テニス選手としての「プロ」とはどんな存在でしょうか。
ゴルフのようなプロテストがないテニスでは、日本テニス協会の理事会でプロとして認められた選手を指すのでしょうか。
または自らのテニスへの対価を賞金やスポンサーという形で金銭を受け取ることで活動をしていく選手を指すのでしょうか。
あるいはこの両方が成り立って初めてプロと呼ばれるものなのでしょうか。
ご紹介するプロ選手は、改めてプロとは何かを考えさせてくれる人物。
「東大卒、25歳からフリーターテニス選手になった」市川誠一郎選手です。
まず、市川選手の2022年4月時点での戦績を確認します。
・JTAランクなし
・JOP大会15勝90敗
・ATP/ITFランクなし
・ITF大会1勝26敗
・10試合がダブルベーグル(06 06)
※勝敗数は優勝数でなく試合数
・25歳の初心者からテニスを始めたため、ジュニア時代の戦績は無し。
「試合に勝つことが全て。勝利を報告することが支援してくださる企業や応援してくれるファンへ応えるプロの姿。」
こんな言葉を多くの選手から幾度も聞いてきました。
しかし市川選手は、失礼ながらこの戦績でメインスポンサー3社を含む14社からの継続支援を受け続けています。調べれば調べるほど、今までのどの選手とも違う引き出しを開けないと接点がでてきません。そもそも引き出しすらないかもしれない。
ヨーロッパを拠点に活動し、スポンサー集めの「プロ活動」で一時帰国中に、25歳の初心者の頃から指導を仰ぐ平下コーチ(サンプラス杉久保スポーツガーデン)と練習する市川選手を訪ねました。
テニスを始めて13年目の37歳。平下コーチによると「東京オリンピックに向けた人材発掘のオーディションでは全ての身体能力でオリンピック基準を超えていた」といいますが、一方で「それぞれの能力のコーディネーションはまだ発展途上」。確かに流れるようなフットワークとも、スムースなラケット捌きとも言い難いような。
25歳の初心者から現在も練習相手を務める平下コーチ
お話の最初に迂闊にも「グランドスラムを目指すだけがプロのゴールではないでしょうから・・」などの口にしたところから、市川選手の烈火の如く熱い話は始まりました。
「東大卒・25歳初心者・プロテニス選手」のナゼ
市川誠一郎(市川):いや、僕はグランドスラムを真剣に目指してますよ!! 距離があるのはよく分かっています。でもプロとしてテニスを始めた以上、目指すゴールと考えています。
TennisTribe(TT):ブログを拝見しました。「25歳、初心者の状態から世界トップを目指す前代未聞の挑戦」を開始されたこと、「完全に無名の選手だったにも関わらず、450万円以上のスポンサーを得ることに成功」してスペインで1年間修行、さらに2020年からもヨーロッパを拠点に過ごした経緯も克明に掲載されています。
市川:ご覧いただけたんですね!ありがとうございます!
TT:ブログのタイトルにも書いてらっしゃる通り「東大卒」そして「25歳初心者」。ステレオタイプな言い方をしてしまうと、「東大卒でなんで?」が多くの人の頭に浮かぶ疑問符なのではないかと思います。東大までの道のりでは他の将来像をお持ちだったりしたのではないでしょうか。
テニスを始めた頃。楽しそうに話す笑顔の裏には、どんなに上手くいかなくても諦めない、貫いてきた覚悟があった。
市川:そうだな、eスポーツやゲームみたいなものだって考えてみてください。全国模試のトップ30や50にはこんな難問を解いたんだ!と驚かされる人がいて、自分もチャレンジしていくゲームみたいな、eスポーツをやってるみたいな感じで勉強をしていた結果が東大だっただけです。トップクラスには想像するようなガリ勉はいませんよ。みんな問題を解くことに挑み続けた結果その位置にいるんです。ご質問にお答えすると、将来像なんて持っていませんでした。ただゲームを楽しむように勉強していただけでした。
学生時代の市川青年。別人の風貌。
TT:頭を使うか、体を使うかの違いはあれど、問題を攻略していくのは現在のプロテニス選手の活動と通じるものがありそうですね。ところで、なぜテニスだったのでしょう?「作曲家を志す」が、「勝負の世界で自分の可能性に挑戦したい」に変化し、どうして「テニスで世界のトップ」かを、もう少し掘り下げて聞かせてください。
市川:音楽をやっていたところからお話しないといけませんね。ブログにも書いたように、芸大の先生に師事して音楽活動をしていました。大学卒業後にはパリに音楽留学する段取りまで進めて、あとは行くだけでした。でも音楽って売れる・売れないは時の運みたいなものがあって、必ずしも実力で白黒つくものじゃない。何かそこがしっくりこなくて、白黒のつくスポーツの世界で勝負してみたいと思うようになったんです。あまりに現実味のない決断でしたが、そこまで準備をしてくれた恩師を大きく裏切ることだったので、初心者だったのに最初からプロになる覚悟をして始めました。
音楽の道を目指した頃の恩師。裏切った自分を今は応援してくれている。
「演奏家ではなく作曲を志していた」ゆえに、「音楽を知っている人からしたら相当下手ですよ!」
なぜテニスだったかですが、まず競争相手が少ないところを避けては勝負の世界に挑戦しに行く意味が少なくなると思い、一番メジャーなスポーツを考えました。メジャーといえば野球やサッカーが浮かびますけど、チームスポーツですから勝ち負けは自分以外の要素が入りすぎます。採点競技も白黒はっきりしないところがある。
TT:個人だと、テニス以外にゴルフもメジャースポーツですね。
市川:やるなら全ての身体能力を使うようなスポーツにしようと思いました。なのでゴルフは違います。小さい頃野球をやっていて体の使い方が似てそうなテニスがいいんじゃないかってことでテニスを、25歳から初心者で始めたわけです。
TT:論理的にきっちり答えてくださいました。さすが。
市川:ありがとうございます。論理的な思考力は、テニスの道に行くと決めてから色々な選択肢や迷いがある中でも、寄り道せずに目標に進んでこられたのはこの力のお陰だった、勉強してきたことが生きるところかなと思います。
前はひどいフォームだったという平下コーチ。25歳初心者の成長には目を細める。
市川流プロの心得
TT:話を変えて、プロとは何かについて考えを聞かせてください。スポンサーが市川選手のどこをプロの価値と捉えているのかに興味があります。
市川:プロって、社会的な価値を生み出せる人だと思うんです。例えば医療現場のプロは生命を守っています。農業のプロは食料を作り出しています。じゃテニスのプロは?って話ですが、その点から言えば「ボール遊びが究極に上手い」だけではそこには社会的な価値はないんじゃないかと思うんです。
全ての支援者の名前をプリントしたTシャツ制作も感謝と同時にエネルギーを伝えるコンテンツのひとつ
テニスで命を救うようなことはできませんが、人の心を、人生を動かすことはできるんじゃないかって思うんですよ。試合で発せられる一瞬の熱量だったり、試合以外でも生きている熱量とか。笑われるかもしれないし、笑ってもらえばいいんですが、僕は真剣です。「テニス選手・市川誠一郎というコンテンツ」を売っているプロなんです。
TT:スポンサーや支援者は、そういう市川選手のことを魅力と感じて継続的に応援してくれているわけですね。
市川:すごいハッピーを与えたい。これを魅力と感じてくれて、応援してくれる方がついてくださっていると思います。当初クラファン(クラウドファンディング)のような形で資金を調達しました。でもほとんどの選手は資金を得たらあとは頑張って、5年後に目指すゴールに行けたかどうかだけ。資金を提供してくれた人たちに何を与えるんでしょう。何もないことがほとんどじゃないかなと思います。僕はお金を集めるためでなく、見てくれる人、応援してくれる人にエネルギーとハッピーを届けたいと考えてます。スポンサーしてくださった企業・個人には手紙を書いたり、100人に直接会いに行ったりもします。テニスの練習はもちろん大切ですが、ブログなどを通じてエネルギーを毎日発信することや、支援者に会ったり連絡をとる労力や時間には高い優先度をつけています。高い戦績を上げるのはプロ活動のなかで重要な要素ですが、唯一ではない。その優先度の付け方が僕の考えるプロの姿であり、他の選手との違いかなと思います。
TT:ハッピーな投稿の裏には地道でかつ計画性のある活動があったわけですね。
市川:最初のスポンサー探しの時などには、友人一人一人に頭を下げて回りました。決して簡単に支援者が見つかるものじゃないですし、そこで諦めもしませんでした。テレアポしたり、手紙書いたりで数十社に連絡しても会ってくれるのはせいぜい1-2社です。東大卒で25歳からプロを目指すなんて変なやつだなと言いながらも会ってくださった方々からスタートしたんです。
仲のいい2人と(Justin Roberts選手(左)とEvan Zhu選手(右))
TT:最後に、これもとっても聞きにくくて失礼な質問かもしれない。この先の生活や人生、怖くないですか?
市川:仰ろうとしてること、分かります。でも今が幸せであれば本当に怖くないんです。物欲とか、いい生活を送りたいとか、そういう欲がないんですよ。何をしたって生きて行けると思ってます。家庭を持ってたり守らなければならないことがあったらきっと言えないでしょうね。誰でも出来る人生じゃないと思います。でもボクはボクの価値観の中でこの選択をしましたし、プロとしての自覚を持ってやるべき事を毎日精いっぱいやっていく事で明日が開かれていくんだと思います。だから、怖くないんです。
25歳から世界一のテニスプロへの挑戦、目標はここに。
取材翌日には再びヨーロッパに発ち、早速ギリシャのITF大会に出場。
2年分の活動費を確保した市川誠一郎プロは、「では2年後に!」と平下コーチとハイタッチし、ディスカウントストアにスポーツドリンクを買いに走りました。
いただいた一言は、まさに今の、そして今後も続く心境でした。
=写真提供=
市川誠一郎選手
=聞き手=