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秋田史帆

「一心不乱」

· Players

本日お話しを伺うのは、プロ生活9年目を迎えた秋田史帆選手。

秋田選手のことを調べれば調べるほど謎は深まるばかり。

プロ転向から一気に300位をブレークしたと思ったら長期にわたるランク低迷、そして今度は一気に100位台に乗せる勢いを再びマーク。ブログやSNSは途中で中断したり移ったり。

その書き込みはこんな調子・・

「やっほ~。

最近YouTuberにはまりすぎ

秋田だよ~。

そうだよあほだよ~。」

得も言われぬ不安と緊張を胸に・・そうしたら、やっぱりテニス選手におかしな人はいませんでした。いや、秋田さんがおかしいと思ったわけじゃないですよ (笑)

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Tennis Tribe.JP(TT):「今日は宜しくお願いします。」

 

秋田史帆選手(秋田):「テニストライブさんって自分で調べて知ってたんですよ!ITFサーキットを取り上げてるサイトはないので、珍しいなと思ってチェックしてました。」

 

TT:「本当ですか!!」

 

秋田:「今誰がどこで試合してるかなんて、どこでも調べられないですからね。」

 

TT:「おお、ありがとうございます!」

(このまま宣伝的な話を展開してもいいのですが、今日はこの辺で・・)

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小4でプロ宣言?

TT:「テニスのスタートからお伺いしたいと思います。7歳から始めたとのこと。」

秋田:「小2の7歳の時に、趣味でテニスをしてた父に連れて行かれてたんですけど、どんな風に始めたかってよく覚えてないんです。はっきり覚えているのは、小4の時に父に『テニスは遊びでやってくのか?プロになるように真剣にやってくのか?』っていきなり言われたところから覚えてます。」

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(7歳でテニスを始めたころ)

TT:「そう言われるだけの成績を残してたってことですよね?」

秋田:「いえ、小4まで試合に出たこともなかったですよ!いったい何を根拠にプロとか言っていたのか、いまだにわからないんですけど(笑)」

TT:「その時にどう答えたんですか?」

秋田:「その時はプロの意味もよく分かってなかったと思いますけど、そう言ったら父が喜ぶかなって思って『プロになる』って答えました。でも、今こうやってプロとしてやってますし、決して嘘じゃなかったんですよね。」

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(全国小学生大会出場)

TT:「お父さんとのテニスは、どういうものでした?」

秋田:「毎回泣いてました。練習して車で帰っても、車の中で1時間くらい今日の練習のことを言われるんです。いつも、母の『ご飯が冷めるから入りなさい』っていう一言で玄関に入ってました。家に入ってご飯食べたら、今度はタオルの片方を結んだのをボールに見立てて、父が手でぶら下げたのを打つ練習でした(涙)」

TT:「お父さんのそのスパルタンな感じはどこから?」

秋田:「父は消防士なので、仕事の訓練でも追い込むのが普通で、『訓練に比べればこのくらいは』って言ってました。私は『そんな命かかってる訓練と一緒にすんな』って心の中で言ってました(笑)。高校になると私もちょっとズルをするようになって、家の周りを20分くらいでランニングする時は、途中の本屋で時間を潰して、最後に時間を合わせてダッシュして、ハーハー言いながら帰ってました。走るの嫌いなんですよ(笑)」

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(お父さんと)

ジュニア時代の思い出

TT:「ジュニア時代思い出を教えてください。」

秋田:「14歳の時にヤングスター選抜の遠征でドイツに行った時のことです。地元の選手とセンターコートで観客がいる中での試合でした。ファイナルセットの競ってるところで、デュースで私がポイントを取ってアドバンテージコートについたら、相手がデュースだって言い張って譲らないんです。その時に私は英語が喋れなかったので、知ってる単語で

『This side! This side! This side!!・・・』

って100回くらい号泣しながら叫んだんです。でもセルフジャッジでデュースにされたんですけど、地元の観客が私の味方についてくれて、試合に勝ったのを覚えてます。」

TT:「何かその必死な感じ、想像がつきます(笑)」

秋田:「一緒に遠征したメンバーから『史帆はThis sideしか言えない』ってイジられてました(笑)」

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(ナショナルメンバーとしてワールドジュニアで戦う)

秋田:「もうひとつは、15歳で優勝した中牟田杯です。この決勝はたしか60 60で勝ったんですけど、初めての全国レベルの優勝だったのもあって、決勝だけ見に来られた父の嬉しそうな顔が今でもはっきり覚えてます。帰りの福岡空港で長崎ちゃんぽん食べに入ったんですけど、父は嬉し過ぎて喉を通らなくて残したのをよく覚えてます。」

TT:「そんなお父さんを見て、自分も残しちゃいました?」

秋田:「いえ!私はペロッて全〜部食べましたよ!(笑)」

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(2004年 U15全国選抜ジュニア中牟田杯優勝)

土壇場での迷い

TT:「高校ですが、愛知啓成は当時無名の学校のようですね。」

秋田:「はい、特に全国に選手を出す学校でもありませんでした。高校進学は通信制も含めて色々考えはしましたが、通っていた木曽川ローンテニスクラブと部活の両立できるというところで決めました。ここは文武両道の学校なので、大会出場で公欠はつけてもらえても基本的に授業には出ないといけないし、テストでは赤点も付くので、勉強も一生懸命やりましたよ!」

TT:「高校時代は3年生で全日本ジュニアベスト4、4つのグランドスラムジュニア大会すべてに出場して、ジュニア最後の年に成績もピークをつけて、卒業後プロに転向。迷いのないプロ転向の決断に見えます。」

秋田:「そんなことないです。高3の夏まで、『断固としてプロになる』って決めてました。でもふと振り返ると、私はくるみ(奈良くるみ選手)に一度も勝ったこともない、全日本ジュニアもベスト4止まりで優勝していない。もっとやれたというか、自分に期待をしていただけに、結果が思ったように出なかったことで、プロでやっていけないんじゃないかと思い始めて、自信を一気に無くしてしまいました。テニスをやめて学校に行こうかとか、落ち込み過ぎて突発性の難聴にもなったりして。」

TT:「どのようなきっかけでプロの道に行こうと決めたんでしょう。」

秋田:「何でプロになろうって思ったのかを思い出したんです。プロになっていろんな国で試合をして、世界中の人たちに元気を与えたい。それと」

TT:「それと?」

秋田:「お金稼いでユニセフに募金したいって!」

空白の4年

TT:「2008年にプロ転向後、一気に200位台に乗せて行きますが、2012年から急降下、長く低迷の時期を過ごしています。何があったのでしょう?」

秋田:「2012年は全米オープン予選に出場が視野に入ってきたので、出場に必要なポイント獲得のために試合をつめて、アジアとヨーロッパを5週連続で巡ってました。結局は予選に入れなかったんですけど、帰国してから、朝起きれなくなったんです。1日18時間くらい眠り続けて、午後4時には決まって38度以上の熱が出るようになってきました。それでも自転車で3分のコートに行こうとするんですけど、それもしんどい。ウォームアップでコートを1周ジョギングするのも精一杯。ショートラリーをするのが限界で、コート脇で横になったらそのまま気がついたら2時間くらい寝てしまうってことがありました。」

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(プロ転向後、原因不明の不調に悩まされている頃)

TT:「医師の診断はどうでした?」

秋田:「心電図とかレントゲンとか身体を診てもらったら、先生に『バッチリ、何も問題ない健康体だ』って変なお墨付きをもらって(笑)。それでも寝たきりみたいな状態が続くので、心療内科に行きなさいと言われましたが行かず、コーチのアドバイスで食事療法を取り入れることにしました。それから少しずつ回復してきましたけど、2年くらいこんな生活をしていました。今でも結局何が問題だったのかは分からないままなんです。」

TT:「心身的に苦しい2012−13年を過ごしていたわけですね。しかしその後の復活にも時間を要してしまいましたね。」

秋田:「その後は、落ちた体力の回復は簡単じゃなかったですね。でもランクを上げられなかった一番の問題は、資金不足でした。2013年でそれまでのスポンサー契約が切れてしまって、こんな状態ですから新しいスポンサーがつくこともなく。試合に出られない、試合に行って負けるチャンスすらないという状態で、880位まで落ちてしまいました。」

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(東海中日オープン優勝 国内JOP大会の賞金で遠征費を稼ぐ)

奇跡の出会い

TT:「その後、北島水産のサポートを得ましたね!」

秋田:「奇跡のような話です。コーチと岐阜の市民コートでずっと練習をしていました。そこに父親と娘さんでテニスをする親子連れに出会ったんです。お話しをするようになって、娘さんにテニスを教えるようになっていきました。2015年の7月頃だったと思います。

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(奇跡の出会いの「舞台」で、現在でも練習をする柳津緑道公園コート)

そんな状況が続く中で、この親子は北島水産の井深社長親子で、私はプロのテニス選手でツアーで回っているという話もするようになっていきました。そうしたら、パッチでスポンサーをしていただけるという話になりました。それだけでもありがたい話ですけど、『史帆ちゃん、このパッチで実際どれくらい支援になる?』って聞かれた時に、正直に、1年間ではこれくらいかかりますって話をしたんです。そうしたら、『史帆ちゃんを助けたい』と言ってくださって、必要な資金をサポートをいただけるようになったんです。」

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(「奇跡的な出会い」井深社長と娘の由望ちゃん)

TT:「まさに奇跡の出会いですね。今年は自己最高221位まで記録して、再びグランドスラムが見えてきました。この出会いがなければ、今頃どうなっていたことか。」

秋田:「アルバイトや仕事をやって遠征費を稼ごうかと考えたこともありました。でも私のコーチの教えで『ラケット一本でいくのが本当のプロだ』と言われて、JOPの大会で賞金を稼いで繋いでいたこともありました。それでも足りないので、クレジットカードのリボ払いでどんどん先延ばしにして借金を増やしてしまったり。コーチも、こんな時期にも見捨てずに一緒にいてくださって、感謝しかないです。」

TT:「コーチのお名前をお伺いしてなかったです。」

秋田:「ブレントン・バーカー(Brenton Barker)コーチです。私が高校の頃に岐阜県テニス協会に呼ばれてオーストラリアから来日したそうですが、プロ転向から今まで面倒を見てくださっています。」

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(Brenton Barkerコーチと)

圧倒的なパワーテニス

TT:「ご自身のプレーの見どころは、どういうところでしょう?」

秋田:「パワーテニスです。身体は小さいですけどサービスエースも取れますし、返ってきても3本目には攻めていくのが私のプレーです。ラリーも常に攻撃をしていきます。」

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(卓越した身体能力が、パワーテニスを支える)

TT:「もしかして、あまり器用な方じゃないですか?」

秋田:「あはは、そうですね。ドロップショットも下手くそでしたね。テニスを知らない母でも『史帆、ドロップショットは打たない方がいいんじゃないかしら?』って言われちゃうくらい(笑)今はドロップやスライスも練習して、パワープレーと意表をつくプレーで引き出しを増やしてます。」

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(フォアもバックも、ベースラインからウィナーを狙える)

クランドスラム優勝の自信

TT:「最後になりますが、今後の目標など、お聞かせ願えますか?」

秋田:「私、グランドスラムで優勝したいと思ったことがないです。そういう風に言ってきたこともありましたけど、言わされていた感じでした。本当は、目の前の試合と大会全てで勝つことが目標。それを続けていけば、WTAでも勝って最後はグランドスラム。グランドスラムで優勝できる自信はあるんです!」

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(高めた集中力を、コートで一気に爆発させる)

TT:「ランキング的に目指すものはありますか?」

秋田:「トップ30は目指せると思ってます。」

TT:「そしてユニセフですね。」

秋田:「そう、募金できるようになります!(笑)」

最後にサインと一言をいただきました。

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TT:「えっとすみません、これ、なんて書いてるんですか?AkitaにもShihoにも読めないんですけど・・」

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秋田:「Tamです。私、『シホタム』って呼ばれてたので! サインするときにパッて書けるんですよね!」

ああ、解けたはずの謎が、再び・・

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写真提供:

山下潤(Jun YAMASHITA)様

秋田史帆選手

ご協力ありがとうございました。

聞き手:Tennis Tribe.JP 新免泰幸

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