1996年神戸生まれ、相生学院高から姫路大学を経てプロになって2年目。
「えっと、姫路大学は・・・まだ出てないんです・・」
「なぬっ?!」
このあたりから、彼女のテニス人生の波乱万丈っぷりを予感させるものでした。
プロテニスプレイヤー、岸上歌華選手に話を聞きます。
岸上歌華選手
泣いてなければ別の道も・・?
TennisTribe.JP (TT):「今日は、歌華さんのテニス半生を振り返っていただきますよ。まずはテニスを始めたきっかけから、お願いします。」
岸上歌華(岸上):「4歳上のお兄ちゃんが体操と水泳をやっていたんですね。私も入って一緒のクラスになれると思ってたら無理って分かって、一緒じゃないと嫌だと泣きわめいてやれなかったらしいんです。」
お兄ちゃんと一緒にいたくて・・
TT:「お兄ちゃんがそんなに好きだった?」
岸上:「その頃はそうだったみたいです(笑)なんでそんな好きだったのか分かりませんけど(笑笑)それで近所のテニススクールに入れてもらったのが始まりです。結局体操はやらずに、水泳をやって、あ、水泳は溺れないようにっていう理由らしんですけど。」
TT:「水泳、テニス以外には何かやってましたか?」
岸上:「色々やってましたけど、どれもテニスのためっていうお母さんの考えで。ピアノでしょ、これはテニスもリズム感が必要だって。小2からは英語、これは世界大会で勝った時のスピーチのため(笑)、小2から1年だけラグビーもやりました。タックルがテニスに似ているってことらしいです。これは冗談で、フットワーク強化のためだったそうです。女の子一人だけでしたけど、『オッラァー!』ってやってました(笑)」
TT:「覚えていたらいいんですが、初めての試合のことを教えてください。」
岸上:「あ〜なんやったかな。小1の冬の県の大会だったと思います。小5の子にスコボコにやられたんですよね。そんな年齢差があるのに、めっちゃ泣きわめいて『絶対強くやってやる!』って思ったんですよ。確か。」
TT:「その頃もまだ近所のスクールで?」
岸上:「はい。でも小4で神戸のロイヤルヒル(’81テニスクラブ)で練習するようになりました。」
TT:「全国レベルに上がったのはいつ頃でしょうか?」
岸上:「小4の全日本ジュニアの12歳以下にダブルスで出た時です。シングルスは小5の全日本ジュニアでした。」
TT:「小2でスコボコにやられてから急成長でしたね。小6はどうでした?」
岸上:「小6の全小はベスト8でした。この大会は優勝を狙っていたんですけど、準々決勝でコーチに『これは優勝行ける!』って言われてて、勝ちを意識しすぎて硬くなって負けちゃいました。あとからコーチが『もったいないなー』って。そんな言い方せんといてよ〜って思ってました。(苦笑)」
2008年全国選抜U12
やっぱり、メダルがなければ。
TT:「中学でのテニスをお伺いします。」
岸上:「ひとことで言って、中途半端な戦績でした。」
TT:「そうは言っても全日本ジュニアや全中にも出場されてるでしょう。」
岸上:「そうなんですけど、行ってもベスト8やベスト16で、メダルを貰えてないですから。やっぱりメダルは欲しいですよ。なので、あんまりいい思い出はないです。」
全国中学生大会(全中)出場も、納得のいくものではなかった
TT:「そこから捻り出してもらって、この一戦というのはありませんか?」
岸上:「ん〜。そうだ、県大会でいいですか?中2だったと思うんですけど、決勝を上唯希とやったんです。」
TT:「ほう、それで。」
岸上:「ファーストセット取ってルンルンだったんですよね(笑)そこで上がトイレットブレークに行ったので、私も〜♪って感じで行ったんです。戻ってきてコートに入る前に段差があって、前を歩いてた上って脚がすんごく長くて、ひょいって跨いで越えたので『私も』って越えようとしたら長さが全然足りなくておもいっきり転んだんです。もう、怪我ですよ(泣)上に『大丈夫〜っ?』って言われて『だ、大丈夫・・』って答えるのが精一杯でした。試合はしましたけど最高に痛くて、逆転負けしちゃいました(大泣き)」
TT:「捻り出したら痛い話でしたか。。」
山あり谷あり、プロへの助走の高校時代
TT:「では、高校にいきましょう。進学先ですが、プロ選手を多く輩出している相生学院。」
岸上:「高校時代はとても充実してましたけど、色々と大変でもありました。中学までロイヤルヒルでやってた練習が、高校では相生で火曜から日曜日までずっと練習。月曜のオフも休まずにロイヤルヒルでプライベートを受けていましたので、365日のテニス漬けでした。」
TT:「息抜きなし、オフもなし、ですか。」
岸上:「母からも、私はオンとオフの切り替えがうまくできないと言われていたので、生活をテニスだけに絞って、他のことから遠ざけたというのもあります。」
TT:「大変だったといっても、自ら選んだわけですね。」
オフもなく、365日テニス漬け
岸上:「いや大変だったのは、相生とロイヤルヒルの掛け持ち練習だったんです。相生の指導はフラットドライブ系で打て。ロイヤルヒルではスピン系で空間を利用したプレーをしろ。私、こう見えても真面目で神経質なんです(キリッ&照れ)どっちのコーチにも言われた通りにやろうとするから、自分のプレーがどんどん分からなくなりました。」
TT:「それぞれで演じているようなものだ。」
岸上:「1年の全国選抜の時にイップスになって、バックが全く打てなさすぎてメンタルが崩壊しちゃったんです。もう試合どころじゃない状態だったのでレギュラーから外れて応援に回りたかったんですけど、最後まで出ざるを得なくて。アップの時に自販機の裏に行って大泣きしてました。本当に逃出したかったです。」
TT:「それでも掛け持ちの生活を続けようとしたのでしょうか?」
岸上:「高2になって、選抜の県予選が終わった頃、ロイヤルヒルのコーチから呼び出されて、『こんな中途半端でお前はいいのか?』って。散々悩みましたが、ロイヤルヒルに戻って練習するようにしました。」
高1は全豪を見学(写真)し、翌年ジュニアとして予選に出場
TT:「では相生学院の部員としての活動を休止したということですね。」
岸上:「そこも、もう少しあるので、順に話しますね。ちょっと戻って高2の1月、全豪オープンジュニアに出場することができたんです。それは夢のような舞台でしたけど、予選の1回戦をファイナルで負けて、周りを見渡した時に『私、プロは無理や』って思ったんですよね。高校に入る頃にはプロを意識してましたから、そう思った時に、一度休憩したいって気持ちにもなっていました。日本に帰国したら、今度は母が入院することになったので私が家事をやることになったんです。母は仕事にも行けなくなりましたから、ちょうどロイヤルヒルに戻ったタイミングでしたけど、その練習費用は自分で稼がないとならないので、アルバイトして当てていました。こんな生活を1年くらい続けていました。」
TT:「月並みですが、苦労しましたね。」
岸上:「高3になって卒業後を考えるようになりましたが、プロでやっていくには力が足りない上に遠征を回る資金もない。そんな時に、『好きなだけ練習もできるしJOPの遠征費もサポートするから大学でやらないか』と、姫路大学の監督からお誘いをいただきました。プロを目指していた私にはありがたいお話ですよね。でもお誘いを受けるためには相生学院から姫路大学に推薦状を出してもらう必要があって、そのためにはロイヤルを辞めて相生の部活に戻らなければならないという条件になってしまって。進学の話なので、再び相生に戻ることになりました。」
苦労を重ねた高校時代のテニスでプロへの思いをつなぐ
プロへの道を、諦めない。絶対に。
TT:「ともあれ大学に入ってプロを目指す道を継続することになったわけですね。」
岸上:「はい、テニス一本に没頭できる環境をいただきました。大学のテニスでも、入った時は4部だったのが4年の時には1部に上がっていたので、少しはチームに貢献できたんじゃないかなとは思います。」
TT:「大学で記憶に残っていることは?」
岸上:「これまた恥ずかしい話なんですけど・・4年の時にチームが掴みかけた一勝を取れずに王座に行けなかったんです。」
TT:「詳しく聞かせてください。」
岸上:「関大戦、私はシングルス2で出ていました。私からのスコアで62 51 40-15のマッポ(マッチポイント)を取りきれなくて、気がついたら62 57、最終セットはタイブレークで再びマッポあったのに11-13。最後はチキリ合いでした。」
TT:「それはそれは・・」
岸上:「でもまだ関学に勝てば王座にいけたんです。そこもシングルス2、64 52まで行ったところで、関大戦がフラッシュバックしてきてしまって、相手のシコリにも耐えられなくて負けてしまいました。」
姫路大学テニス部長はじめ、大学関係者の理解が現在の活動を支える
TT:「プロになった今も所属は姫路大学となっていますが、現在の大学との関係は?」
岸上:「学生大会を終えて、今しかできないことは何だろうと考えると、答えはやっぱり『テニス』なんです。ですので学生としてのテニスには区切りをつけて、昨年(2019年)プロとして活動を開始しました。大学ではテニス一本でやってきて4年での卒業が叶いませんでしたので、今は通信制で卒業しようと、プロ活動と平行で勉強もしています。 そして大学には職員という形でサポートを受けて大学に残らせていただいています。本当に感謝の思いしかありません。」
TT:「それが最初の大学を出ていないって話ですか。」
岸上:「姫路大学の学生 兼 大学職員 兼 テニス部コーチなんです。」
TT:「そして、兼 プロテニスプレイヤー、ということになりますね!」
そしてプロの道へ。笑われても!
TT:「プロへの意識についてですが、いつ頃から芽生えていたんでしょう。」
岸上:「小さい頃からの夢でした。テニスにいいことがあると思えばピアノだってラグビーだってやってきたんですから。でも具体的には高2で全豪オープンに行った時でした。『プロは無理や』って思ったと言いましたが、同時に『いつか戻りたい』とも思っていました。高卒でのプロは無理なら大学に入ってからでも・・と思ってましたが、結果はお話しした通りです。いっそラケットを置いてちゃんと学生やって就職しようとも思ったことは何度もありました。それでもやっぱりプロの道を目指してみたかったんです。もう一花咲かせてやろうとの思いが強くなって、在学中ですけどプロとして活動することにしました。」
TT:「プロ生活の一年目はいかがでしたか?」
岸上:「相生の先輩方からは、『覚悟して来いよ』と言われていたので自分なりには覚悟していたつもりでしたけど、実際やってみたら本当にシンドイ世界です。」
TT:「どんなところが?」
岸上:「まず、孤独ですね。資金的にコーチはつけられませんから、誰にも頼れない。このランクのレベルだと勝ちより負けの方が多くなります。それはそれで精神的にシンドイし。」
TT:「メキシコには長いこと遠征していたようです。」
岸上:「はい。カンクンに数週間遠征して、去年も今年も行っていました。遠征費用はどうしても限られるので、メキシコは少ない海外遠征の一つです。カンクンではダブルスで少し戦績を残せたので、まだ希望を持って練習していきたいです。」
2020年1月にITF W15 Cancunダブルスを相川真侑花選手とペアで準優勝
TT:「今後のプロテニスプレイヤーとしての目標など教えてください。」
岸上:「はい。後悔しないように生きたいので、グランドスラムに出場するためにまずはWTAの600位〜700位を目標に頑張ります。そしてその上の壁、200位を乗り越える為にもITF中心に回って行きたいと思っています。高い壁なので後のことは考えずに突っ走り、越えられなかった時に次の目標を考えようと思います。 その時は、ラケットを置くことも含めて。」
TT:「戦績以外での目標は?」
岸上:「プロとして、みんなに愛される人に成長したいです。そして、ファンに近い存在のプロであり続けたいですね。」
TT:「いただいたこの一言に込める気持ちを教えてください。」
岸上:「『お前がプロ?そんなん無理無理(笑)』 って散々言われたので(笑笑) 見返したいっていう想いと。 プロ1年目の時も鼻で笑われながら『歌華プロ😏』って言われたので(笑) 笑われて馬鹿にされてそれをバネに強くなろう!みたいな感じです(笑)」
求む挑戦者!(笑)
TT:「締めくくりに、テニス以外の事を教えてください。SNSなどのオンラインには積極的に露出していますよね。」
岸上:「はい、意識的にしてます。どうしてもテニスは錦織選手や大坂なおみ選手しかいないように思われてしまうと思うんです。もっといるんだと知ってもらいたくて、YouTubeもいつか始めて、テニス以外のことも含めてもっと発信していきたいと思っています。」
TT:「テニス以外っていうと?」
岸上:「大食いとか!(笑)」
TT:「フードファイター??」
岸上:「バイキング3時間なんかはずっと食べっぱなしです。こないだは築地玉寿司の食べ放題で男の人と競ったんですけど、100貫でタイでした。普段から家族で回転寿司に行くと、最低でも20皿は食べちゃうので、いつも『もう止めなさい!』って怒られちゃうんです。いつも『そこをもう一皿〜』ってお願いします(笑)」
ナンはこの後半切れを追加し完食したそうです!
TT:「では今度『歌華フードチャレンジ』でもやりますか!(笑)」
岸上:「サッカーも好きです。一瞬の判断力が凄いなと、初観戦は感動しました。そしてあの広いコートを走り続けるフィジカルに驚きました。 行ける時は絶対チケットを取って見に行きますし、見に行けない時はDAZNで見ています。本田圭佑選手と長友佑都選手と地元であるヴィッセル神戸が好きで、応援しています📣」
サッカーの一瞬の判断力など学ぶことは沢山。ヴィッセル神戸ファンで試合には足を運ぶ。
岸上:「最後にもう一つ!(勢)」
TT:「ど・・どうぞ」
岸上:「KAT-TUNのファンなんです。テレビで聴いた「君のユメ ぼくのユメ」という曲に心をグッと動かされました。 その1ヶ月後にKAT-TUNのライブがあったんですね。 4月は私の20歳の誕生日だったのでお母さんは4°Cのネックレスを買おうとしてたみたいなのですが、、、ライブ行きたいっておねだりしまくってKAT-TUNのライブに変身しました。(爆笑) これは一生の思い出です。」
写真協力
岸上歌華選手
ご協力ありがとうございました。