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斉藤貴史

「人間力」

· Players

多くの選手から話をお聞きしてきた中で、誰よりも「プロフェッショナル」とは何なのか、自分が「テニスプレイヤー」として存在する意義は何なのかを考え続け、最も悩み抜いている選手。そして過酷な競技生活を送りながら、オフコートでもその問いの答えを探そうと、あらゆる犠牲を払ってYouTubeTennis Innovation地域活性化プロジェクトなどのテニスイベントに時間を費やしています。

ところが会って話をする彼はそんな苦労を何ともあっけらかんと答えてくれる、疲れを見せない好青年。

プロフェッショナル・テニスプレイヤー 、斉藤貴史。

じっくりお話しを聞きました。

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週7日母に教わったテニス

Tennis Tribe(TT):「やっとお話しを伺えますね。よろしくお願いします。まず最初にテニスを始めたきっかけを教えてください。」

斉藤貴史選手(斉藤):「母の影響です。ソフトテニスでインターハイの経験があって、(幼稚園の)年長の時に母が教える町のテニス教室に連れられて行ったのが最初です。小3の時には育成クラスになって、そこでも母は週7日も熱心に教えていました。夕方までパートで働き、その後に教室に出るという生活でした。」

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テニスを始めた頃、2つ年上の兄と

TT:「頭が下がりますね。」

斉藤:「そうですね、でも当時は正直、結構いやいややってたんです。練習も厳しいし、友だちは皆んな遊んでいるのに。」

TT:「反抗したりはしなかった?」

斉藤:「反抗する気にはならなかったっすね。怖かったので(笑)」

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週に7日お母さんに教わった

TT:「最初に出た大会とか覚えてますか?」

斉藤:「覚えてますよ。ミニコートでやる大会で、負けてメチャメチャ泣いてました。あの頃から負けず嫌いだったんで。あと記憶に残っているのは、何の大会かは忘れましたけど小2で出た6ゲーム先取の試合で、5-5までお互いにひたすらダブルフォルトして、相手のサービスゲームで勝ったのを覚えてますね。」

TT:「地元の石川からトップジュニアに上がっていった過程を教えてください。」

斉藤:「石川からは北信越、全国に続くんですが、小4で石川の12歳以下大会で3位になりました。前に負けた年上の選手に次は勝ってたので、早く上達してるのを実感していました。」

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北信越で頭角を著した小4の頃

TT:「つまり10歳で12歳の大会で上位に入っていたということですね。」

斉藤:「その時は全国を見据えてましたし、全国大会の12歳以下では小6でベスト4、中1で優勝を目指している段階でしたから、まだ上があると考えてました。母親にも常に『天狗になるな』と口酸っぱく言われていて、調子に乗ったらダメだ、チャレンジする立場でいろ、謙虚になれ、と自分にも言い聞かせていました。」

今も続くライバルかつ良き友人の存在

TT:「そんな斉藤選手ですが、当時からのライバル沼尻啓介選手の記事を書いたことあります。」→記事はこちら

斉藤:「その記事読みましたよ(笑)」

TT:「彼も斉藤選手をライバル視していましたが、それ以上に同年代の西岡良仁選手がともに倒したい相手であったのに、斉藤選手は2007年の全日本ジュニア準々決勝で西岡選手と対戦する前に彼に負けてしまって、沼尻選手曰く『斉藤は茫然自失』、真っ白になってずっとベンチでうなだれてたとの証言があります(笑)」

斉藤:「覚えてます。ずっとベンチで下向いてました。でもあれは啓介に負けたからでも良仁と試合ができなかったからでもなくて、優勝を逃した悔しさっすよ!」

TT:「ライバル関係は成長の糧ですからね。」

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沼尻(左)、西岡(中央)とは小さな頃からのライバルであり良き友人

斉藤:「地方では一方的に勝つ試合が多くて揉まれていないので、競ったら上手く行っていないと思うようになって脆いところもありました。でも関東や全国でやっている人はレベルが高い分だけ競ることに慣れてます。啓介や良仁たちライバルとやることで、競る試合にも自信を持って冷静に進められるようになりました。」

TT:「全国での初優勝は、どの大会になりますか?」

斉藤:「15歳の中牟田杯のシングルスが全国レベルでの初優勝です。でもこの大会には良仁がいなかったので、勝っても一番じゃない感じでした。それに優勝はしましたけど、世界の同年代にはまだまだ上がいるし、自分自身は思ったより強くなってないんじゃないかとも感じていて、それほど喜んでいなかったんです。それでも勝ちは勝ちなので、1番にはなれるんだという、自分の器というかポテンシャルを自覚した大会になりました。」

世界の舞台へ

TT:「さて、日本から世界に目を向けてみたいと思います。ジュニアのナショナルメンバーに選抜されていますね。それと修造チャレンジにも。」

斉藤:「はい、11歳で修造チャレンジに参加しはじめて、13歳(2008年)の時にジュニアのナショナルメンバーに入りました。13歳のITFジュニアの名古屋のシングルス一回戦で06 06で負けて、修造さんから『貴史、悔しく無いのか!?』とあの調子で言われたのが思い出です。」

TT:「声が聞こえてきそう(笑)」

斉藤:「その後は14歳でワールドジュニアの日本代表に選んでもらいました。前の年にRSKを準優勝しても代表選考から漏れてしまいましたから、これでやっと世界にレベルアップできるチャンスを掴んだって素直に喜びました。」

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14歳でワールドジュニア日本代表に選抜

TT:「そして、2011年にはデビスカップです。」

斉藤:「2000メートルのメキシコの高地でした。ボールが入らないので苦労しました。」

TT:「その状況は他の選手からもよく聞きます。」

斉藤:「でも、テニスは調整力のスポーツなので、入らないと苦労しているようではダメなんです。結果は1勝5敗で、この時は世界との力の差を嫌でも思い知らされました。」

TT:「国を代表する緊張感に押し潰されるようなことはありませんでしたか?」

斉藤:「それはなかったですし、高揚感も不思議となかったです。ここまでチャンスをもらえた協会への恩返しの気持ちの方が強かったですね。」

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2011年ジュニアデビスカップで日本を代表

手が震えたグランドスラムでの挑戦

TT:「では相生学院高校に進学してからのお話しに移りましょう。まずは相生に進んだ経緯を。」

斉藤:「関東や九州の強豪校も選択肢として考えていたのですが、相生は海外に行かせてくれる点が自分にとっては決め手でした。三期生で、河内(一真)と同期です。」

TT:「高校でのライバル関係はどうだったのでしょう。」

斉藤:「ライバルはたくさんいましたけど、さっきの啓介の話じゃないですけど、良仁になります。勝てない相手ではないと思っていても、結局勝てない。あいつのすごいところは集中力なんです。やっててもこっちがしんどくなってくる。本当に簡単に勝たせてくれないんです。」

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相生学院高校のメンバー 河内一真選手(上段左2人目)もチームメイト

TT:「高校時代にはジュニアグランドスラムを2012年の全豪、2013年でも全豪、全仏、全米と経験してらっしゃる。」

斉藤:「初めての全豪は予選から本戦にあがりましたけど、予決はすごい緊張してて、手が震えました。テニスで手が震えるなんて初めての経験じゃなかったかな。」

TT:「世界のスターが至るところにいるわけですからね。」

斉藤:「フェレールがいる、錦織選手がいる・・って最初は観光者の気分になってたかもしれないです。」

TT:「US Openでは本戦一回戦を突破してます。」

斉藤:「そう、その時はマジでベスト8には行きたいと思ってたので、落ち込みましたね。もうこの時は観光者気分じゃありませんでしたから。」

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2013年USオープンジュニアはベスト8を狙うも・・

高校から「プロのメンタリティ」

TT:「高校への進学では海外の試合を考え、ジュニアグランドスラムにも出場をしているところからすると、高校進学時点ですでにプロへの意識を強く持っていたと窺えます。」

斉藤:「そうですね、進学時点ではまだプロは憧れだったかもしれないですが、すぐに意識するようになっていました。最初は部活で練習していましたが、伸び悩んでるのを感じてこのままではプロが遠ざかってしまうと考えるようになりました。母親に相談したら『それならプロなんかになるな』と突き放されてしまって、何くそと思って考えついたのが通信制に変わることです。高2で通信制に編入して、昼間に部活の外で練習をするようになって、海外にももっと行くようになりました。高2の中頃にはプロになりたいなら自分に負けて逃げ道を探すようじゃだめだという気持ちがとても強くなって、生活パターンや考え方もプロと変わらないテニス中心にしました。高卒(2013年)でプロになりましたけど、これは手続き上のことであって、ジュニアの頃からプロのメンタリティでやっていきたつもりです。これができない人は、プロになってもやっていけないんじゃないかと思います。」

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2013年プロ転向直後の昭和の森フューチャーズで優勝

TT:「そのプロ意識は、結果にも現れているようです。ジュニアの大会に出ながらも、プロのサーキットに出場して、昭島ITF1万ドルフューチャーズ大会のシングルスに優勝しています。」

斉藤:「その大会は全仏ジュニアから帰国してすぐに出た試合で、世界のジュニアの高いレベルでやってきた後の大会だったので、その流れで試合をしていたら勝っていました。その後は全日本選手権にも(ワイルドカードで)出場したら、一回戦で伊藤竜馬選手に接戦することもできました。(57 46)」

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2013年全日本選手権に初出場も伊藤竜馬選手に敗退

長引くケガが視野を広げる

TT:「その翌年の2014年にはITF1万ドル柏大会でもシングルス準優勝、2015年に軽井沢の1万ドルで優勝。波に乗るように見えましたが、その後6月の柏大会の次は翌年3月のITF西多摩(亜細亜大学)まで開き、4大会目を途中棄権した後は2017年6月のITF昭島まで欠場しているようです。」

斉藤:「2014年の中頃から右手首が痛み出して騙し騙しやってたんですが、2015年には左手首に痛みが出ました。どっちもTFCC(三角線維軟骨複合体)の損傷、腱の脱臼みたいな状態で、左手はすぐに手術して、2016年に復帰してすぐに今度は右手が痛み出してそれも手術することにしました。」

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治療に2年を費やした手首の怪我

TT:「実質的に丸2年を治療に費やしてしまいましたが、やはり焦りなどはあったでしょう。」

斉藤:「テニスをこれだけやらない日はなかったので、生活は楽でしたね(笑)でも最初は焦りましたよ。トレーニングとか何でも出来ることは頑張ろうと切り替えるしかないです。最初は毎日ライスコ(Live Score)であいつ勝ってるなとか、頑張ってるなって見てました、途中から辛くなってきて、見なくなりました。オフコートでもテニスのことばかり考えて、でも考えてもいいことは何もないので、いつか考えなくなりました。」

TT:「オフコートではテニスを忘れる生活になったということでトレーニング以外、何してました?」

斉藤:「女ともだちを作って遊んでました(笑)」

TT:「いいんですか、そんなこと話しちゃって、書いちゃうよ!?」

斉藤:「いいんです。ありのままの自分を知ってもらいたいすから(笑)」

TT:「それ以上深くは立ち入らないようにしておきましょう(笑)」

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ヒッチハイクの旅でいつの間にか桜島が見えるところまで

斉藤:「それと、旅をしました。石川から鹿児島までヒッチハイクで。何で旅に出たかというと、トレーニングをやっていても、トレーナーに『身が入ってない。旅にでも出たらどうだ?』って言われて、そうだと思って旅に出ることにしました。」

TT:「でも何でヒッチハイクになるわけ?」

斉藤:「人と話してないと気が滅入るなと思ったんです。ヒッチハイクならずっと話していられるじゃないですか。最初は1週間で下関に着くつもりで朝6時に石川を出て、7台乗り継いで着いた兵庫で熊本まで行くっていう車に乗れて、一気に九州入りして、鹿児島に着いたのは次の昼12時です。1日ちょっとで着いちゃいました。1週間のつもりだったので、屋久島に渡って縄文杉を見たり、ふらふらと気ままに旅をしてました。」

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オフコートではゆっくりするより色々なところに出かけるのが好き

TT:「いい刺激をいっぱいもらったでしょうね。」

斉藤:「この旅だけじゃなくて、休んでいる間に、それまではテニスだけだったのが、他にも色々と考えるようになりました。テニスの後の生活なんかも含めて。」

TT:「それが現在の競技活動をする傍らでYouTubeなどでの発信や自主イベントなどにつながっているですね。」

斉藤:「はい。プロとしてどうあるべきなのかを考えて、いつも何かをやってます。自分でやってることとは言え、時間に追われてますし、時間がもっと欲しいですね。専門外なことばかりなんで、任せられる人がマジで欲しいです。パソコンでYouTubeの撮影・編集をやってくれる人・・」(じっとこちらを見る・・)

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プロとして、人間として

TT:「プロとして、とは、具体的にどういうことを考えてますか?」

斉藤:「グランドスラムに出たい、出ないと意味がない、って以前は思ってました。でもプロとして生きていくからには報酬を貰わないとならないといけないと思うんです。お金を稼がずに、グランドスラムを目指してるってことで自分をプロと言ってる選手が多いと思ってて、僕とプロについての概念が違うんです。正直(ATP)200位以下には広告価値はないように思います。報酬は、人に何か価値を与えて得られるものとすると、僕らは自分でイベントでも何でも企画してやらないとならないんだと思うんです。」

TT:「テニスに関して目標とするところは何でしょうか」

斉藤:「出る大会、目の前の試合に勝ちたいです。より上に、より上位に。そして、テニスプレイヤー としてだけではなくて、一番大切なのは人間として誇れる自分でいられるかだと思っています。テニスプレイヤーというより、人間力で判断されるようになりたいですね。」

TT:「今日はありがとうございました。」

斉藤:「なんか、真面目すぎましたか??テニス仲間にこの記事読まれたら二重人格って思われるかも。よくふざけてお尻出して歌ったりするところばかり見せてるんで。でもまぁ、いいか。僕にもこういう真面目な面があるってことをファンにも、テニス仲間にも知ってもらえるわけだし(笑)」

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斉藤貴史選手への応援メッセージはオフィシャルウェブサイトにお願いします。

Facebook, twitter, Instagram、そしてYouTubeも是非チェックしてください。

斉藤選手が引っ張る様々なプロジェクトにもご注目ください。

地域活性化プロジェクト

同期の沼尻啓介選手、西岡良仁選手の3人で、地方のテニスをもっと活性化させたいという想いからスタートしたプロジェクト。3選手の地元石川、茨城、三重でイベントを開催。

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Tennis Innovation 

新しいプロテニス選手の活躍の場を作りたい!そういった思いから発足した団体です。

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写真提供:

斉藤貴史選手

北沢勇さん

ご協力ありがとうございました。

聞き手:

Tennis Tribe.JP 新免泰幸