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相川真侑花

 

Enjoy the process

Tribe Story #76

· Players

この選手を初めて知ったのは、海外らしき青空の下で溌剌とした笑顔を見せるSNSの1枚の写真。名前からは日本人のようですが、どうにもジュニア時代の足跡が辿れない。

彼女と仲がいいという若い選手と出くわしたことがある一方で、キャリア中堅のプレイヤーに聞くとほとんど接点がない。

件の写真を改めて眺めると、そのエキゾチックな容姿から、実は外国人?いや、お淑やかで慎ましやかな日本的な風情でもあるな・・と妄想は広がるばかり。

もうこれはミステリーでした(笑)

しかし会ってみると・・そこにいたのは長い海外生活を印象付けるようにしっかりとこちらの眼を見て、かつ打ち解けて話す姿勢と、意外にも「ガハハ」(いや失礼、「キャハハ」かな?)と笑う、若い女性アスリートでした。

相川真侑花選手にお話を伺いました。

(取材2022年暮れ)

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相川真侑花

1998年4月2日 神奈川県出身

👉プロフィール

兄のラケットを奪って立った初めてのテニスコート

TennisTribe.JP(TT):唐突ですが、日本人ですよね?(笑)

相川真侑花(相川):はい、日本生まれの日本人ですよ。

TT:日本にいました?

相川:あぁ〜!小6の途中から高3までアメリカにいました!

TT:どうりで!その話はまたあとでじっくりお聞きします! まずテニスを始めたきっかけを教えてください。

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テニスを始めた小1の頃。休憩中のお兄さんのラケットを奪ってコートに立つほど、のめり込んだ。

相川:父も3つ上の兄もやっていて、その影響ですね。父は関東ジュニアで単複優勝したり、全日本ジュニア14歳以下ダブルスで優勝したことがあるらしいです。

父と兄の練習で、当時あった新横浜プリンスホテルのテニスコートについて行ったのが初めてコートに立った時だそうです。兄の休憩中にラケットを奪ってコートに立ってたらしいので、その頃からテニスには興味があったみたいですね。

幼稚園の年長さん時に白楽テニスカレッジで始めて、小1から橘テニスアカデミーです。約18年、今も教えてくださってる石井秀樹コーチは、ここで出会いました。小2を過ぎた頃にもっと真剣に取り組むには自分にあったクラスがなかったので、荏原SSCの選手コースにはいりました。週5−6日で練習するようになりましたから、スポーツはテニスに絞られました。

TT:テニス以外のスポーツや習い事は何かしてました?

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相川:はい、小学校受験もあって、色々な習い事をしました。体操教室でマット運動、鉄棒、平均台とかやりました。あとピアノ。ピアノは年少から小2まで、兄と一緒に個人の先生について習ってました。

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ピアノにも本格的に取り組んだ。

他には、両親に聞いてみたら幼稚園の時に日本児童野外活動研究所で毎月一回泥まみれになって遊ぶプログラムに参加したり、お絵描き教室に通ったりしたそうです。それとNOVAの英会話にも少し通って、夏休みにはインターナショナルスクールのサマースクールに参加したり。父の仕事の関係で海外を旅行する事があったので、英語は身近にありました。

TT:すごい・・圧倒されてます・・。

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ご家族の深い愛情と、日本で生活するも世界に触れる環境の中で幼少期を送る。

才能は小学生の最終学年で花開く

TT:テニス以外にも思い出がたくさんありそうですが、その頃のテニスの記憶って何かありますか?

相川:テニスを始めて間もない頃でそんなに覚えていないですが、年上のお姉さんに06でスコボコにされた試合とか・・

TT:(笑)

相川:どうしました?

TT:「スコボコ」なんて言葉使うんですね(笑)なんか、意外で。ごめんなさい、話しを続けて! スコボコにされて、それで・・

相川:それが、悔しい思いはあまり無かったって事を覚えてるんです。荏原(小2から)に通ってからは関東ジュニアにも出ているような年上が練習する機会があって、試合をしてもいつも負けてばかりだったんですけど、憧れの人たちと楽しく、自分も関東や全国を目標にして練習してました。やっぱりテニスが好きだったんだなって思い出します。

TT:JITC(自由が丘インターナショナルテニスカレッジ)にも行ってましたよね。

相川:そうですね、小5に上がる時に、都内の学校から荏原に通うことが時間的に厳しくなったので、JITCにお世話になるようになりました。

TT:戦績を確認してみましたら、2010年の全小(全国小学生テニス選手権大会)に優勝、同じ年の全日本ジュニアはU12でシングルス3回戦、ダブルスでは小堀桃子選手と組んで優勝。

相川:はい、覚えてます。シングルでは小堀さんに負けてますよね。関東でも小堀さんにスコボコにされて、その試合の課題としてJITCの練習でランニングショットを泣きながらやってました。(笑笑)お陰で全国小学生で優勝することができました。

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2010年の全国小学生大会シングルスで優勝。このあと親元を離れ12年にわたる渡米生活が始まる。(写真:北澤勇)

小学生が、単身アメリカへ。「もうやるしかない!

TT:全日本ジュニアのあとからピタッと戦績が追えなくなりますが、このあたりから海外ということですね。

相川:はい、そうですね。

TT:これは初めての海外でのテニスでした?

相川:いえ、9歳の時にIMGアカデミーでニック・ボロテリーさんにプライベートでテニスを見てもらった事がありました。キャンプにも参加しましたが、英語も分からないのでドリルの説明も分からなくて苦労しましたけど、世界をビジョンにするきっかけになりました。

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最初の海外テニス経験はニック・ボロテリーからのプライベートレッスン。9歳(2007年)の頃。

TT:さて12歳からの海外生活。つい最近まで行ってましたよね?

相川:はい、小6の夏の全小優勝がきっかけで、フロリダにテニス留学で渡米しました。それ(2010年)からこの(2022年)3月までアメリカにいました。クラブメッドのゲイブ・ハラミロコーチはIMGの時に出会っていて、渡米の時にご自身のアカデミーを立ち上げるということで、そこを拠点にしました。

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12歳で渡米。最初の拠点はクラブメッドのゲイブ・ハラミロコーチの元へ。

その後、ゴメステニスアカデミー(フロリダ州Naples)を拠点にして、プロ転向後(2017年12月)からはサドルブルック(フロリダ州Saddlebrook)を拠点に活動していました。そして帰国前は1年半ほどサウスカロライナ州にあるVan Der Meer Tennisを拠点にしていました。

TT:中学と高校をまるっと現地ですよね。日本人学校に行きました?

相川:いえ、最初の1年間は現地校に通っていました。13歳からITFジュニアの試合に行き始めていて、現地校だと思うように遠征に行かせてもらえなかったので、2年目からはアメリカの通信制でやっていました。ジュニア最後の高校3年の1年間はほとんど遠征に行っていたこともあって、アメリカの通信だと宿題がものすごく多くて両立が難しくなりましたから、日本の日出高校(現目黒日本大学高等学校)の通信制に切り替えました。

TT:英語の心配はありませんでした?NOVAにも行ってたし大丈夫だったかな?(笑)

相川:最初は何を言っているか全くわからなかったですが、半年もしたらわかるようになりました!

TT:若い!

相川:本当ですよね、今だったら何年もかかっちゃう。

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14歳(2012年)クラブメッド時代。

TT:ご家族はアメリカについて行かれたんですか?

相川:いえ、単独です。2、3年目くらいから石井コーチは一緒でしたけど、共同で生活していたわけではないので。

TT:友達も日本に残して一人アメリカ。しかも小学生。ホームシックで帰りたくなることありませんでしたか?

相川:それがなくて、もうやるしかない!って腹を括った感じでしたね。

TT:これまた意外な。か弱い一面が見えるかな、なんて思ってたら、腹が座っているというか図太いというか(笑)

相川:帰りたいとか思ったところでどうしようもないので!

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世界への階段

TT:渡米後は日本の戦績はありませんが、世界での輝かしい戦績が残っています。

ITFジュニアのシングルス、G2レベルで優勝1回(ジャパンオープンジュニア)、G4レベルで優勝2回。ダブルスではG1で2勝、G2で1勝、G5で1勝。

ジュニアのグランドスラムではシングルスではオーストラリアはメインドローの1回戦、他のフレンチ、ウィンブルドン、US全てで予選に出場、ダブルスではフレンチでベスト4 、オーストラリアでベスト8の戦績です。

いや、恐れ入りました。やはり図太さが戦績には必要なんでしょうね(笑)

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全グランドスラムジュニアへ出場する(予選を含む)

相川:他の国の選手は気が強いですからね。その中でやっていると自然とこちらもそうなりますよね。だって、T(サービスボックスのセンター)に落ちたストロークがアウトになったりしますし・・

TT:そりゃいくらなんでも。

相川:でもセルフジャッジではあることなんです。いろんな子がいます。切れて試合途中でバッグを持って出て行っちゃった選手とか。

TT:日本では絶対お目にかかれない。図太くないとやっていけませんね!

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ジュニアの最後はフロリダのGomez Tennis Academyで過ごし、迷いなくプロへと進路を取っていく。

迷いなく、プロへ。

TT:高校の卒業をアメリカ生活中に迎えることになりました。日本人で何人もアメリカの大学へ進学していくジュニア選手を見ていますが、相川さんは進学はせずプロを選択。大学への進路についてはどう考えていました?

相川:私の周りでも大学テニスに進む人は多かったです。でも、私は2010年にアメリカに渡った時にはプロになるんだろうなって考えていましたし、何より大学進学には興味を持たなかったですね。

TT:2017年、高校卒業後にJTAへのプロ登録ということになりました。何かここで最後の迷いとかは?いや、相川さんが仲のいい尾関彩花選手は申請書類を投函せず一度破り捨てている👉ので、土壇場にそういう気持ちになることもあるかなと。。

相川:いえ、私は書類をパパッと書いてポンと送りましたよ(笑)

TT:ここまで話を聞いてると、このあっさりしたところに驚きはないですね(笑)

TT:プロ転向後のシングルスの戦績を振り返ってみましょう。2017年は8大会出場で最高が本戦1回戦、2018年は12大会出場で最高が本戦2回戦・・

相川:その試合、亜細亜(大学)ですよね。予選から2回戦まで全部フルセットで試合した時で、覚えてます。

TT:その通りです。2019年は18大会に出場してカンクン(メキシコ)での準優勝と、ベスト4が2回。

相川:自分がイチゴー(ITF15,000ドル大会)でベスト4に行けるレベルになったなと実感した年でした。

TT:上り調子だったようですね。ところで怪我などに悩まされることはありませんでしたか?

相川:手首や肩とか上半身は大丈夫ですね。足は 2019年に捻挫で1ヶ月半ギプスして、戻すまでに3ヶ月かかった事があります。あとはジュニア時代にTPP(板橋のトレーニングスタジオ)の体験に行った時、ウォームアップで張り切ってストレッチしてたら膝をポキっとやって靭帯損傷があったくらいで(汗)

TT:笑うに笑えない・・

相川:でもこれまでのキャリアを通じて長期離脱はありませんから体は丈夫な方じゃないかとおもいます。

TT:話しをもどして、2020年。コロナです。2019年の好調から上を目指したいところだったと思いますが。

相川:そうですね、相性のいいカンクンで1月から2月にかけて4週大会に出て、ベスト8まで上がってきて波に乗れるかなと思っていたところでしたから、本当に残念です。

TT:コロナでテニス大会がコートから消えました。この時はどうやって過ごしていました?

相川:その頃はサンドブルックにいて、住んでいたところがリゾート施設の中だったので、外部から隔離されていて、その中に住んでいる自分たちはテニスもトレーニングも自由にできました。それにゴルフもやったり(笑)ESPNが選手を集めて試合をする企画もあったりしたので、テニス自体はできていました。

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2020年ITF W15 Cancun大会ダブルス準優勝。ペアは岸上歌華さん👉

コロナ禍、そして2022年の飛躍

TT:さて最近の話をしましょう。日本に拠点を移した2022年、年初はどういうプランでいました?

相川:まず500位をクリアしたいと思っていました。

TT:確認しますと、年始は964位スタートで現在(2022年12月26日ランク時点)498位。見事クリアしましたね。

相川:ギリギリでしたね(笑)プレーを組み立てられるように取り組んでいますので、クレーを中心に回るようにしました。ハードではテンポもボールも早くなってしまうので。クレーの方が練習の成果を出せると考えていました。

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2022年、コロナ禍から解き放たれ成績を伸ばしていく。W25韓国仁川大会シングルス準優勝。

TT:そして2022年は結果もついてきました。25,000ドル大会で決勝進出、15,000ドルでは2度の優勝、先日のSBC Dream Tour(ITFツアー外の有賞金大会)ではベスト4と、充実していたのではないでしょうか。

相川:そうですね。でも年末の大会で最後は京都の60,000ドル大会に出ようと意気込んでいたのに、うっかりしててエントリー締め切りを過ぎちゃって出場できなかったんです。楽しみにしてたのに! トルコの大会期間中でコーチからもエントリーしておけよって言われてたんですけど。。

TT:意外にうっかりさんですか?

相川:いやこの辺はちゃんとやってきたんですけど・・(汗)

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2022年はWTAシングルス964位から498位へと、躍進の1年となった。

TT:ではインタビューの締めくくりに入りましょう。まず今後の目標はどこに置いてますか?

相川:グランドスラムに年間を通じて出場する選手になりたいのと、ビリージーンキングカップ(旧FED杯)に出場するのも目標です。

TT:では最後に、ファンの皆さんにはどういうプレーを見てもらいたいですか?

相川:自分のプレーはオールラウンダーで、クレーコートでは粘りもするし、サーブ&ボレーやスライスを使って緩急のある展開も好きです。その中でもサーブとスマッシュは得意なので、アドサイドのコースを突いたサーブからの左利きならではのストローク展開を見てもらいたいです。あとは足が早いことも自慢です!トレーニングでは男子選手と競えるくらいですし、ドロップも取っちゃいますよ!

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写真提供:

相川真侑花選手

北澤勇さん

聞き手:Tennis Tribe.JP 新免泰幸

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取材:2022年12月末都内某所にて