サイトへ戻る

高田真緒

 

好きこそ物の上手なれ

Tribe Story #77

· Players

この選手を初めて見たのは、2019年の柏オープンでテニストライブが協力して行った男子プロテニス選手会の公開練習イベント。添田豪や伊藤竜馬ら並いるATPツアーレベルの選手に混ざって小柄で華奢な若い選手が必死にボールに食らいついている姿でした。次に見たのはYouTubeで披露する器用にラケットを使いこなす彼。筆者の男子選手会との交流の中でこの選手の姿がより鮮明になるにつれ、一度話を聞いてみたいと思うようになりました。

この選手の目指すところを、本人の言葉を借りて最初に言ってしまいましょう。

「自分の夢までは遠い道のりですけど、僕はテニスが好きで、愛しています。テニスを極めていく道の先に僕の夢はないかもしれませんが、それでもこの道を歩む理由は、好きや愛で十分だと思っています。」

プロテニスプレイヤー高田真緒選手に話を聞きました。

(取材2022年暮れ)

broken image

高田真緒

1997年3月8日 神奈川県出身

👉プロフィール

テニスが好きで、フェルトが剥がれるまで壁打ちをしていた少年時代

高田真緒(高田):スリランカでテニスを始めたんです、小1だったかな。

TennisTribe (TT):ちょ、ちょっとまってくださいね(汗)

高田:テニストライブの記事は読ませてもらっているので、最初に何を聞かれるか分かってますよ(笑)

TT:ありがとうございます(笑)でもその前に、生まれは神奈川じゃなかったでした?

高田:はい、生まれたのは横浜です。スリランカは父親の仕事で4歳から6歳の頃までいました。なにか運動しようということで、身近にあった水泳かテニスのどっちかだったんですけど、当時は内戦で治安が良くなくて、(公共事業が滞って)水が危ないからテニスをすることになりました。

broken image

スリランカでテニスの手ほどきを受ける

TT:スリランカでのテニス。あまり想像つかないですね。なにか覚えていることありますか?日本と違うところとか。

高田:その頃の記憶はほとんどないですけど、10年後に旅行でスリランカに行って、当時のコートを訪ねてみたんです。住んでたときはまだ小さかったから気が付きませんでしたけど、学校にも行かずにネット脇でボールを拾う子が何人もいたんですよね。チップ目当てにやってくるみたいです。コートもボロボロでした。日本との違いと言えばこういうところかなぁ。

broken image

10年後に訪れたスリランカのホームコートと、学校に行かずにボールを拾う子ども。

TT:テニスの他にスポーツは?

高田:小3からサッカーもやりましたけど、テニスの方が楽しかったので小6でやめてテニス一本になりました。その頃はテニスウェアを持ってなかったので、サッカーのユニフォームでやってましたね。サッカーのユニフォームってズボンにポケットがないので、サーブの時にボールを足元に置いて試合してたら、注意されたこともありました(笑)

broken image

サッカーのユニフォームでテニスもしていた

TT:テニス好きのエピソード、何かありますか?

高田:いっぱいありますよ(笑)テニスは本当に大好きで、ラケットでボールをポンポン突きながら登校したり、テニスがない日には3時間も壁打ちしてました。それだけ壁打ちすると、ボールってツルツルになって、次にフェルトが剥がれてくるんですよ。あと、ボールにゴム紐がついてて打ったら返ってくるのあるじゃないですか。あれはゴムが切れて結び目ばっかりになっちゃったので、最後はズボンの紐で代用していました(笑)

broken image

テニスは誰よりも大好き。壁打ちは3時間だって平気で打ち続けてた。

女の子に負け、闘志に火が点く

TT:誰もが放課後にサッカーしたり休日に野球したりするみたいに、テニス好きの少年って感じですね。とても微笑ましい。

高田:はい。スリランカから帰国してからは横浜のサンブリッジテニスクラブで週1の練習でしたからテニス好きの子って感じですよね。でも区民大会の総当たり戦に出た時に1勝2敗、その内のひとつは女の子に負た試合で、トーナメントでは06で負けたんです。それが悔しくて、もっと練習したいと思うようになって、今までより少し離れたラックテニスガーデンに移って週4で練習するようになりました。

TT:いつ頃のことですか?

高田:小6、いや中1だったかな。中2からは育成向けの特別クラスにも参加するようになりましたから、この頃にはテニスにどっぷりですね。

TT:その頃の戦績はどのあたりだったのでしょう?

高田:中2で県ジュニア、中3でもダブルスで関東でした。

broken image

区民大会で負けた悔しさから、より懸命にテニスに時間を注ぐようになる

TT:中学ではまだ全国クラスには顔を出しませんが、高校は岡山県の岡山学芸館へ進学。この高校は岡村恭香選手なども輩出した名門の一つです。進学の経緯を教えてください。

高田:コーチの紹介でした。地元の高校に行くか岡山に行くかで悩みましたけど、学芸館の締切ギリギリに気持ちを固められました。

テニスが好きという才能

TT:初めて親元を離れて、夢にも見たであろうテニス漬けの生活。どうでした?

高田:毎日が本当に楽しくて。高2の時にはゲイブ・ハラミロさん(Gabe Jaramillo:元IMGのコーチで、Club Medのテニスアカデミーディレクター)が来日の際に学芸館にも来てくれて指導を受けたり、フロリダのIMGに短期の留学で直接ニック・ボロテリーさんにお会いできたりで、充実してました。

broken image

ゲイブ・ハラミロコーチと

broken image

IMGへの短期留学でニック・ボロテリー氏と

TT:ゲイブさんには日本の多くのジュニア選手も影響を受けているようです。最高のコーチにも教わって、さぁ行くぞ!って感じですね。

高田:それが、高2の時に手首を痛めてしまって。

TT:まさか壁打ちを5時間くらいやっちゃいました??

高田:きっと高2の体育の授業でやったバドミントンの時だったと思うんです。差し込まれたシャトルを手首を返して打った後から痛みが出始めたので。

TT:ああ、なんか様子が目に浮かびます。痛めそう。

高田:高3になってもまだ痛みが治らないので検査を受けたら、TFCC(三角線維軟骨複合体)の損傷との診断でした。思っていたよりも状態が悪いことが分かったので、内視鏡とボルトの出し入れで3回の手術を受けることになりました。

TT:テニスができない時期はどうしてました?学校にボールを突きながら歩くような生活を送っていた高田選手にとっては、テニスがないのは考えられないわけでしょう。

高田:手術の3日後には左手でテニスしてました(笑)

(注:高田選手は右利きです。その前提で読んでね。)

僕、左でもテニスできるんですよ!ドクターには今後テニスはできないかもしれないって言われてその時は大泣きしましたけど、すぐに左手でもプロになってやるって開き直ってました(笑)YouTubeにも載せているので見てみてください。結構上手いですよ!

TT:もやは病気ですね(笑)

高田:あはは、そうですね。でもここまで好きなのは、1つの才能じゃないかなって最近になって思います。大人になった今でもテニスを好きな気持ちは小さい頃から変わっていないと言える自信があります。

『好きなことを極めたい、それがプロならプロになりたい』

TT:さて、高校ではケガもあって結果はなかなか戦績には表れてきませんでした。そうなると、大学に進学してテニスを続けて、大学卒業後にプロか就職かの選択をする進路が視野に入ってくるんじゃないかと思いますが。

高田:僕は何がなんでもプロになるって決めていたんです。なので、大学への進学も一般企業に就職することも全く考えていませんでした。大学は学ぶところでテニスをするところとは考えてはいなかったのと、大人になってもいけますし、実際これまでも勉強をしたいと思って教育系の科目を2−3通信で取ったことがあります。

broken image

高校は岡山学芸館へ 怪我に悩まされるもテニスへの思いは一層強くなる

TT:なるほど、高校を卒業をしてからはプロに向けた準備に入ったということになるわけですね。そこまでプロになると決めた強い気持ちは、どこから、そしていつから持っていたんでしょう。

高田:テニスをやり始めてた小さい頃から『好きなことを極めたい、それがプロならプロになりたい』という単純で当たり前だった簡単な理由だと思います。手術して利き手でテニスができないかもと言われた時でさえも、左手でもプロになるって真剣に思ったくらいでしたから。

TT:では、高校卒業後に向かったのは・・

高田:2015年からゲイブ・ハラミロさんのイベントでもお世話になったコーチの元で練習することにしました。場所は大分です。でも2年くらいで親の関係で実家に戻らざるを得なくなってしまったので、横浜の自宅から通える範囲でテニスができる環境を探しました。

TT:それが荏原SSCということですね。

broken image

高校卒業後に向かったのは大分(写真)

その後2年ほどで家族の都合で横浜に戻る

高田:はい。でも荏原は何度も断られ続けていたんです。僕には実績がありませんでしたから当たり前ですよね。週2で電話をし続けて、一度はトライアウトを受けないかというところまで行ったんですが、それも直前にキャンセルになりました。もうさすがに諦めかけてた時に、改めてトライアウトを受けてみないかということになって、受け入れてもらえることになりました。最初の連絡から半年かかりました。2017年、20歳の頃です。

broken image

実績のない高田選手を受け入れてくれた荏原SSC

練習相手は日本のトップ選手ばかり

練習仲間、そしてクレーコートで世界を知る

TT:もう一度、戦績に戻ります。全国レベルの大会で名前が出てくるのが2018年の全日本選手権の予選です。いよいよ結果がついてきたというところでしょうか。

broken image

2018年、念願の全日本選手権出場へ、その予選へ挑む

高田:大会で勝てるようになってきたのは、その年の1月にあった山梨北杜インドアオープンで優勝したあたりからかなって思います。

TT:その年は7月にロイヤルSCと山梨北杜オープン(ともにJ1-1大会)で優勝、その秋の全日本予選出場ということになります。

broken image

7月のJ1-1大会優勝(写真は山梨北杜オープン)を経て全日本予選へ

高田:荏原で練習するようになった2017年には、次の年にプロになろう、それにはJTAのランキングで100位以内に入ろう、そのためには全日本選手権出場も視野に入れて・・ということで、かなり綿密にポイントを意識しながら大会を詰めて出場していました。結果的に2018年には100位以内に入れたので、プロ登録を申請しました。

TT:ITF大会の出場状況も見てみましたら、2018年に日本開催の3大会で予選に出場。これがITF初出場ですね。

broken image

高田:はい、どれも予選一回戦でした。最初の早稲田(ITF西東京大会)ではボーラーもいて、慣れない環境で緊張しながら試合したのを覚えてます。

TT:2019年は4大会出場しますが予選落ち、次の出場はコロナもあって2022年。この年にITFでも結果がついてきましたね。M15大会で予選を勝って本戦2回戦に上がること2回、本戦ダイレクトインで2回戦進出が2回。ATPランキングも獲得しました。

高田:時間はかかりましたけど、荏原での練習環境は大きいです。最初はついていくのがやっとで、女子選手にも負けてましたけど、日本のトップレベルの選手たちと同じ練習環境にいられるのは学ぶことばかりですし、大きな刺激です。これは男子選手だけじゃなくて、YouTubeでもご一緒した秋田史帆選手(2020年全日本選手権女子シングルス優勝)からは練習の取り組み方、試合へ向けての食事も含めた準備のしかたなど、多くを学んでいます。

broken image

トップレベルの環境は、日頃の取り組みを学ぶ場でも

秋田史帆選手も刺激を与えてくれる選手の一人

TT:自分の中で何か成長したと感じるところはありますか?

高田:2022年は海外でクレーコートの大会に多く出たのですが(13大会中8大会がクレー)、前よりも相手が次にどう展開するかを読めるようになってきたと思います。

broken image

クレーで世界のテニスを知る

TT:海外に出ることで刺激や学ぶこともあるのではないでしょうか。

高田:本当にその通りです。他にも、技術も体の使い方も決して上手じゃないあるオーストラリア選手がいて、大会に一緒にいた秋田選手も技術では僕の方が上だと言うんですけど、いざ試合になると強いんです。メンタルを含めた総合力というか、テニスへの取り組む姿勢というか、なんて言ったらいいのか分からないんですけど。「世界を知る」というのはよく聞きますけど、こういう選手の存在も世界のテニスのひとつなんだなと思いました。

夢は日の丸

高田:もう少し話ていいですか?

TT:もちろん。

高田:実は2022年にポイントを取れなかったら、プロを引退しようと思っていました。何度もいいますけど、僕、本当にテニスが大好きで。このままだと好きすぎていつまでも続けてしまうなと思ったんです。荏原の厳しい環境にいるのも、海外で転戦するのも、どこかで「この人たちにはどんなに練習したって勝てっこない」って、そうやってテニスを諦めさせてくれることを少しだけ期待していた自分もいるからなんです。でも逆に、「このレベルに追いつき追い抜きたい!」って気持ちが湧いてきて、ワクワクしてしまったんです。でももう25歳。この歳で、この年(2022年)にポイントを取れないとしたらその先は難しいから諦めることにしよう、そんなに簡単な世界じゃない、そうやって言い聞かせて。だってそうでもしないと本当にいつまでも続けてしまいそうだなって自分でわかっていたので。

TT:ポイント獲得しATPランクも取りましたので、いつまでもテニスを続けていく覚悟で(笑)、今後の目標を教えてください。

高田:まずは全日本選手権の本戦の舞台で戦うことです。これまでは予選で負けてしまったので。これはプロと名乗っている以上戦わなければいけない場所だと思っています。

ただ試合の中心はITFだと思っています。それには遠征などで資金が必要ですから、サポート契約も募集していますし、イベントをやったりで資金を集めています。

そして夢はデビスカップで日本代表としてプレーして勝つことです。これは小学校からの夢です。父親がサッカー好きでよく日本代表戦を家で見ていた影響で、日の丸に憧れていました。その競技の代表として国を背負って戦い、熱狂的に応援される。すごいことだなって。自分もいつかそうなりたいなって。

実現させるには、グランドスラムの予選に出るくらいのレベルじゃないとならないと思いますけど。もっと手前の目標としては、ATPランキングで1000位に入ること、ITF大会でベスト8に入ることです。そのためには、これまでは欠点を潰すことを練習してきましたけど、これからは長所を伸ばしていきたいと思っています。

broken image

もうサッカーのユニフォームじゃないですよ!

ありがとうございました。

最後に一言をいただきました。

「好きこそ物の上手なれ」

大好きなテニスを職業にした高田選手は、ずっと弾んだ言葉でテニスに賭けた半生を語ってもらいました。お話を聞くこちらもワクワクするインタビューでした。

broken image

高田真緒選手の最新情報はこちらから

Twitter

Instagram

写真提供

高田真緒選手

澤村京子さん

聞き手:Tennis Tribe.JP 新免泰幸

Facebook  Twitter  Instagram