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田中優季

「自分に勝つ!」

· Players

今回お話を伺うのは、田中優季選手。
学生時代から27歳の現在まで毎年ランクを上げ続け、今年9月にもキャリアハイの308位をつけた、左利きのハードヒッターです。

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ご自身のブログがとても真摯にテニスに取り組む自分を表現しているとお伝えすると、「遊びがなさすぎるのも、試合でメンタル的に余裕がなくなる原因だと思うんです」と、これまた真摯なお答え。

そんな田中優季選手のテニスに賭けた半生を追いかけてみます。

Tennis Tribe.JP (以下、TT):「何度か試合会場ではお目に掛かりましたが、こうやってお話しするのは初めてですね。」

田中優季選手(以下、田中):「最初は今年の柏でしたよね?」

TT:「そうです、よく覚えてらっしゃる!今日はその記憶力をフル回転させてテニス人生を語っていただきますね。」

TT:「テニスは9歳から。どういうスタートだったのですか?」

田中:「本格的に習い始めたのが9歳でしたが、2-3歳からオモチャのラケットでは遊んでいました。父がテニス好きで一緒について行って遊んでいました。」

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(お父さんと一緒にラケット遊び)

TT:「本格的に始めるまで、スクールには通っていましたか?」

田中:「はい、小2までは地元のテニススクールに通ってました。でもスクールだけでは物足りなくて、レッスン後に壁打ちをしてました。暗くなっても母が車のライトで照らしてくれて続けてたのを覚えてます。」

TT:「スポ根マンガのようだ(笑)」

田中:「そこまでやりたいならと言うことで、母が刈谷テニスパークを見つけてくれて、体験レッスンを受けることにしました。ところが周りのレベルがものすごく高いので尻込みしてしまって、結局通うことにしましたけど、その時は断ろうかと思ってました。」

TT:「そんなに高かったわけですか。」

田中:「全国で優勝するような選手が集まるクラブでしたので当然ですよね。とんでもないところに来てしまったって思いました。刈谷には近藤大生さん(2016年に引退、ATP最高275位)もいらして、憧れてました。フェンスの陰から覗き見したりして(笑)。あ、これ今ままで誰にも話したことないです(汗)」

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(初めてコロシアム。いつか私もここでプレーしたい!と)

TT:「全中に出場するレベルに成長しましたが、高校は普通課の椙山女学園。通信制高校でテニスに集中しようとかは思いませんでした?」

田中:「刈谷の指導に『文武両道』があり、試験の1週間前には勉強のための休みもありましたし、テニス以外から学ぶことも重要という教えでした。私も勉強は大切だと考えていましたので、普通の高校に行きました。」

TT:「椙山で後輩の井上雅選手に話を聞いたときに、学園生活は本当に良かったと言ってました。」

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田中:「本当にそうです。先生も含めてみんなまるで家族みたいなところでした。高1で初めての海外遠征から帰国した次の日、時差ボケもあって学校を休もうと思ったら担任の先生が出てこいって言うんです。行ってみたら黒板アートで『おかえりって』迎えてくれました!」

TT:「高校では南米遠征に抜擢されたり、インターハイでのダブルス優勝もありました。プロへの意識は持ちませんでしたか?」

田中:「そうですね、高1まではテニスが好きでやっていましたけど、結果が出始めてから強くなりたいという思いが大きくなりました。それでも高2でまだ勝ち切れずに(シングルスで)優勝はできませんでした。優勝もしたことがない自分にプロは縁のない世界と考えてましたし、刈谷の教えで『テニスは18歳から結果が出ればいい、それまではテニスが好きであれ。』というのもあって、高校卒業後はプロではなく大学進学で迷いはありませんでした。」

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(インターハイダブルス優勝)

TT:「大学は早稲田に進学、2年のインカレ単準優勝、3年で単複準優勝、4年で複優勝/単ベスト4の好成績でしたね。思い出に残っている試合ありますか?」

田中:「はい、大学4年のインカレでダブルス優勝した時のことは思い出に残ってます。ペアで後輩の大竹(大竹志歩さん)が、『優季さんに優勝カップなしで卒業させられない』って言ってくれて、本当に優勝できたことです。早稲田は当時から勝って当たり前の大学だったので、その中で勝つ難しさを痛感していましたし、そこで優勝できた嬉しさは言葉にできないです(涙)」

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(大学3年インカレシングルス決勝は学内対決、桑田寛子選手に軍配)

TT:「さて、大学4年で進路を決めなければいけない段階では、迷いなくプロを決意したのですか?」

田中:「そうじゃないんです。(シングルスで)優勝していませんでしたし、実際には就職を進路にしようと決めてリクナビにも登録して、年末に地元で開催されるダンロップワールドチャレンジはワイルドカードをいただける話が来たときに、辞退しかけたくらいです。それでも時間が進むうちに、自分はここまでテニスで成長して来たことを考えるようになってきて、逆に優勝していない事がやり残しと感じるようになってきて、練習帰りに自転車をこぎながら、就職しよう、いやテニスで進もうって、毎日のように迷ってました。」

TT:「苦しい日々でしたね。」

田中:「最後はテニスでの成功は誰も保証してくれはしないけれど、自分が後悔しない人生を歩もうと決めました。」

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TT:「2012年のプロ転向から今年の1月までの約5年間、メディカルラボの所属でしたが、お仕事もされていたとのこと。」

田中:「幼なじみからの巡り巡っていただいた縁で、お世話になることになりました。試合がないときには午後1時から10時までの勤務で給与を頂いていました。給与は競技活動の資金になりますけど、一般社会と関わっていられたのは私にとっていい環境でした。職場の方はいい意味でテニスをご存知ないので、勝っても負けても帰れば一人の仲間として接してくれましたから、とてもリフレッシュできていました。」

TT:「スポンサーから簡単にお金が降ってくる訳じゃないですからね。」

田中:「お金を稼ぐことは職場勤めでも大変な事だと教えてくれたので、本当にいい経験でした。」

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TT:「今年の2月から、安藤証券に所属変更となりましたね。」

田中:「ここまでに色々ありました。」

TT:「聞かせてください。」

田中:「2015年になりますが、プロになってからランキングは上がってはいるのですが、400位台で上がり方はゆっくりでした。その年の全日本選手権でベスト4に勝ち進みましたが、何かを変えないとテニスのレベルは大きく変わらない、このままではグランドスラムも届かないと思っていました。そこで奮起してツアーコーチに付いて頂くことにしました。

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(2015年全日本選手権シングルス準決勝進出)

ところが半年間は出る試合出る試合見事に第1シードや第2シードばかりで、1コケ(一回戦負け)が続いてしまったんです。本当に強い選手はこういうところでシードを倒して上がっていくのかもしれませんが、私にはまだ力不足でした。それでもツアーコーチには費用が発生します。勝たなきゃならない、お金もかかり続ける、でも勝てない半年間で、それまで仕事で貯めて来た活動資金が底をついてしまいました。年齢も年齢でしたし、もうやれる事はやった結果なので、もう引退しようとほぼ意思を固めていました。そんな中で、ダンロップワールドチャレンジに来訪されていた安藤社長と巡り合うことになりました。私が同じ地元の人間だと言う事もあったと思いますが、『ここまでやって来て辞めるなんてもったいない。できるだけの支援と環境を整えるので、もう一度やってみないか?』とお誘いを頂いたんです。安藤証券さんは、奈良くるみ選手や日比万葉選手のような上位選手がいる中で、ランクの低い私が何になるのかとも考えたのですが、せっかく声をかけて下さった恩に応えようと、再起することにしました。安藤証券さんの所属となったのはこう言う経緯で、メディカルラボさんは継続的にパッチスポンサー(ウェアに付ける広告ワッペン)としてご支援くださるありがたいオファーをいただきました。」

TT:「思わず聞き入ってしまいました。神様は見ているってことですね。」

田中:「メディカルラボさんには感謝の言葉しかありませんし、安藤社長との出会いは私のテニス人生を変えてくれました。」

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(2017年2月から安藤証券の所属に)

TT:「この辺で話題を変えましょう。プレースタイルをお聞きします。とても独特なフォアハンドのテイクバックからのハードヒットが印象的です。」

田中:「このテイクバックは、実はこの1年、26歳から変えたフォームなんですよ!」

TT:「以前はどんな?」

田中:「ものすごく大きくテイクバックをしてました。バックサイドにぺローンって広がるような(笑)今見て頂いている川原コーチから、これでは世界のスピードについて行けないと言うことで、この歳からのフォーム改良は怖かったですが一度は辞めることも考えた身ですから、環境もコーチもそしてフォームも変えてやっていこうと取り組みました。最初の頃は試合中にも素振りしてましたので、何やってんだって思われてたと思います(汗)」

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(川原コーチとフォーム改造に取り組む)

TT:「誰か参考にしている選手はいますか?」

田中:「ベルダスコです。」

TT:「そうですね!フォアだけじゃなく、バックハンドで肩を入れるフォームも似ていると思います。」

田中:「サーブで後ろ足を寄せる動作も参考にしています。コーチとは男子的なプレースタイルを身に付けていこうと方針を固めたので、左利きですしベルダスコはいいお手本になってます。」

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TT:「ファンに観てほしいのはどういうところですか?」

田中:「今磨いているフォアのスピンで相手を下げさせて、バックでウィナーを取るプレーを観て欲しいです。それと、ショットだけじゃなく、ひたむきに頑張るところも。」

TT:「最後になりますが、選手としての目標を教えてください。」

田中:「コーチとはトップ100に入るテニスを作っていこうと話しています。その過程としてグランドスラムの予選には早く到達したいです。ただランクを気にするのではなく、自分のテニスを向上させる気持ちを絶やさないこと。その結果としてランクが付いてくると考えています。」

最後に一言とサインをいただきました。

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田中:「これは小学校の習字でも書いた言葉なんです。自分を磨き続け、甘えが出る時にも自分に勝って結果を求めよう、と言う気持ちを込めています。」

笑いの小ネタを挟む余裕もなく (^^; 最後の一言まで真摯にお話をいただきました!

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最新情報は公式ブログからもチェックできます。

写真は以下の方々にご提供いただきました。

ダンロップスポーツ株式会社様

北沢勇(@yasuragi)様

田中優季選手

ご協力誠に有難うございました。

聞き手・編集:Tennis Tribe.JP 新免泰幸

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