本日取り上げるのは、「びーむ」こと井上雅選手。
彼女のビームのように鋭く正確なコントロールに導かれた弾道のボールで、夢の舞台ウィンブルドンを目指す25歳。ビームのような鋭いトークになるかと思いきや、話は時折ガハハと笑いながらも真剣な眼差しも交えた乱打戦でした。
テニスは小さい頃から生活の一部だった
Tennis Tribe.JP(以下、TT):「テニスはご両親の手ほどきで9歳からスタートされたとのことで、意外と遅いなと思いました。」
井上雅(以下、井上):「実際には、ラケットで遊び始めたのは2−3歳からです。父親に指導してもらっていて、大会に出始めたのが9歳だったので、オフィシャルにはそういうことにしてます。」
TT:「小さい頃からテニスがそばにある生活だったんですね。」
井上:「我が家では私よりも誰よりも父親がテニス好きで、私も楽しいからやっているというよりも、朝ごはんを食べるように生活のリズムの一環になっていました。」
(テニスは常に生活の中に)
TT:「楽しくて仕方がなかったと言うんだろうと思ってました。」
井上:「小さい頃は試合には勝ち負けがあるので嫌いでした。自分はトランプにも負けたくないくらいの負けず嫌いで、小さい頃は今よりももっと負けず嫌いだったと思います。」
TT:「ジュニア時代から全国レベルで活躍しましたね。ライバルは?」
井上:「奈良(くるみ)選手、土居(美咲)選手、山外(涼月)選手が同期で、そのことから仲のいい友人でありライバルでした。なかでも全小、全中、それに全日本ジュニアではいつもくるみちゃんがいて、越えられない壁でした。」
(ジュニア時代からの同期たち)
TT:「先日、Instagramに山外さんとの引退後の出会いのビデオを載せていましたね!」
井上:「そうなんですよ!あきちゃん見違えるほど綺麗になっててびっくり。」(ビデオはこちら!)
ウィンブルドンの思い出
TT:「ジュニア戦績のハイライトとしては2008年のインターハイ準優勝、2009年には全豪ジュニアベスト16、そしてウィンブルドンジュニアのベスト4。」
井上:「はい、ウィンブルドンジュニアは私がプロ転向を決意した大会でしたし、今でも一番の思い出です。」
(プロ転向を決意したウィンブルドン)
TT:「そのウィンブルドンで思い出になっている試合は?」
井上:「えっと・・・あ、試合のことを本当に覚えていないんです(笑)こないだもある選手と1回だけ当たったと思っていたら、もう5回もやってたって分かったりとか。」
TT:「それでも、もうちょっと記憶を絞り出してみましょうよ!」
井上:「そうそう、準々決勝に勝ってベスト4を決めた時の、私の陣営みんなの喜びようはハッキリ覚えてます。」
TT:「で、ご自身のプレーは?」
井上:「覚えてないです(汗)」
TT:「ところで、高3の時は前後のグランドスラムに行ってるので、全仏にも行けたんじゃないですか?」
井上:「あ、そうなんです。高2の時には行ってズコボコに負けて、『クレーは合わない』って高3の時は辞退したんです。今から考えれば『行けよっ!!』って感じですけど(笑)」
椙山での文武両道
TT:「戦績が充実していた高校時代ですね。」
井上:「そうですね、でも高校を選択する時は、かなり迷ってました。」
TT:「テニスに絞るか、それともテニスと学業を両立させるか、ということですね?」
井上:「違うんです。学業一本で行くか、テニスとの両立で行くかだったんです。中学の受験勉強で通った塾の講師の教え方が上手くて、勉強にハマりました。将来は学校の先生になりたいって思うようになって、高校は勉強一本にして早稲田大学を目指して・・なんて思ってたんですよ。」
TT:「井上先生ですか。それで・・」
井上:「それで、受験勉強でテニスの練習量は減っていたのに、戦績は大して変わらなかったんですね。それなら両立もできるということで、椙山女学園に入学しました。」
TT:「部活も学園生活も、充実していたようですね。」
(「椙テニ」の仲間たちは今でも家族のような存在)
井上:「はい。椙山の生活は最高に充実してました。でも、この学校は学業と竸技を両立させるのが前提なので、試合に出るから授業を欠席するというのが認められませんでした。それで出られない大会もありましたけど、椙テニ(椙山テニス部)のチームは大好きで、私も団体戦では本当に燃えて一回も負けなかったんですよ!今でも応援し続けてくれていて、家族みたいな存在なんです。」
初めて親に逆らったプロへの決意
TT:「学校の先生を目指し、学園生活が充実している中で、大学には進路を取らずプロ選手へ転向。この翻意はなんだったんでしょう?」
井上:「それまで本当に大学に行きたいって思っていましたが、ウィンブルドンジュニアの時に『ここに戻ってまたプレーしたい!』っていう思いを抑えられませんでした。親からはメッチャ反対されました。『大変な道になるので賛成はできない』って。『大学を出た後だってできるじゃないか』って。でも、私はすぐにあの世界に戻りたくて、それまで親の言うことを聞いてきた人生の中で、逆らって自分の意志を通したのは、この時が初めてでした。」
TT:「それでも今、プロの一線でやってらっしゃる。プロになってよかったですね。」
井上:「ありがとうございます。でも、『プロになってよかった』は、ウィンブルドンに戻って初めて言いたいので、取っておきます。」
プロ生活、そしてつまずき
TT:「プロ転向の年末は472位、その翌年は516位。苦戦しました?」
井上:「一人での遠征で自己管理が難しかったのと、それとケガがありました。高校は試合数が限られていたので身体にくることはなかったのが、プロは一年中回るので、肉体的に保たずにケガに悩んだ時期でした。」
TT:「最初から厳しい船出でしたね。」
井上:「でもその間に運転免許取っちゃいましたけどね!(笑)」
TT:「その後、300位台を数年維持をして、2015年に現在のキャリアハイ275位をつけた翌年、つまり昨年突然500位台に。何が?」
井上:「この時は、いよいよグランドスラム予選が見える200位台に来たので、一段上を目指そうと環境を変えたんですが、うまく行かなくなってしまいました。半年間ほとんど1コケ(一回戦負け)でたった3試合しか勝てない時期もあったりして。ランクも落ちて、その時はいっそテニスを辞めてしまおうかとも思ったこともありました。」
TT:「今改めて環境を変えてどうですか?」
井上:「以前もお世話になっていた畠中将人コーチに改めて教えていただくようになってから、今までのプロ生活で環境的にもメンタル的にも一番落ち着いて取り組めています。畠中コーチはジュニア育成をテニスラウンジ知立で始められたので、私もコーチに付いて知立で練習しています。去年のことがあるから今年の廻り合わせがあるんだって、ポジティブに捉えています。おかげでランクも戻ってきていますし。」(取材時398位)
(畠中コーチと繰り返し意見を交わしながら、練習メニューを組み上げていく)
TT:「難しい質問かもしれませんが(笑)、プロになってから記憶に残っている試合を挙げるとすると?」
井上:「ふふ、ありますよ!(笑)ITF亜細亜($10K Nishi-Tama)で優勝した試合が印象的だったので覚えてます。タイの選手とやったのですが、ファーストセットは完全に相手の流れで手も足もつけられない状況から、それでも必死に最後まで強い気持ちを持ち続けて戦っていたら、いつの間にか逆転勝利していた試合です。この大会は日本での初タイトルとなったので本当に嬉しかったです。」
(対 N. Luangnam (THA) 1-6 7-5 6-1 で優勝)
(2014年ITF $10K亜細亜大学国際オープンでシングルス優勝」)
ファンに見てほしいプレー
TT:「ところで今更ですが、何で『びーむ』って呼ばれてるんですか?やっぱり、ショットがレーザービームみたいだから?」
井上:「これ高校時代に『セーラームーン』と私の名前『雅』をかけて、『ミヤビームーン』になって、それから『ムーン』と『ビーム』のどっちも呼ばれるようになったんですけど、テニス関係では『びーむ』の方で呼ばれるようになりました。」
TT:「じゃ、恐れ入りますが、今後はびーむさんと呼ばせていただきます(笑)」
TT:「先ほども練習を見学させていただきましたが、フラットに近い正に『ビーム』な球筋で、迫力ものでした。ここでファンに見て欲しいプレーをおしえてもらえますか?」
びーむ:「仰る通り、フラットドライブでネットギリギリの低くて直線的な強打を見て欲しいです。自分では粘っているプレーでも、周りからは攻めているように見られるようで、そんなギリギリを攻めるドキドキ感を楽しんで欲しいです。それと、さっきも練習していましたけど、少しでも浮いたボールを中に入ってライジングで攻撃に変えて、ドライブボレーで仕留めるようなプレーも是非見ていただきたいと思います!」
TT:「コートサイドに『井上雅サポーターズクラブ』という張り紙を見つけました。ファンの応援は力になりますね。」
びーむ:「『勇気と感動をもらいました』と言っていただけることがあるのですが、本当に嬉しいです。私はまだまだ十分じゃないと思いますので、もっと感動を与えられるよう、そしてそれに恥じないプレーをしたいと思います。」
(地元のクラブからの温かい応援)
三人四脚
TT:「今の世代のプロ選手に伺うと、選手間の交流が良いなと思います。転戦仲間も重要ですね。」
びーむ:「本当にそうですね。さっきも話した同期もそうですけど、椙テニの田中優季先輩と後輩の吉富愛子はよく同じ遠征になりますし、何より椙山愛 [注]の連帯感が強いです。
[ 注:決して杉山愛さんは関係ございません!(笑) 続けます・・]
私には今一緒に海外を回る家族やツアーコーチはいないですけど、こういう仲間がいて、本当に助かってます。周りは皆んな敵と思っている人もいると聞きますけど、私はそうは考えていないです。もちろん試合になれば対戦相手ですから、そこは区別しています。」
(「椙テニ」出身のプロ。吉富愛子選手(左)と田中優季選手(右))
TT:「ツアー生活を楽しめなくなったら、この仕事が苦痛以外の何物でもなくなりますものね。」
びーむ:「そうだ!言い忘れましたけど、父は私がプロになってから教えてもらうことがなくなっていたんですけど、去年からアドバイスをもらうようになってます。」
TT:「ここまでやって来たから、お父様も今は大賛成なんですね!」
(ジュニア時代にコーチを務めるお父さま)
びーむ:「いつか父と畠中コーチと私の三人四脚で海外を回る時が来ることを願ってます!」
TT:「最後に、びーむさんの目標は何ですか?」
びーむ:「スポンサーをはじめ、ファンや多くの方々のサポートがあってこの生活ができています。自分一人では、全くできないことです。ですから、プロを決意したウィンブルドンに行くことで、早く恩返しがしたいです。あの場所に、早く戻りたいです。」
TT:「ありがとうございました。最後に一言とサインをいただきますね。」
TT:「その心は?」
びーむ:「これ、ニーチェからの一文なんですけど、試合中にボーっとしてしまう時に・・」
TT:「ボーっとするの??」
びーむ:「あ、いやそうじゃなくて(汗)緊張してフーってなる時ってあると思うんですよ。」
TT:「ビックリしました。」
びーむ:「その時に、『時間は限られてる、今は今しかないんだ!』って自分に気合を入れる言葉です!」
写真は以下の方々にご提供いただきました。
てらおよしのぶ様
井上雅選手
ご協力誠に有難うございました。