りから、『もうやめてしまいたい。本当にプロになれるんだろうか?早いうちに潔く諦めた方がいいのではないか?』と思うことが何度もありました。この時はテニスのことが嫌いになりかけていました。すると母に『やめたいならやめてもいいんだよ』って言われたこともあって、そう言われると何だか悔しくなって、『やめない!』って意地を張っていました(笑)。母には全て見抜かれていたのかもしれませんね。特に中学3年の時は進路を決めなければいけないこともあって、気持ち的にとても不安定でテニスが苦しい時期でした。」

(勝てば勝つほど、強くなりたい気持ちが強くなりすぎ、気持ち的に不安定になることも)

TT:「それでもプロになるという気持ちは途絶えなかった?」

 

岡村:「気持ちは続いていました。でも(出身の)岡山にいる時はどうしたらプロになれるのか、世界への道筋も見えて来なくて、本当にただの夢でしかないように思えてしまいました。高校も大学に進学しやすい勉強中心の学校を考えていました。ちょうどその頃、兄が大学進学で上京の話が出ている時だったので私も東京に出ようと考えるようになって、いろんな縁から東京の富士見丘高校に進学を決めました。先輩は全国大会の上位常連者やタイトルを獲っている方ばかりで、私からすると『見渡す限りスター』という状態で、毎日の練習が楽しみで楽しみで仕方がありませんでした。本当に刺激ばかり貰える日々でした。」

TT:「高校は岡山学芸館だと思っていました。」

 

岡村:「卒業はそうです。富士見丘に入学して、ジュニアグランドスラムに出場する可能性が見えてきて、出来る限り国際大会への出場を優先していました。そうすると、殆どの主要大会が学校のテストと重なって、授業は出ているのにテストが受けられないという状態になり、やむなく、3年生へ学年が変わるのに合わせて岡山学芸館高校への転校を決断をしました。私が通っていた海外留学コースは普通科ですが、文武両道がしやすい環境が整えられていました。まだ結果が十分になく、大学進学の道も捨てきれなかった私にとってはベストな道だったと思います。」

(富士見丘高校から転向時のクラスメイトの寄せ書き)

TT:「転校してまでプロへの道を繋いだと。」

 

岡村:「はい。でも同時に、『プロとしてやっていく自分』をはっきりとイメージ出来なくなってきてもいました。むしろ『大学に進学している自分』の方がよりはっきりとイメージできていました。国際大会に出場する度に外国人選手との体格や経験の差を大きく感じましたし、日本のトップにもなれてない私が、どうやってこの人達に追いつき追い越せるのだろうと思いました。そこで、高校2年生の時に全日本ジュニアとインターハイで優勝したら、学校をやめてプロになろうと思ったんです。でも全日本は関東予選止まり、インターハイは大会初日に左手首を骨折をしてしまって、出場こそしたものの…という状態で。もう地獄のような気分とは、正にこのことでした。」

TT:「それでも、転機は訪れるということでしょうか、ジュニア最後の年にはジュニアグランドスラム3大会に出場して、いい形で締めくくっているように思います。」

岡村:「そうですね、インターハイ直後に両親から、プロを目指すというならその年の全豪に出場することを条件に出されました。翌週の毎日オープンジュニア、兵庫国際ジュニア2週の3大会全てで決勝に行くことができて、その内2週は優勝出来たので、全豪出場権と一緒に自信も取り戻しました。全豪は予選決勝でフルセットで負けてラッキールーザーとして本戦会場には行きましたが、本戦と予選のあまりの待遇の差に悔しさが込み上げて溢れかえっていました。その分、何が何でもその後の大会は本戦に出てやる!と思いました。

(初めての全豪ジュニア出場も予選敗退。次への強いモチベーションへ)

そのあとのウィンブルドンでは厳しい予選を勝ち抜いて本戦2回戦まで行けたことは、本当に嬉しかったです。何より第4シード相手良いテニスができたときに、会場のたくさんの方がポイント間に私の名前を呼んで応援してくれたんです。それは正に自分が目指していた場所で、プロとしてプレーすることを初めて実感した瞬間でした。頭一つは優に越える体格差の相手と芝のコートで善戦出来たことで、自分の可能性を信じることが出来ましたし、何より絶対にこの地に戻ってきたいと強く思いました・・」

(自分の可能性を信じた、ウィンブルドン)

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写真提供:岡村恭香選手

聞き手:Tennis Tribe.JP 新免泰幸

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