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川崎光美

「レッスンが私を上手にしてくれた」

· Players

今回は異色のプレイヤーをピックアップします。

現役プロテニスプレイヤーであり、同時に現役のテニスクラブコーチでもある、川崎光美選手です。

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32歳でプロ転向し、現在34歳。

訪問日が偶然にも誕生日となり、ケーキを食べながらのインタビューとなりました!

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(偶然にも誕生日に取材。この人形の話はのちほど・・)

Tennis Tribe.JP (以下、TT):「スクールでのレッスンを拝見しました。競技に出ているプロと一緒に練習できるなんて、生徒の立場からすれば刺激的で魅力的ですね。そして皆様レベルが高い!」

川崎光美選手 (以下、川崎):「当スクールでは、『コーチはプレイヤーであれ!』の方針のもとに、ほとんどのコーチは競技活動も積極的に行う事を特色としておりまして・・」

TT:「おっと、コーチの営業トーク!今日は、そんなコーチとしての側面も、選手視点から伺いますよ!よろしくお願いします。」

川崎:「はい、よろしくお願いします!」

TT:「テニスの開始年齢を見て驚きました。11歳!誰よりも遅いと思います。」

川崎:「はい、小さい頃から色んな運動を区(東京都足立区)の教室で習ったりしてました。水泳は3歳から、他には器械体操やドッジボール・バドミントンなどです。テニスは少5の冬から、全国に出るような子たちと混じって練習を始めたのが最初でした。」

TT:「経験が浅いのに最初から随分ハードですね!」

川崎:「はい。でも小さい頃から運動は他の子よりもそれなりに上手くできていたので、自分ではそれを『運動神経が良い!』と思っていました。それに目立ちたがり屋の性格と負けず嫌いが合わさってなんとかある程度やれていたのだと思います。でも、運動神経が良いと思っていたのは小学校までで、中学で専門性を持ってくるとその子たちには全然追いつけなくなっていきましたので。思い込みってある意味本当にすごいなって(笑)」

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(関東ジュニア初出場)

TT:「それでもテニスを始めて2年目の小6で早くも優勝を経験したとのこと。」

川崎:「そうなんです!クラスは育成選手たちが出場するAじゃなくて下のBでしたけど、初めて出た大会で、負けず嫌いを発揮してなんとか返球したロブの嵐が相手を苦しめて気付いたら優勝していました(汗)」

TT:「いや大したものです。中学校からのテニスはどうでした?」

川崎:「中学の時に『Team North』と言うジュニアのチームの一期生で参加しました。東京の北なのでNorthなんですけどね(笑)テニスを始めて4年目で全中にも出場することが出来ました!」

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(全中出場)

TT:「Team Northで本格的にテニスに取り組んで中学・高校、そして亜細亜大学とテニスで進学をしていったようですね。思い出に残っていることはありますか?」

川崎:「私が高校のチームは凄い強い選手が集まってると言う訳ではなかったのですが、3年の時に団体戦で第一シードだった堀越にまさかの勝利で、仲の良かったみんなとインターハイに行けたことがすごく思い出に残ってます。それに、個人戦でも地区大会の東京予選で準優勝して、インターハイに行けたことも良い思い出になっています。」

TT:「大学でのテニスはどうでしたか?」

川崎:「中学から大学までずっと勝てずに20連敗していた選手に、大学4年の最後のリーグ戦でようやく勝てたことが一番の思い出かもしれません。今でもそうなんですけど、勝ったことのない相手にいつかまた対戦した時に勝てるようにする事を目標にしています。何年掛かっても(笑)。その選手はジュニア時代から、ずっと私の目標でした。」

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(亜細亜大学テニスチーム、学生王座で)

TT:「プロ選手のほとんどは、高校か大学の卒業時にプロ転向を宣言しますが、全く違った道に進みました。その時にプロは目指していませんでしたか?」

川崎:「プロになろうとは全然考えていませんでした。私は小学校の時からロブでしか試合ができない選手だったので、そんなプレーでは上の選手には絶対に勝てないですよね。勝つ事はある程度できていましたけど、プロが打つようなしっかりした球を打てていませんでした。それに、トレーニングもすごく苦手だったので、プロとしてテニスをするなんてとても無理だと思っていました。」

TT:「なるほど。それでテニスユニバースにコーチとして就職をしたわけですね。」

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川崎:「最初に営業しちゃいましたけど(笑)、このスクールのコーチは競技に出ることが認められています。就職後もアマチュアとして、JOPの大会(日本テニス協会の公式トーナメント)に出場して、時々ITFサーキットの大会(国際テニス連盟の公式トーナメント)に出場して腕試しをしていく生活をしていました。」

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(2015年神戸オープン準優勝)

TT:「アマチュアとして9年間競技活動をした上でプロに転向。その決意の理由は何だったんでしょう?」

川崎:「JOPには出れば決勝戦や準決勝まで勝ち進めるようになってきて、アマチュアとしては上のレベルになってきたと思ってたんです。このままの形で自分のペースでやって行くのか、それとももっと上を目指して行くのかと悩んでいる中での2015年の日本リーグのセカンドステージで、島津製作所の桑田寛子選手と戦うことになったんです。」

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(テニス日本リーグのテニスユニバースチーム)

TT:「桑田選手といえば、その秋の全日本選手権で優勝したトッププロですね。」

川崎:「はい。どうせボコボコにされるなら、ちゃんと準備をしてから戦ってみようって。そう思って今までほとんどやって来なかったトレーニングをトレーナーさんにお願いしてやれるだけやってみました。結果は、ファーストセットはやっぱり1-6であっさり取られてしまったのですが、セカンドセットはタイブレークまで競る事ができました。ラリーをしていてもしっかりと踏ん張って耐えられた時にはトレーニングの効果を凄く感じたし、もしもっとちゃんとトレーニングを継続してやれたらセカンドセットだって取れたんじゃ…と少し先が見えた気がしたんです。

(結果は1-6 6-7(1))

ちょうどその辺りからITFの大会でもWTAポイントが少しずつ取れるようになってきて、今までのマイペースな感じで頑張るのではなく『ちゃんとテニスと向き合ってみよう』と決意しました。そしてその秋の全日本選手権ではトップシードの欠場などもありましたが、予選から勝ち上がってベスト16まで残る事ができて、初めて少し胸を張れる結果が出せたのかなと思いました。」

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(2015年全日本選手権)

TT:「しかし、失礼ですがその時32歳。年齢的なものはどうでしたか?」

川崎:「テニスは20年のキャリアで脂が乗ってくると思っています。他の選手が5歳でテニスを始めて20年後の25歳くらいでキャリアとして脂が乗り始めると考えたら、私は11歳で始めたので私にとっては31~2歳くらいがそれらの時期だと思っています。私なりのペースで遅いですけど、今でも毎年ちょっとずつ上手くなっているんです。」

TT:「たしかに、今は30代でキャリアのベストを目指せる世界的な例もありますし、肉体的には30代を悲観する必要はなさそうですね。」

川崎:「2016年にエジプトの試合に出た時にダブルスでペアを組んでくれた30代のシンガポール人選手が、こんなことを言ってました。”Age is only a number”。いい言葉だと思いませんか?これ、今日の一言にしようかな?(笑)」

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TT:「プレーを拝見しました。両方両手打ちですが、グリップチェンジが大変そうだなと思って見ていました。」

川崎:「そうですね!私はバックハンドは普通に左手を右手の上に添えて、フォアハンドでは左手が下で右手を上に握って打つ順手と言いうグリップです。両方ダブルハンドでは多いグリップなんですよ。」

TT:「両方両手打ちについて無知でした。つまり、グリップの上下を入れ替えて、両サイドをバックハンドのグリップで打つわけですね!」

川崎:「そうなんです。小さい頃から力がなかったので、両方両手打ちで打つようになりました。片手にする時期も見つけられず、もう変えようにも変えられないので、リーチが短くて走るのが大変なのですが、これからもこれで頑張ります!」

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TT:「実際、コーチとプロ選手の両立は、やってみてどうですか?」

川崎:「レッスンで生徒さんにフィードバックをするためには、自分自身を客観的に見て表現しないとなりません。ですので教えているようで私がレッスン中に学んでいます(笑)『ボレーの時にはラケットを振り回さずにインパクトをしっかり作りましょう』って言いながら、自分では振り回しちゃう。それではいけないので、良い見本をちゃんとやってみせる事を通して一つ一つ自分を正しく戻すレッスンになってるんです。」

TT:「レッスンをする時間があるなら練習に充てるべきという意見を持つ方も少なくないと思いますが。」

川崎:「もちろん体力的には疲れるし大変な事ですが、私はレッスンをする事で自分自身の上達を最大限に助けてくれていると思っています。技術を習得できない生徒さんがちゃんとできるように何度も何度も深く掘って分かり易く伝えてアウトプットしていくことは、自分にとってとても良い復習の時間になります。

選手はコーチからインプットを受け続けますが、アウトプットする時間は試合中だけになります。私はレッスンを通して、客観的に何度も掘って考えたことをアウトプットすることで、自分の理解も次第に深まっていきます。そうすると、試合中でもレッスン中に受けたインプットや取り組みの成果がゲーム中に発揮出来る力を養えたと思っています。」

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(ボール拾いも生徒との重要なコミュニケーション)

TT:「2016年のウィンブルドンで、コーチ業しながら予選を上がってフェデラーと戦ったマーカス・ウィリスを思い出しますね。」

川崎:「そうですね。コーチと選手の両立は、ひとつの在り方なんだろうと思いますので、私と同じような道を考えている選手の参考になればと思っています。

経済的にも世界のトップ100にならない限り大会賞金だけで競技活動は続けられるものではないと思います。レッスン収入も含めて生活を立てていって、マーカス・ウィリスのようにその時を待つというのもありだと思います。」

TT:「テニス選手としてゴールはなんですか?」

川崎:「ゴールは決めていません。決めたらそれが限界になってしまうと思ってるんです。私はまだまだ課題ばかりの発展途上ですが、毎年上手くなっているなと感じられています。でも本当は肉体的には限界が近付いて来ているのも分かっています。

もっと成長して選手として一流に近付いていくか、もしくは肉体的な限界の方が早く来てしまいそれなりの選手生活で終わってしまうか。別の言い方をすれば、身体の限界が先に来てテニス人生が終わるのと、毎年上手くなっている自分の成長スピードのどっちが先にゴールするかの競争だと思ってます。それまでに、一流の選手達に一歩でも近づけるように精一杯努力したいと思っています。」

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TT:「そういう姿勢は多くのファンを惹きつけますね」

川崎:「『そんな歳までプライベートを削って頑張っているのであれば協力します!』と言って応援して下さるメーカーさんや周りの方々には本当にとても助けられております(笑)」

TT:「ところで、一緒にいるこの人形は??」

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川崎:「ハコタンです(笑)」

TT:「へぇ、ハコタンね…(寒)」

川崎:「アマチュア時代から常に一緒にいる私のマスコットなんです(笑顔)。試合中に私から話しかけるんです。私:『あの場面では打たない方が良かったよねぇ』ハコタン:『そうだね、もう少し崩してからでも遅くはなかったよね~』みたいな(満面の笑)」

(しーーん)

川崎:「こうする事で自分を客観的に見られて落ち着くんです。前に猛暑で何時間にもなる試合があって、最後は相手が救急車で運ばれそうな中で、私はハコタンに話しかけていたことがあったりしました(笑)」

(笑えない)

川崎:「でも、プロ選手になってオカシナ奴だと思われたくないので、今は連れてきてないんです(涙)本当は一緒に座らせておきたいんですけど。」

TT:「いっその事、やってしまえば?海外のメディアが取り上げるかもしれませんよ(笑)」

最後に一言とサインをいただきました。

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丁寧に書いて(描いて?)くださいました。

この323(みつみ)とイラストが組みでサイン。

試合会場で求められても、結構早く書けるのだそうですよ!

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写真は以下の方々にご提供いただきました。

北沢勇(@yasuragi)様

てらおよしのぶ様

山下潤様

Jet田中様

川崎光美選手

ご協力誠に有難うございました。

聞き手:Tennis Tribe.JP 新免泰幸

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