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奥田裕介

「繋がりに『感謝』」

· Players

プロテニスを語る上で欠かせない、コーチの存在。

今回は京都を拠点にプロ選手とプロを目指すジュニア選手に心血を注ぐ奥田裕介コーチをピックアップします。

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『会社員を経て』

大学までプロになることも視野に入れてテニスにどっぷり浸かった生活を送っていました。でも全日本選手権に出たこともない地方レベルの選手で、大学卒業後の進路は地元(京都)の一般企業に就職しました。仕事で練習は思うようにできず、試合にもほぼ出られない日々を過ごす中で、もう一度しっかり現場でテニスに関わりたい、その中で全日本選手権に出場できるレベルまで自分を高めたいと考えるようになり、2年目で大阪のテニススクールTEAM STUFFに転職しました。

『一樹との出会い』

TEAM STUFFに入社してからは、大人からキッズまで幅広く練習を見させて頂きました。国内大会にも出場していました。でも結果はついてこず全然ダメでした。あるジュニアの大会で運営の仕事をしている時に、中学時代の恩師を見かけ、『西脇先生ですか?』と声を掛けたんです。それが、先生の息子で現在はプロ選手の西脇一樹との出会いでした。

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それから仕事に影響のない範囲で一樹のテニスを見るようになりました。結果が出ない自分のプロ選手への道と、コーチ業の傍での一樹との時間は本当に毎日が試行錯誤でした。それを見ていた上司から、『将来、どうしていきたいの?』と問われたことをきっかけに、選手ではなくコーチのプロとして生きていこうと腹を決めました。

『菜冴美に賭ける』

一樹は長野県の高校に進学し、帰省するたびに成長を喜び、悩みを聞き、できるアドバイスをしていました。日常ではテニススクールでのコーチ、ジュニアの育成でテニスに関われる楽しさを噛み締めていましたが、ある日、大阪のサテライト大会で僕の目には宝石の原石のように光る選手を発見したんです。田中菜冴美(なごみ)というジュニアです。別のクラブの選手に声を掛けるのはご法度なのですが、菜冴美にはつい話しかけていました。そんな行動をとらせるだけの可能性が彼女にはあると思いました。発見(笑)から1年を経た頃、菜冴美はTEAM STUFFを練習拠点として移籍してきてくれ、僕はスクール業務の空いている時間の全てを彼女にかける生活が始まりました。

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小学生の菜冴美とこの舞台に立つぞ!と2人で誓い、叶えたスーパージュニア

『一緒に世界を回る』

TEAM STUFFでは多くのレッスンや運営業務を任される立場になっていましたが、実家の家業を手伝わざるを得ない状況にもなりました。TEAM STUFFと家業の両立は困難なため退職して家業に入りました。テニスとは全く別の業種ですし、その時はもうこれでテニス業界から離れようとも思っていました。

そんな時、菜冴美からTEAM STUFFを辞めるので空いている時間にテニスを見てほしいと相談されました。悩みましたが、色々な方の助けもあり、限られた時間の中での菜冴美との活動を再スタートしました。

菜冴美は期待通りに成長してくれ、ITFジュニア大会で海外を回れるレベルにまでなりました。彼女を連れて世界のツアーを回りたい。その思いが自分の中でどんどん大きくなります。家業の合間にツアーコーチとしてITFジュニアを回り始めました。菜冴美の遠征費はなんとかかき集め、僕の分は貯金を切り崩しての遠征です。

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『ツアーコーチという職業』

ITFジュニアを回る選手も多くなければ、それに帯同するコーチもまだ少ない時代。周りからの意見はありました。大半は身が保たないというものです。そりゃそうですよね。でも僕はプロのツアーコーチを目指すのであれば、世界を回ってネットワークやノウハウを得る経験が絶対に必要だと信じていました。

意見を求めて中国を拠点にプロツアーコーチをされている徹平さん(金重徹平氏)に話を聞かせてもらいました。

選択肢はシンプルに2つだけ。

どこかのクラブに入って回るか、自分でチームつまり箱を作って回るか。

僕は京田辺市という京都の町の出身ですが、そこから世界に出る選手を輩出してみたい、そして、僕をここまで成長させてくれた一樹と菜冴美が世界を回った後に帰ってこられる場所を作りたい。家業も少し落ち着いてきたこともあり、自分の箱を作る選択肢を選びました。

それが、現在のLYNX(リンクス)テニスアカデミーです。(http://lynx-ta.com/)

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奥田コーチの思いは、京田辺の町の思いでもある。

『箱作り進行中!』

幸運にも恵まれました。京田辺に父の友人が所有する土地を貸してもらうことができ、建設資金も「京田辺からプロ選手を出す」という夢を認めてくれた銀行の支援で最低限の資金繰りの目処が立ちました。コートはデコターフのハード。ツアーを回ってハードが絶対に必要と考えました。独立して足掛け3年、2016年にLYNXがコート1面で立ち上がりました。京都では珍しくジュニアにフォーカスし、ツアーを経験したコーチがいるスクールとして、多くのキッズやジュニア選手向けの指導をしています。2020年の現在、コートは2面に増えてクラブハウスを建設中。本当の箱作りですね。ここはジュニアが憧れるプロ選手が集まってくる異色な場所として育てていきたいと思っています。

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『両親と2人に感謝』

菜冴美はその後相生学院、姫路大学でテニスの道を歩み、たくさんの全国大会を経験しています。一樹は自分がなれなかったプロテニス選手として活動しています。約10年この2人に全てを注いでここまでやってきました。ジュニア時代、大学、社会人と選手では本当に大したレベルじゃなかった自分が、選手を諦めて早くにコーチ業やクラブ運営の業務に携われたことは良い選択だったと思いますし、ツアーコーチとして思い切って海外に飛び出したことは本当に大きな糧となりました。その道を一緒に歩んでくれた一樹と菜冴美、そして、いつもどんな時でも何も言わず、ずっとテニスを続けさせてくれた両親には本当に感謝しかありません。

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戦績が出ていない選手がいると思います。でも戦績だけが自分のテニスを測る物差しじゃない。周りに何を言われても、自分の思いを否定されても、「夢」と「目標」を常に持ちどれだけ突き詰められるかが本当に大事だと感じます。

巡り合えた「出会い」と「繋がり」に日々感謝し、夢を諦めず突き進んでいってほしいです!

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奥田裕介コーチへのコンタクトはウェブサイトからお願いします。LYNX Tennis Academy 

奥田コーチの活動はFacebookInstagramからもご覧いただけます。

 

写真提供:

奥田裕介コーチ

ご協力ありがとうございました。

 

聞き手:

Tennis Tribe.JP 新免泰幸