「最初にテニスを始めたのは何歳で、始めたきっかけはなんですか?からですよね?!(笑)」
テニストライブの記事は隈なく読んでいるという池田涼子選手。
コート上で見せる厳しい顔を緩めたプロ1年目の18歳に話を聞きました。

写真:北沢勇
初の(?)ガールスカウト出身のテニス選手
池田涼子選手(池田):5歳の頃に親が何かスポーツを始めさせようと近くにあった(国立インドア)テニススポットの体験に連れていってくれたのがきっかけらしいです。そこは2年ほどで閉鎖になったので、近所にあった立川ルーデンス(テニスクラブ)に小2の2月頃から行くことにしました。
テニストライブ(TT):本格的にテニスに打ち込み始めたのはルーデンスからですか?
池田:そうですね。ルーデンスのジュニア育成は上からA、B、Cチームがあって、私は4月に新設された一番下のCチームに入りました。その後B、小5でAに上がりました。Aチームは現役のプロの方たちがコーチで、参加するジュニアも全小やインターハイの上位選手が集まってました。現役のプロが身近にいたので、私も自然と、いつかはプロになるのかなというイメージを持つようになりましたね。

6歳。現在のテイクバックをもうこの頃から??
TT:でも競争が厳しそう。
池田:確かに競争はありましたけど、みんな仲が良かったです。気分も明るくなるし、テニスが楽しい!って思える環境でした。
TT:ところで、こんな写真を発見しました。バレエやってましたね?

じゃーん!でもテニス選手です。
池田:いいえ全くやってないです。
TT:じゃ体操やってましたね?
池田:女の子らしいことは一切やってないです(笑) ストレッチをいっぱいやってたので、体が柔らかいのは特技かもしれません!あ、これ、他に何かスポーツやってましたか?って質問のコーナーですよね?
TT:バレました?(笑)
池田:水泳は2-3年やりました。それにスポーツじゃないですけど、ガールスカウトに入ってました。知ってますか?
TT: テント張ったりする、あれ?

テニス以外にやっていたこと、ガールスカウト。
池田:そうそれです。キャンプやったり、制服にベレー帽で、駅前で募金箱持って並んだりしてました。きっと親が挨拶や言葉遣い、上下関係を学ばせたいっていう考えでやらせたかったんじゃないのかなと思います。
TT:ガールスカウト出身のテニス選手、これはレアものですね(笑)
池田:ガールスカウトは小1から小4くらいまでテニスの合間にやって、小5からはテニスに完全にシフトしてました。
TT:ところでお勉強の方は?
池田:塾とか行きましたけど、すぐにやめちゃったし・・勉強にはシフトしませんでした(汗)
体格のアドバンテージ
TT:テニスに関して聞いていきましょう。ルーデンスで一番上のAチームに入ったわけですから、選手として力をつけてきていたわけですよね。
池田:11歳の時に東京都選抜ジュニア(全国選抜の東京予選)の12歳のクラスで準優勝して、「あ、私勝てるかも」って思い始めました。
TT:初めて出場した全国大会は2014年の全小で、ベスト4。同年全日本ジュニアは2回戦でリタイア、2015年は全日本ジュニアを第2シードで出場し3回戦。全国選抜では準優勝との記録です。

初めての全国大会は全小ベスト4の好成績
池田:あー最初の全日本は1回戦byeで、2回戦は捻挫しちゃった時でした。その年代の時に勝ち上がれてたのは、成長が早くてその頃には身長が159センチくらいあってデカかったので、打てば決まるみたいな感じでした。負ける時は自滅でしたので、打って入ったら勝つ、外れたら負ける試合ばかりでした。今から思えば、テニスが上手いんじゃなくて体格差で勝ってただけなんですけど、その頃はテニスが強いって思っていましたし、勝ってたからテニスは楽しかったです。

同年代選手と。頭ひとつ抜けた体格だった。
TT:今18歳で、身長はえっと・・
池田:161センチなので、そのあとすぐに止まっちゃったんですけどね(笑)13歳の頃には周りとの体格差は無くなってきましたが、シードがついていたので全国大会ベスト4くらいのレベルにはいました。
アドバンテージが消えた時に襲ってきたもの
アドバンテージが消えた時に襲ってきたもの
TT:14歳の時には富士薬品の海外ITFジュニア大会への派遣プログラム(富士薬品セイムス ワールドチャレンジプログラム)にも選抜されました。

富士薬品の海外遠征プログラムの選抜を勝ち取る
池田:はい、派遣選手を選抜する大会(富士薬品セイムスガールズカップ2016)で優勝して、ITFジュニア大会の遠征費用をサポートしていただいて、7度大会に出場しました。
TT:凄いチャンスを掴んだわけですね。
池田:はい、かけがえのない経験をさせてもらいました。でも同年代では大きいと思っていた自分は遠征先のドイツではむしろ小さくて、海外では自分の攻撃テニスが全く通じないことにも思い知らされました。私には世界のトップで活躍するプロは無理だとも感じたんです。おまけにドイツでは環境に適応できなくて3週間の遠征のうち1週間は胃腸炎で休んでしまって。

体調を崩してしまったドイツ遠征
TT:成長が止まって、海外選手にはむしろ力負けしていたと。
池田:その頃には、日本にいてもパワー差はなくなってきていて、攻撃しても返されたり逆に攻撃されたりしていました。前は楽に勝ってた相手に追い越されるようになって、でも負けちゃいけないって気持ちも出始めて、それがプレッシャーになってきました。打っても勝てないし、かといって守りは自分のテニスじゃないって思いもあり、どっちつかずの状態でした。
TT:コーチとはどういう話しをしていたんですか?
池田:コーチからは攻撃テニスが涼子には合ってると言われて、それに徹するプレーを求められていました。私もそのつもりでプレーをしようとしましたが、やっぱりプレッシャーで振り切れなくなって、負けてしまう試合が多くなってしまいました。だんだん自分のスキルのなさに気がつき始めて、武器だった攻撃的なショットが怖くて打てなくなったり。

写真:北沢勇
TT:イプスではなくて?
池田:いえ、イプスではないです。コーチとはフォームを作る練習を繰り返しやってましたけど、作ってもすぐ壊れちゃう。せっかくコーチが教えてくれたスイングを次の日には出来なくなっちゃってるし、試合に向けて作ってきても試合前になると変な緊張から空回りして壊れてしまうこともあって。自分は攻撃テニスなんだからと思いながらも、本当に攻撃的な人はどんなポイントでも最後まで振り抜けるもので、でも自分はそうじゃないと気がついてもいました。気付いてはいてもどこかで攻撃テニスをやりたいという思いもあって、やりたい事とできる事が全然噛み合わない苦しい時でした。
やっと見つけた自分の道
TT:しかしまだまだ成長過程です。
池田:はい、いい発見をする遠征もありました。アメリカではエディハー(Eddie Herr Championship、オレンジボールの前哨戦)の14歳以下準々決勝で、チェコのトップジュニアで当時12歳のリンダ・フルヒトヴァ(Linda Fruhvirtova)に負けはしましたけど、36 63 67(7)で、マッチポイントも握ることができました。👉エディハー大会のドロー
この大会は目の前のポイントにすごく集中できて、パワーだけじゃない戦い方でもベストなパフォーマンスが出来れば勝てるんだと気づきました。ドイツもアメリカも、世界と自分の位置付けがよく分かった遠征でした。
TT:攻撃なのか守りなのかの迷いに一つ答えが出たのですね?
池田:はい。攻撃テニスか守りのテニスかではなく、勝つテニスにこだわるようになって長いトンネルを抜けられた気がします。

自分の戦い方を見つけた、アメリカ・エディハー遠征
TT:先日プレースタイルは?と聞いたら、「粘り強いテニスでカウンターが得意・・」って言ってましたね。どっち?って感じですが!?
池田:どんなスタイルって言われるとまだなんて言ったらいいのか迷い中です(笑)。ただ練習でも単に攻撃の練習だけじゃなくて勝つためにどうするかを考えるようになりました。試合の時も、競った時に無理に攻撃テニスを貫こうとせず、でも走って守るだけのテニスをする訳でもなく、持ってるスキルを勝つためにどう使っていくかを考えるようになりました。
16歳の覚醒
16歳の覚醒
TT:さて、最近の戦績を振り返ってみたいと思います。
池田:16歳(2019年)の全日本ジュニアを3回戦で負けた次の週から、JOP大会に出始めました。相手は大学生や大人なのでジュニアの試合と違ってプレッシャーが全くなくて、打ちじこりがめちゃめちゃはまりました。ジュニアの試合は3ヶ月くらい開くのに対してJOPは毎週のようにあるので試合慣れをしていたのも良かったと思います。ジュニアの時のように試合前に壊れてしまうことが全然なくて、何か修正点があっても続く大会の中で治していったり、試合の勝ち方を覚えたり、JOPだといいペースでやれる事がわかりました。
===2019年の主な戦績===
J1-1大会優勝 x 6回
J1-2大会ベスト4 x 1回
TT:基本的にプロはそういうスケジューリングですものね。
池田:はい、プロの試合は間が開かないので、その方が私にはやりやすいなって思いました。1年に1回とかオリンピックのように間が開くと、私は本当に弱いんだろうなって思います。
TT:2019年は覚醒と言っていいくらいの活躍ぶりが、2020年の成績は、どうしたの?というくらいでした。
===2020年の主な戦績===
J1-1大会ベスト4 x 1回、ベスト8 x 1回
他は早期敗退
池田:2020年はホントやばかったです!1回戦2回戦負けばっかり。ジュニア最後の年だったので全国大会で成績残せたらそのままプロになろうと考えていたんです。高校卒業の年に成績をしっかり残してスポンサーもついてプロに転向するのが一番上手くいってるビジョンで、でも関東で負けたり全然結果が出なかったら、もうテニスはやめにしようとも思ってました。そんな意気込みから自分自身へのプレッシャーがすごくて、しんどくなって。ところがコロナで4月には関東大会も全国大会も全部なくなったので、私のプランも全部白紙になっちゃっいました。
TT:糸がプツンときれた感じですね。
池田:実は、試合がなくなったことで少しホッとしたんです。解放された感じで1ヶ月何もしなかった。その後の試合は散々。これ以上の底はないって思いもしました。
TT:そして2021年は2019年なみの戦績を残してきました。
===2021年の主な戦績===
J1-1大会優勝 x 4回、ベスト4 x 4回
J1-7大会準優勝 x 1回、ベスト4 x 1回をはじめ、より高いクラスの大会で上位進出
TT:上がって下がって・・そしてまた一段高いところへ、ですね。
池田:そうですね、悪い時があったから、今があるんですよね。
TT:小5のとき、いつかはプロになるのかなというイメージを持つようになったとおっしゃいました。でもその後世界で通用するのか疑問に思い、しかし今はプロとして活動を開始してます。考えにどんな変化があったのでしょう。
池田:国内開催されるITF 25,000ドルのセイムスカップには富士薬品からワイカ(ワイルドカード/主催者推薦)をいただいて、4大会も出させてもらいました。プロ相手に当然06 06になるんだろうと思ったら、5ゲームくらいは毎回取れて、思った以上に自分のゲームができました。その時に考えたのは、14歳の時にドイツで打ちのめされた経験からグランドスラムの優勝はあまりに現実的じゃない高いハードルと思ったけれど、全日本選手権の上位やITF大会をコンスタントに勝っていくのは十分に届く目標だと考えるようになって、改めてプロとしてやっていこうと考えるようになったんです。

特徴的なフォアのテイクバック。ここからヘッドを加速させて鋭いボールを放つ。

高い打点で打とうとした結果生まれた、ユニークなサービスフォーム。
TT:ほとんどの選手はグランドスラムへの夢を語りますが、池田選手は全日本やITFを主戦場に?
池田:最初からグランドスラムの優勝を目指すんじゃなく、まずは国内ではしっかり戦えるようになって、今年には100万円大会に1勝はできるようになって、また次のステップを見つけたいなって思います。
TT:コーチとはこのあたりのゴール設定もあっているんですね?
池田:コーチからは、テニスには真摯に向き合うように。向き合っていれば結果が出ない時にもプロになったことを後悔することはない、と教えられています。2020年は全く向き合ってなかったと思うし、放棄さえしていたと思いますが、2021年はしっかり向き合えたいい年でした。後悔しないよう真摯に向き合っていけば、さらに高みを目指すようにもなれるかもしれません。でも一歩ずつです。

14歳の頃から師事する一藤木貴大コーチと
オフはインドア派?
TT:ところで、池田選手はプロになる前から情報発信を積極的に行なっています。最初に投稿を見た時は、プロ選手なのかと思ったこともありましたよ。
池田:何か計画してたわけじゃないですけど、2019年にいっぱい勝ってたことを誰にも知られてなくて(笑)、こんな頑張ったのに知られてない!って思って、もったいないって感じたのが情報発信のきっかけでした(笑)。
TT:ジュニアであそこまで発信する人はほとんどいないように思います。
池田:JOPに出てたのでジュニアという意識がなかったのかもしれませんね。始めた時は見て見て!って感じだったのが2020年はどん底で恥ずかしいから見ないで!って(笑)
TT:最後に、オフの日って何して過ごしてますか?
池田:家に一日中引きこもって、ずっと布団にいます(笑) 食べて、横になってスマホ見て、食べて、横になってテレビ見て。。めちゃめちゃインドア派なんです。
TT:それをインドア派という?!(笑)

オフの日に外食とかもほとんど行かないので・・
池田:省エネ的な?テニスは全然省エネじゃないですけど(笑)マンガも読まないしゲームも全然しないんです。
TT:じゃスマホで何見てるの?
池田:Tiktokをずーっと見てます(笑)。あとはテレビのバラエティは大好きです。テレビっ子です。
TT:スマホでゲームしなくて、テレビっ子!
池田:昭和っぽい感じって結構いわれます(笑)ちなみに私の好きな歌手は「マカロニえんぴつ」と「globe」なので、令和と昭和を兼ね備えてる女だと個人的に思っております(笑)


=写真提供=
池田涼子選手
北沢勇さん
=聞き手=